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ブックマーク / shionandshieun.hatenablog.com (37)

  • ぢっとお札を見る - 私のエッジから観ている風景

    埼玉にはだれもが知っているような「偉人」がいないせいか、名の知られている偉人がちょっとでも関係あれば「埼玉とゆかりのある偉人」として無理矢理紹介する。 先日、埼玉の観光サイトを読んでいると太宰治が「埼玉とゆかりのある偉人」であることを知った。理由は『人間失格』を大宮で書いたかららしい。 埼玉県民のわたしは思わず、こうつぶやいた。 「知らねぇよ。」 どこで書きはじめたかなんてどうでもいいし、仮にそうだとしても「ゆかりがある」なんて実感が湧かない。 こうしなければいけないぐらいメジャーな偉人がいないのだ。 もちろん、それは埼玉に「偉人」がいないというわけではない。とりあえず、思い浮かぶひとは3人いる。 1人は江戸時代中期から後期に活躍した塙保己一だ。幼少のころ、病で失明したが、江戸に出て学者になり、日の国文学や国史をまとめた大著『群書類従』を編纂した。編纂の際に版木を「20字×20行」の40

    ぢっとお札を見る - 私のエッジから観ている風景
    Jcm
    Jcm 2019/04/14
    他の紙幣に使われる「偉人」の経歴も酷かった。渋沢・北里なんて対外侵略にもハンセン病患者隔離政策にも密接に関わっている。福沢ならOKとは言わないけど、敢えてこんな人物を採用するなど到底受け入れられない。
  • いま大切なのはこういうことばさ - 私のエッジから観ている風景

    朝からTwitterを眺めるなんてどうかしてるかもしれないがこれがわたしの日課だ。 この日もいつものようにわたしのタイムラインを眺めているとこんなツイートが現れた。 女性が自分の姓に固執するのは自由ですが、そういうのは個人間で済ませるもので、国家が介入する事ではありません。日には日の家制度があり、それを基軸に我が国は2679年続いてきました。今更朝鮮式を入れる理などありません。夫婦別姓を導入するとどう日が壊れるか、もうちょっと考えてください — はすみ としこ (@hasumi29430098) March 24, 2019 iPhoneに向かって思わず、「バカじゃねぇの?」とつぶやいた。教科書に載っているひとたちの名前を見ればわかるおのと思っていたが、まさかここまでだったとは・・・・・。しかし、ここで「バカじゃねぇの??」とつぶやいても彼女と同じ土俵に立つ気がするので、ちょっと茶化

    いま大切なのはこういうことばさ - 私のエッジから観ている風景
    Jcm
    Jcm 2019/04/06
    冷たく荒んだ言語空間で緊張して疲弊している時に掛けてもらえる温かい言葉って、本当にありがたい。
  • 社会のことなんか考えられないよ - 私のエッジから観ている風景

    ついつい飲みすぎてしまって終電を逃した私は24時間営業の居酒屋に入って、酔いさましのためにウーロン茶を頼み、ちびちび飲みながら、入管法改正案が参議院で可決された様子を店内のテレビで観ていた。 同席していたひとはテレビを観ながら、「はぁ。」とため息をついたが、深夜なのに騒がしい店内だったせいで、その声はかき消された。 高校時代、日史の先生が治安維持法について教えていたとき、「悪い法律はいつの間にかできてしまうんだよな。」とボソッと言った。まだ高校生だった私はその言葉の意味が分からなかったが、大学に入り、教科書で「政治的無関心」という言葉に出会い、少しでも政治や社会のことについて関心を持とうと思った。 どうやらこう考えているひとは私だけではないらしい。や雑誌やネットのみならず、巷での会話でも、さまざまなひとたちが「日のひとたちは政治や社会のことについて興味がない。」と異口同音に語る。 き

    社会のことなんか考えられないよ - 私のエッジから観ている風景
    Jcm
    Jcm 2019/01/16
    実際この状況を変えるのが政治とか社会運動(って言うと大袈裟かもだけど小さなことでも)なはずなんだけど、行動に対する意欲は日々の生活でどんどん殺がれ、冷淡さを要求された結果、感覚もどんどん麻痺させられる。
  • あのスラッシュはまやかしだった - 私のエッジから観ている風景

