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音楽のジャンル(渡辺裕) - Living, Loving, Thinking, Again
以前、「美空ひばりが「柔」とかを歌って、日本化=演歌化したのは「昭和30年代」と「40年代」の境目あ... 以前、「美空ひばりが「柔」とかを歌って、日本化=演歌化したのは「昭和30年代」と「40年代」の境目あたりじゃなかったでしたっけ」と書いたことがある*1。さて、渡辺裕氏が 「演歌」と呼ばれるようなものも、一括りにそういう名で呼ぶ慣習が生まれたのは、せいぜい一九七〇年代くらいの話である。美空ひばりは演歌歌手であるだけでなく、ジャズにいたるまで幅広くこなす天才だったなどとよく言われるが、彼女がデビューした頃にはそもそも「演歌」を歌っているなどとは誰も認識していなかった。《柔》も《真っ赤な太陽》もひとしく「歌謡曲」であり、その才能のほどは別問題として、和洋両様歌いこなす歌手は他にもいろいろいたし、ドレスで「演歌」を歌う光景も珍しいものではなかった。「演歌」は和服で歌うものというイメージ自体、それが新たに独立したジャンルになった七〇年代以降のものなのである。(「共同体作り上げるジャンル分け」『毎日新
2008/11/12 リンク