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アジア女性基金と強制連行に関するKATZEのブックマーク (3)

  • 呼びかけ文が不適切ということは、アジア女性基金は国民に対して虚偽の理由で募金を募った詐欺集団ということになりますね - 誰かの妄想・はてなブログ版

    この件。 外務省HPからアジア女性基金呼びかけ文削除 産経新聞 10月11日(土)7時55分配信 外務省は10日、元慰安婦に「償い金」を支給したアジア女性基金の「拠金呼びかけ文」をホームページから削除した。文中に「10代の少女までも含む多くの女性を強制的に『慰安婦』として軍に従わせた」との記述が含まれていたためで、次世代の党の山田宏幹事長が6日の衆院予算委員会で「強制連行はなかった」「問題がある」と指摘し、岸田文雄外相が削除を検討する考えを示していた。 削除したのは「歴史認識」の項目に掲載されていた「『女性のためのアジア平和国民基金』への拠金呼びかけ文」(平成7年7月18日)。基金の呼びかけ人が発表した文書で政府の公式文書ではないが、外務省は過去の経緯を紹介する観点から閲覧できるようにしていた。 慰安婦の強制性をめぐっては、平成19年に第1次安倍晋三内閣が「政府発見の資料の中には軍や官憲に

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  • 慰安婦にされた女性たち-オランダ 慰安婦問題とアジア女性基金

    旧オランダ領東インドは今日のインドネシアです。太平洋戦争で、日軍はこの地を1942年に占領し、オランダ人を抑留・捕虜にしました。民間人9万人、軍人4万人が収容所にいれられたのです。 一部の日軍関係者は、収容所に抑留されたオランダ人女性と混血女性を慰安所に強制的に連行して、そこで日の将兵に対する性的奉仕を強いました。その代表的な事例がスマラン慰安婦事件です。基金の資料委員会の報告書に収められた論文によれば、1944年初頭中部ジャワのアンバラワとスマランにあったアンバラワ第4または第6収容所、アンバラワ第9収容所、ハルマヘラ収容所、ゲンダンガン収容所からオランダ人と混血女性約35人が連行され慰安婦にされました。これを推進したのは南方軍幹部候補生隊の将校たちでした。 アンバラワ第4または第6の収容所から連行された女性の証言によると、ここでは、1944年2月23日、収容所中庭に17歳から28

  • 慰安婦にされた女性たち-インドネシア デジタル記念館慰安婦問題とアジア女性基金

    インドネシアは1942年日軍によって占領されました。この地はオランダ領の植民地であったため、インドネシア人の中には日軍の占領に好意をみせた人もありました。日軍は、インドネシアにおいても各地に慰安所を設けました。 まず最大の島スマトラ島では、北部のベラーワンに慰安所があり、インドネシア人2名と中国人6名の女性がいたという供述があります。つづくジャワ島では、バタヴィア市(現在のジャカルタ)に1942年8月第六慰安所が開設されたということが知られています。ここでは朝鮮人慰安婦7名がいました。慰安所は6ヶ所あったということになります。中部のスマランには1944年に4軒の慰安所がつくられたことが知られています。ここがスマラン事件の舞台となったところです。近くのムンティランにも慰安所がありました。西部のスラバヤでは、3軒の慰安所がありました。セレベス島には、1945年にオランダ軍法会議の要請で日

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