    小さいころに通っていた公文の教室で学習図鑑『日歴史』と出会ってから私は日オタクになった。 「どんな時代が好き?」と訊かれると小さい私は決まって「戦国時代」と答えていた。多分、父が借りてきてくれた日史のビデオが「徳川家康」だったからだと思う。 歴史オタクは自分の好きな国や時代以外のことはあまり知らない場合が多い。 戦国時代オタクだった私もそうだった。 ある日、久しぶりに『日歴史』の年表を観ていると1945年以前と以降でスラッシュがあることに気づいた。 父に訳を尋ねてみると「日戦争に負けて、新しい国になったから。」と答えてくれた。 小学校6年生になるとそのスラッシュに再会した。 日史の授業を受けていた私はちょうど、1945年のことについて教わっていたのだ。 担任の先生は1945年に「日戦争に負けて、民主的な新しい国になった。」と教えてくれた。 大人になった私は新潟県の阿

    あのスラッシュはまやかしだった - 私のエッジから観ている風景
    Jcm
    Jcm 2018/12/01
    歴史を直視せず、とっくに破綻した(というかそんなものは無かった)はずの「単一民族国家」というフィクションも捨てようとしない国。“あのとき、私が学んだ「戦前」と「戦後」とはいったいなんだったのだろうか。”
  • 私がこの人と本を出そうと思った理由 - 私のエッジから観ている風景

    去年の今ごろだっただろうか。 私のTwitterアカウントにある人からダイレクトメールが届いた。読んでみると送り主は埼玉にある小さな出版社の編集者で、ブログに書いた文章をその人が出しているコミュニティー雑誌に掲載したいので会いたいとあった。 私はとても嬉しく思って、自転車で片道20キロもある彼女が店主をしていた蕨のブックカフェに向かった。 彼女とはじめて会ったとき「当に25歳なんですね。良かったー。」と言われた。Twitterですっかり年齢詐称キャラが定着してしまったと思って苦笑した。 私は彼女に私の来歴を含めて、このブログにまつわる様々な話をした。彼女は私の話をじっくりと聞くと「長い間、在日のを出したかったんです。もしよければうちでを出しませんか?」と言い出した。 私は「是非ともよろしくお願いします。」と答えたと思う。 その日から私と彼女の冒険が始まった。 私は毎日、自転車で編集者

    私がこの人と本を出そうと思った理由 - 私のエッジから観ている風景
  • 関東大震災後の虐殺事件で犠牲になった全ての方々とその子孫たちへ - 私のエッジから観ている風景

    東大震災後の虐殺事件で犠牲になったすべての方々に哀悼の意を表します。 関東大震災から95年目の今年も小池百合子都知事は追悼文を出しませんでした。昨年、私は来年こそは必ず出してくれるだろうと思い、自らの言葉で追悼文を書きました。しかし、その期待は見事に崩れ去り、名もなき人のひとりである私がまた書いております。 あれから1年が経ちましたが、霊前に報告できることは何ひとつございません。 大変申し上げにくいのですが、もしかしたら、去年よりもさらに酷い状況になっているようにも思います。 できればいい報告を思い、それが果たせなかったのは今を生きている私たちがあまりにも情けないということです。 謹んでお詫びいたします。 何かいいことを報告することもできず、顔を合わせられない立場ではございますが、今の状況を正直にお伝えしたいと思います。 日、あの震災後の虐殺事件で犠牲になった方のお墓に参りました。「誰

    関東大震災後の虐殺事件で犠牲になった全ての方々とその子孫たちへ - 私のエッジから観ている風景
  • 人にやさしく - 私のエッジから観ている風景

    先日、上野駅前のマルイでとある人と待ち合わせをしていたところ、隣で笑いながらゆで卵を剥いているアメリカ人観光客らしき人たちを見かけた。ゆで卵を笑いながら剥いている理由は分からないが、「この人たちなんだろう。近寄らないでほしい。」と思って、私は存在感を小さくしていた。 ささやかな願いは空しく、ゆで卵を剥いているアメリカ人観光客が英語で「東京国立博物館はどこですか?」と話しかけてきた。 普段、外国人に道を尋ねられたら案内をする方だと思う。しかし、笑いながらゆで卵を剥く人たちにどうやって案内をすればいいのか分からない。ちょっと悩んだがいつものように道案内をすることにした。 道中、どう話しかければいいのか分からず、ずっと悩んでいた。相手は笑いながらゆで卵を剥いているような人たちだ。とりあえず「Do you know Bando Eiji?」って聞けばいいのか?多分、甲子園に興味を持っている外国人は

