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ブックマーク / sumita-m.hatenadiary.com (5)

  • 近代・共同体・物語(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    見えない物語―〈騙り〉と消費 作者: 大塚英志出版社/メーカー: 弓立社発売日: 1990/12メディア: 単行購入: 2人 クリック: 6回この商品を含むブログ (5件) を見る大塚英志『見えない物語 〈騙り〉と消費』*1からの抜き書き。少し長いが。 ところが近代社会は国家という極めて大きな単位の共同体の中に半ば強引にムラ社会を吸収していこうとしたため、ムラで伝承される〈物語〉は伝説など一部が天皇家をめぐる大きな物語に統合されていったのを除けばその多くがムラ社会が解体していく中でそれが伝承される磁場を失ないいわばムラから解放される。具体的なムラ社会と一体化していた〈物語〉がそこから自由になりそれが複製や流通と結びつきことさら共同体という場の中で解釈される必要のない、一編の独り立ちしたソフトとして流通することが可能となる。(略) 最終的には天皇家を頂点とする〈大きな物語〉の枠組みの中にあ

    近代・共同体・物語(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again
    Imamu
    Imamu 2012/08/09
    『見えない物語―〈騙り〉と消費』「〈物語〉への過剰なニーズは〈物語〉と〈共同体〉の分離の結果起きたのであり~決して満たされない仕掛けからなる〈物語〉への飢えが〈物語ソフト〉の複製や流通の技術の進歩と」
  • 「スイーツ」の起源 - Living, Loving, Thinking, Again

    畑中三応子*1「自己増殖するファッションフード1 まだまだバブルの九〇年代」『scripta』(紀伊國屋書店)18、pp.32-45、2011 曰く、 そもそも菓子はいつから「スイーツ」になったのだろう。これも発信源は『Hanako』らしい。一九九一年二月七日号の「スイーツ――この店このお菓子」を皮切りに、「懐かしきスイーツは乙女の永遠の喜び」(九二年三月五日号)、「エスニック・スイーツ」(九二年六月二五日号)、「広尾は日最高レベルのスイーツ激戦区だ」(九五年二月二三日号)、「なごみの浅草スイーツ、全員集合」(九六年七月一八日)、「銀座スイーツBOOK」(九七年一一月五日号)、「東京スイーツ502個」(九八年一二月二日号)と、ぐんぐん調子が上がり、女性誌全般に普及した。(p.39) *1:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101120/1

    「スイーツ」の起源 - Living, Loving, Thinking, Again
    Imamu
    Imamu 2012/03/05
    畑中三応子「自己増殖するファッションフード1 まだまだバブルの九〇年代」『scripta』 「『Hanako』らしい。一九九一年二月七日号の「スイーツ――この店このお菓子」を皮切りに」
  • 性以前/以後 - Living, Loving, Thinking, Again

    「児童ポルノ」問題に関しては、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071018/1192728137 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071101/1193896416 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080315/1205588068 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080421/1208714162 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080805/1217870245 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080930/1222710736 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090629/1246244161も。 「児童買春・児童ポルノ禁止法改正案」は「そのまんま麻

    性以前/以後 - Living, Loving, Thinking, Again
    Imamu
    Imamu 2009/07/18
    『皮肉なことに、「児童ポルノ」規制の流れというのは「児童」を性的存在として認めるということになる』『亜細亜~~特有なのは、(少なくとも女性の場合に限って)性以前とともに性以後があることだろう」
  • 音楽のジャンル(渡辺裕) - Living, Loving, Thinking, Again

    以前、「美空ひばりが「柔」とかを歌って、日化=演歌化したのは「昭和30年代」と「40年代」の境目あたりじゃなかったでしたっけ」と書いたことがある*1。さて、渡辺裕氏が 「演歌」と呼ばれるようなものも、一括りにそういう名で呼ぶ慣習が生まれたのは、せいぜい一九七〇年代くらいの話である。美空ひばりは演歌歌手であるだけでなく、ジャズにいたるまで幅広くこなす天才だったなどとよく言われるが、彼女がデビューした頃にはそもそも「演歌」を歌っているなどとは誰も認識していなかった。《柔》も《真っ赤な太陽》もひとしく「歌謡曲」であり、その才能のほどは別問題として、和洋両様歌いこなす歌手は他にもいろいろいたし、ドレスで「演歌」を歌う光景も珍しいものではなかった。「演歌」は和服で歌うものというイメージ自体、それが新たに独立したジャンルになった七〇年代以降のものなのである。(「共同体作り上げるジャンル分け」『毎日新

    音楽のジャンル(渡辺裕) - Living, Loving, Thinking, Again
    Imamu
    Imamu 2008/11/12
    『「ジャンル」には聴衆の「共同体」を形成する力がある』『さらに重要なのは、「ジャンル」間の関係だろう。~近接の「ジャンル」のあり方を決定し、ファンの「ジャンル」越境のあり方に影響する』
  • 構造か運動か、など - Living, Loving, Thinking, Again

    大野左紀子さんの「三次元ヌードへの拒否反応」というエントリー*1が話題を呼んでいるようである。既に312個のブックマークと41個の星印が付けられている。 そのブックマーク・コメント*2の中に、 2008年07月14日 raitu anime, art, comic, オタク 個人的には、「昭和的なもの」の拒絶、すなわち黒澤明や寺山修司に代表される「全てを丸々描く」写実主義、自然主義への拒絶と、日画的な記号主義、削ぎ落とし文化への傾倒が起きてるんじゃないか、とか というのがあり。面白いと思うと同時に、よくわからない。黒澤明と寺山修司って、同じ資質を持った映画作家なのか。果たして、「写実主義、自然主義」なのか。寺山の場合、遺作となった『さらば箱舟』、或いは役者に菅原文太と清水健太郎を起用した『ボクサー』を観ても、上の方の言葉を使えば「記号主義」的な作家なのではないか。寺山の映画における代表作

    Imamu
    Imamu 2008/07/19
    "西洋アカデミック絵画-構造/東洋画-運動""二次元-イデア-視覚-聴覚"「女子文化が触覚や味覚などの多くの感覚を包摂する仕方で展開しているのに対して、男子文化(の一部)はそれらを排除する仕方で展開している」
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