    人にやさしく - 私のエッジから観ている風景
    Jcm
    Jcm 2018/08/28
    好循環。私もこういう道案内やら○○案内やらをやるんだけど、そうするのはやっぱり実際に誰かに助けられた経験が大きいかも知れない。
  • 日本人よりも働かなければいけない - 私のエッジから観ている風景

    私の母方の祖父は忠清南道の田舎の生まれだった。周りには山と痩せた田畑しかなかったそうだ。私が韓国留学をしていたとき、祖父の出身地を訪ねたのだが今でも山と田畑しかないような場所で、思わず、祖父がこの土地を出るのも当然だと思ってしまった。 かつての韓国は長男以外の男子は働き手としてしか見なされなかったため、彼は満足に教育を受けることができず、小作農だった実家の手伝いをしていたという。 韓国独特の家父長制と貧しい境遇から抜け出したいと思った祖父は故郷を捨てて、戦争が始まる前に単身、日へ渡った。 彼は当初、関西地方に居たらしいが、やがて、関東に流れ着いた。そこで警察官と組んで米を安く仕入れ、故郷で憶えた濁酒造りの技術でヤミ酒を作り、様々な人に売った。彼の作ったヤミ酒はその土地で一番、美味しかったと私は聴いている。 祖父はその金を元手にして様々な商売を始めた。彼の口癖は「日人よりも働かなければい

    日本人よりも働かなければいけない - 私のエッジから観ている風景
    Jcm
    Jcm 2018/07/25
    杉田議員を非難する人の中にも、氏のマイノリティー性を矮小化する人って多いよね。/“この一票は投票ができない人たちのために投げ込みたい。次はそんな人たちが「生産性がない」とされてしまうかもしれないから”
  • 靴を脱いで、お辞儀をして - 私のエッジから観ている風景

    最近、寄稿したHAFU TALKや蕨で作っている途中のココシバなど、私の周りではクラウドファウンディングに挑戦する人たちが多い。 とある人からあるクラウドファウンディングページを教えてもらった。そのページとは『スラム街の暮らしを肌で感じたい』と題されたフィリピンのスラム街に行くためのクラウドファウンディングだ。 それによると1週間、フィリピンのマニラに住み、そこにあるスラム街に住みながら、映像に撮ることを目的として、お金を集めていた。 そのページに書いている文章から醸し出されている変なテンションであったり、大学生特有の「意識の高い」言葉(と言ったって、これを書いている私はまだひよっこの26歳。こんなこと言うようになったか。嫌だ。嫌だ。)に苦笑いしながらも、私が経験したことを思い出した。 今年の4月、鶴橋に行ってきた。鶴橋と言えば西日の中で一番大きなコリアンタウンとして知られている。以前か

    靴を脱いで、お辞儀をして - 私のエッジから観ている風景
    Jcm
    Jcm 2018/07/19
    “大人にとって重要なことは謝らせることではなくて、考えさせる言葉を学生側に対して真摯に伝えること/学生にとって重要なことは大人の言葉を真摯に受け取って、何がいけなかったかを考えて自分の言葉で語ること”
  • 懐かしのチョコパイ - 私のエッジから観ている風景

    「懐かしさを感じるお菓子は?」と誰かに尋ねられたら私は迷わず、「チョコパイ」と答えると思う。 我が家は4代続くクリスチャンで、教会に行くことが日課だった。私が小学生のときは、韓国からやってきた牧師さんが牧会を担当する韓国系の教会に通っていた。 韓国系の教会は日の教会とは違った文化を持っている。特に違うのは礼拝が終わった後に牧師さんや信徒たちみんなでご飯をべることだ。もちろん、この場に出てくる料理韓国料理で、私が初めて在日の料理ではない韓国料理べたのはこの場だったと思う。 皆でご飯をべるときに私みたいな子どもたちには必ずおやつが与えられる。そのときにおやつとして牧師さんから渡されるお菓子が韓国から送られてきたチョコパイだった。 初めてチョコパイを口にしたとき、頭の中で「甘っ!」という言葉が頭の中に広がった。のちに私が韓国へ留学することになり、現地で韓国の甘いお菓子をべたが、あの

    懐かしのチョコパイ - 私のエッジから観ている風景
  • 変わってほしい - 私のエッジから観ている風景

    私が通っていた大学はとても大きい大学だった。学部ごとにキャンパスが存在していて、私は法学部だったので、東京都心に存在するビル型キャンパスに通っていた。違う大学の友人を訪ねるためにほかの大学に行ったとき、所謂、大学らしいキャンパスを見てとても羨ましいと思ったものだ。 私の母校ぐらい規模が大きくなってしまうと、学部間の相互交流もほとんどなかった。私が法学部から別の学部の授業やゼミに通うとき、違う大学に行っているような感覚がした。きっと法学部から来た私を別の学部のキャンパスで勉強していた学生たちは宇宙人とまで思っていたのかもしれない。 この大学の自慢できるところがあるとすれば、いい先生といい学生がたくさん居たことだろうか。先生たちは大切なことをたくさん教えてくれたし、何から何までお世話になった。私が私のエッジに立ってものを考えるようになったのもこの大学の授業やゼミと出会ったおかげだったし、文章を

    変わってほしい - 私のエッジから観ている風景
    Jcm
    Jcm 2018/05/23
    そうなんだよね、あんなに大きな大学なんだから、これまで深く関わった人の数も相当に多いってことなんだよね…
  • デジクッパを食べていた弁護人 - 私のエッジから観ている風景

    釜山からの留学から帰ってきて、もう何年も経つがどうしてもべたくなるものがある。 それはテジクッパだ。 日ではあまり知られていないが、私にとっては思い出の味なのだ。 テジクッパとは釜山の名物料理で、豚骨スープのクッパと言えば良いだろうか。スープの具には豚肉や豚の内臓が入っている。 日の豚骨ラーメンの濃厚なスープとは違って、ちょっと薄い。なのでそこにキムチやニンニク、セウジョをぶち込み、「お前、花の慶次を読み過ぎたんじゃないか?」というぐらいに豪快にべる。 釜山っ子には必ずお気に入りのテジクッパ屋があって、そこで釜山の名物焼酎チョウンデイをあおりながら、一緒にべるのが流儀だ。 私が初めて、テジクッパに出逢ったのは釜山に来たて頃だっただろうか。初めてべた時の感動は忘れられない。感動のあまり「この味が良いねと君が言ったから4月6日はテジクッパ記念日」という短歌を読んだぐらいだ。留学して

    デジクッパを食べていた弁護人 - 私のエッジから観ている風景
    Jcm
    Jcm 2018/04/29
    食の取り持つ縁。頻繁に会うって言ってたし、板門店での会食も次やらないかな。で、次は南からデジクッパ、北の方も物凄い庶民的かつ南北に関わるの持って来たりして。あと在日コミュニティーのサプライズとかね。
  • もし在日コリアンである私がビビンバについて語ったら - 私のエッジから観ている風景

    こないだ初めて知ったのだが、李明博大統領の時代に「韓国料理の世界化」政策という韓国料理を世界5大料理の1つに入ることを目指し、さらに韓国料理を高級化することをしていたそうだ。 祖母が焼肉屋だった立場からはっきり言おう。 韓国料理の世界化なんて必要ない。 釜山に行って、一番美味い店は市場の中の小汚いデジクッパ屋だったし、美味しいティッコギ屋も小汚かった。 ついでに言えば、美味い焼肉屋ほど小汚い。 もちろん、インスタ映えなんかするわけがない。 李明博政権は韓国料理屋をインスタ映えさせたかったのか?いくらなんでもそんな韓国料理の世界化なんて韓国料理に対しての侮辱だと思うので、それもひっくるめて、検察にはじっくりと取り調べして欲しい。検察がやらないなら私がやりたい。 ふと、韓国料理の象徴とは何だろうと考えた。韓国料理には庶民的な料理が多い。だが、キングオブ庶民の料理を決めるとしたらそれはビビンバで

    もし在日コリアンである私がビビンバについて語ったら - 私のエッジから観ている風景
    Jcm
    Jcm 2018/04/22
    韓国料理とジェントリフィケーション。ピビンパは異様に美味いと思う。/人種のるつぼだ、いや人種のサラダボウルだろって言われて久しいけど、人種のピビンパという言葉がメジャーになってないのがおかしいのかも。
  • 民主主義とは逡巡である - 私のエッジから観ている風景

    今日は全国で安倍内閣退陣を求めるデモがあるそうだ。私はやらなければいけないこともあり、ネットの動画でデモの様子を観ることにした。 どうやら韓国から文書改竄のデモを応援する声も上がっているらしい。かつて軍事政権だった韓国の民主化を日人が応援していたなんて隔世の感がある。 韓国では前大統領の不祥事が発覚し、弾劾に追い込み、新大統領を誕生させた。この行動に対して「韓国の人たちは凄い!それに引き換え日は・・・・・。」という声を見かけた。私は少し複雑な気分になったしまった。 私の母は1980年代にソウルへ留学したことがある。当時のソウルは今のような華やかなソウルとは違って、軍人が大統領を務めていて、自由で民主的な生活とは程遠い。手紙は検閲されているし、電話が盗聴されていることも当たり前だ。なので人々は政府から監視されない時間を選んで、様々な方法で海外に居る友人や家族たちに韓国の実情を伝えていた。

    民主主義とは逡巡である - 私のエッジから観ている風景
    Jcm
    Jcm 2018/04/19
    似たようなことを考えていた。本当に歴史は多くのことを教えてくれる。忘れてはならない。
  • 悲劇の先に絆を作る - 私のエッジから観ている風景

    先日、とあるところでインタビューを受けた。そのときに聴かれたことは「若い人たちにどういうメッセージがありますか?」というだった。こういう質問のとき、私は「とりあえずを読んで下さい。」と答えることにしている。 最近、自信を持って、そのように答えられるようなに出逢った。 そのとは『あるデルスィムの物語―クルド人文学短編集―』だ。このは1937年に起きたクルド人によるデルスィム反乱をテーマにしている。クルド人は国を持たない中東の民族として知られ、トルコのほかにイラクやシリアにも存在している。 トルコ共和国を建国する際、クルド人への自治が約束されていたが、その約束は破られてしまい、クルド人たちは反乱を起こす。しかし、その反乱は失敗し、反乱に参加した人たちはトルコに虐殺され、生き残ったクルド人に対しては強烈な同化政策を行った。この状況は今でも変わっておらず、トルコ国外に逃亡するクルド人たちも

    悲劇の先に絆を作る - 私のエッジから観ている風景
    Jcm
    Jcm 2018/04/09
    驚いた…と言うのも、境遇は全く異なるけど、似たような発想をしたことがある。私という存在について語ることが、こういう風に繋がりを生むことがあるかも知れない、だから孤独でも語り続けよう、残して行こう、と。
  • 私はともに生きていきたい - 私のエッジから観ている風景

    実はしばらくSNSから離れていた。悪いニュースしか流れてこないし、頭の中が爆発しそうになったから精神的な休養が欲しくなったのだ。言葉が濁流のように流れているSNSの世界から離れ、好きなを読んだり、音楽を聴いたりしながら小川のせせらぎのような言葉の世界を楽しんでいた。 だが、SNSはどうしても私を離してくれない。何かの連絡をするときにはSNSを使ってしまう。ついでに何かを書いてしまう。そこでたまたまある記事が目に飛び込んできた。それは琉球新報の塚崎昇平記者の記事だった。琉球新報では毎週日曜日に記者のコラムを発表しているらしく、そこには塚崎記者自身がかつて「ネトウヨ」だったこと、そして、辺野古や高江の現場を訪ね、そこから戦後史を学び、琉球新報の記者になったことが書いてあった。 「いじめをカミングアウトする。」 これを読んでどのように感じるだろうか。普通、「いじめをカミングアウトする。」と言わ

    私はともに生きていきたい - 私のエッジから観ている風景
    Jcm
    Jcm 2018/03/28
    一般論だけど、被害者は加害者に対し、その罪を赦すか赦さないかについて事実上選べない状態に置かれがち。だからこそ、加害者は被害者の「赦す」表明も「赦さない」表明も等しく尊重し、重く受け止める必要がある。
  • 「美しい国」へ - 私のエッジから観ている風景

    私が通っている図書館の下の階には最新のニュースを伝える電光掲示板のついた自販機がある。今日、その前を通りかかったところ、老人2人が自販機の前でこんな会話をしていた。 「書類を書き換えちゃうのはいくら何でもマズいよね。」 「うん。まさかこんなことをするなんてね。」 今、森友学園との土地取引に関する財務省の決裁文書が改竄されていたと問題になっている。これらは財務省理財局の指示で行われていたとされているが、森友学園と安倍政権との蜜月関係から財務省の意思のみで行ったとは考えにくい。 今回、書き換えを行った箇所は政権中枢や与党に近い政治家たちの名前など数十か所に及んだ。この中で極めつけは昭恵夫人から「いい土地ですから前に進めてください」というお言葉をいただいたとの学園側の発言が削除されていたことだ。一体、誰がそんな指示を出したのかは容易に想像がつく。 この国はこんな国だったのかのだろうか。 私の家に

    「美しい国」へ - 私のエッジから観ている風景
    Jcm
    Jcm 2018/03/15
    また世界に名を馳せてしまった。見苦しい国。
  • 人はそれを「歴史」と呼ぶんだぜ - 私のエッジから観ている風景

    私はちょうど「ゆとり世代」と呼ばれる世代だ。小学5年生のときに、当時の担任が「今年からゆとり教育が実施されます。」とか言っていた。テレビを観ていると「ゆとり教育で教科書が薄くなりました。」とか「円周率が3.14ではなく、3として教えることになりました。」とかそんなことばかり言われていた憶えがある。 そのおかげか、先の世代の人たちからはまともな教育を受けていない礼儀知らずな奴らということで「ゆとり世代」なんていうレッテルを貼られてしまった。こんな教育にしたのは誰なんだ?という責任論はどこかへいったままだ。 そんなTHEゆとり世代の私も社会人になった。そうなると教科書からは縁遠くなる。さらに私が大学生だったころに「脱ゆとり教育」と言って、教育指導要領も変えられた。さぞ、良い教育を受けているのだろうと思っていたが、あるツイートを見て、その意見が変わった。 どうやら横浜市で採用されている公民の教科

    人はそれを「歴史」と呼ぶんだぜ - 私のエッジから観ている風景
    Jcm
    Jcm 2018/03/10
    “実はあまり好きになれない言葉がある。それは「移民」という言葉だ。なぜなら、「移民」している方が当たり前なのだから。そして、この私もまたどこかへ旅をして、何かしらの跡をつける。それが生きた証になると”
  • こんな形の「和解」なんて - 私のエッジから観ている風景

    3日前の朝は嫌なニュースで目が覚めた。朝鮮総連の部が銃撃されたそうだ。 犯人のうちの1人はヘイトデモに常連で参加していた男だった。 実はその数日前に民団部前でヘイトデモがあった。 この1週間に在日と関係の深い場所が襲われたことはショックだった。 在日の社会には民団と総連という大きな2つのグループが存在する。 ざっくり言ってしまうと、民団は在日韓国人側のグループで、総連は在日朝鮮人側のグループだ。もちろん、この2つのグループとは縁遠い在日や私みたいにどっちかのグループから抜けてしまったような在日も居るが、基的にこの2つのグループに分かれていると思って欲しい。 民団の方は韓国を支持していたし、総連の方は北朝鮮を支持していた。国が対立を深めていくようにこの2つのグループは70年近くずっと対立していた。 それは普通の在日の生活にも現れてくる。その昔、チャンジャ1つを買いに行くにしても、こっ

    こんな形の「和解」なんて - 私のエッジから観ている風景
    Jcm
    Jcm 2018/03/02
    せめて「気持ちは分かるが」は「そういう心理があることは理解する(共感はしない)が」という意味であることを願っているが、その願いが儚いものであることも知っているので、何ともやり切れない。
  • 「私は誰なんだろう」と思う島 - 私のエッジから観ている風景

    今日は2月22日で、どうやらの日らしい。2月22日がの鳴き声である「ニャンニャンニャン」と読めることから、の日制定委員会が決めたとのことだ。 そして、この日は竹島の日でもある。1905年2月22日に島根県知事が竹島の所属所管を明らかにする告示を行ったことが由来となっている。この日を制定した2005年には韓国で激しい抗議運動が起こった。長年、この島の帰属をめぐり、日韓国の両国は激しく争っている。 「ニャンニャン」の日だけに日韓国はめだかの兄妹みたく仲良くならないのだろうか。思い切って欽ちゃんにドーンと相談してみれば良い。こないだ、妹も来たみたいだしね。 ちょうど、私が大学生だったころ、竹島に李明博大統領(当時)が上陸して、日国内で物議をかもしたことを憶えている。私のゼミの指導教授がこの出来事をかなり問題視していて、授業でも話をしていた。韓国友人たちとも、この話をたまにするの

    「私は誰なんだろう」と思う島 - 私のエッジから観ている風景
    Jcm
    Jcm 2018/02/23
    アメリカという外し方は絶妙だ。私は「獨」繋がりで「ドイツ(獨逸)」っていうのも思いついたけど、韓国語だと「独日」と同じ発音になって気まずくなることに気付いたのでボツかなぁ。