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2008年4月26日のブックマーク (18件)

  • 雑談ヤクバハイル 元少年への死刑判決は当然だが、本村さんの商売手法も見て欲しい

  • 死刑は廃止すべきか否か? - 愚樵空論

    最初に断らせていただくが、死刑についての私の考えはまとまってはいない。にもかかわらず、今日このエントリーを書こうと思ったのは、「アルバイシンの丘」の昨日のエントリーがきっかけだ。「死刑考③ 光市事件」というタイトルで書いておられる。 私は村氏には共感できない 光市の事件はよく憶えている。強烈に印象に残っているのは、おそらく多くの方も同じだと思うが、事件の内容よりも被害者家族の記者会見のほうである。これについては、私も自分の意見を書いた。 「アルバイシンの丘」のpapillon9999さんをはじめ、犯罪被害者遺族の村氏の意見に共感を持った人は多いようだ。だが私は違う。私は彼に共感できない部分がある。それがどういうことなのか、「アルバイシンの丘」の上記エントリーを拝見してはっきりした。以下、それについて述べたい。 村氏は次のように発言していたらしい。 死刑は廃止してはならない。死刑の意味

    死刑は廃止すべきか否か? - 愚樵空論
  • 安田弁護士の人権感覚 | アルバイシンの丘

    残念ながら,安田弁護士の記者会見はじっくり見ていないのだ.それでもテレビの前を通りながら,ちらちらと見る機会はあった.内容は,おおよそイラストを使って殺意の否認や強姦の意図のなかったことを説明したのだと思う.しかし,イラストもじっくり見られず詳しく書けないのだが,他のブログやコメントなどからの情報を信ずるとすれば,イラストには被害者(奥さん)が包丁を持っていたこと,奥さんの被害時の姿が生々しく描かれていたこと,などは確からしい. 私は安田弁護士の人権感覚を疑う.ほんとに人権派と呼ばれているのだろうか.この人の頭の中には,「人権」の「人」とは自分の弁護する人のみしか意味していないのではないか,と思わざるを得ない. まず,事実として当に被害者は包丁を持っていたのだろうか.もしこれが事実であればこの部分は撤回しなければならないが,どうなんだろうか.ネットで得た情報では,どうも持っていなかったら

    安田弁護士の人権感覚 | アルバイシンの丘
    KATZE
    KATZE 2008/04/26
    安田氏への反感はイラストを公表したことが影響しています。法廷では普通の事が世間では大問題になる、人が殺される現場を再現すれば非難される事が彼には理解できていません。記者会見での公表は非常識でしょう。
  • 刑事弁護の限界 | アルバイシンの丘

    最初のタイトルは 『刑事弁護人の役割の小さな矛盾』 というものでした.推敲の結果,このタイトルに変更しました.記事の中身は変えていません. 最近,また光市母子殺害事件に関するブログ記事が目に付くようになった.特に最近多いのが,光市母子殺人事件に対する弁護活動に対する攻撃,およびそれに対抗する擁護論の対立である.私が以前,記事に書いた頃は遺族の村氏をめぐる議論が多かったと思う.明らかに話題がずれてきている. この弁護活動に対する批判は,信じられないことに,『極悪人を弁護するとは何事だ』というレベルのものが多い.こういうのは論外であるので,話題にはしない.今回の話題は,この論外の攻撃に対する擁護側の論理についてである. すなわち,『極悪人でも弁護活動は必ず必要だ』という当たり前の議論なのだが,そのこと自体は何も問題はない.しかし,その論拠として示されている論理に,私は小さな矛盾を感じたのであ

    刑事弁護の限界 | アルバイシンの丘
  • 光市母子殺人事件(1)不毛な裁判 | アルバイシンの丘

    やはり,というべきか,判決は死刑だった.以前の記事に書いたように,『いかなる極悪人であっても死刑にはすべきでない』というステージに辿りついてから,まだその考えは変わっていない.その理由については私の死刑廃止論をお読み戴きたいが,端的に言えば,生ける者を慈しむ心のあふれた国はいかなる極悪人に対してもその生を慈しむだろう,それがひいては凶悪犯罪の減少となってきっと還ってくるに違いない,というものである. このような立場からすると今回の死刑判決は非常に残念であるが,無論,これは被告に同情したためではない.生命を慈しむ心がまだまだ我が国(と国民)には芽生えていない,むしろ逆行している,というべきなのが残念である. 残念な点はもう一つあって,この痛ましい事件から凶悪犯を産み出さないためのなんらの有益な教訓をひきだせなかったのである.実にもったいないことであった.同じことはオウム事件の麻原裁判でも感じ

    光市母子殺人事件(1)不毛な裁判 | アルバイシンの丘
    KATZE
    KATZE 2008/04/26
    この痛ましい事件から凶悪犯を産み出さないためのなんらの有益な教訓をひきだせなかったのである.今は「実際に何が起ったのかという真実」が全く明らかにならなかった,という意味の虚しさである
  • 光市母子殺人事件(2)弁護方針の疑問 | アルバイシンの丘

    今回の再審も実に不毛な裁判であったと書いたが,これは死刑判決が出たこととは関係がない.充実した中身のある審理が行われたかどうかという観点からの話である.そういう充実した審理の結果の死刑判決ならば,死刑の賛否は別として裁判自体には後世に伝えるに堪える思想的な厚みが産まれたはずなのだ. ところがこの裁判ではそれが十分ではなかった.その責任の大きな部分が弁護側にあったと思われる.この記事ではそのことについて書く. 思想的な厚みとは次のようなことである.例えば,被告の育った環境を論点にすれば,育った環境が犯行にどのように影響していったのか,環境の責任をどの程度斟酌すべきか,というようなことで深い考察がなされるはずである.するとそれらは社会へフィードバックされて次の犯罪を防止する力となるだろう.それを反映した判決の方がそうでない判決より結果は同じとしても社会へのメッセージ力には格段の差が出るはずだ.

    光市母子殺人事件(2)弁護方針の疑問 | アルバイシンの丘
  • 光市事件:真に法廷を死刑制度闘争に利用しているのはどちらなのか: 旧館@ネタ切れ人民共和国統合不定期更新日記

    チュチェ102(2013)年1月以降の記事はこちらよりご参照ください。 2013年01月(1) 2012年12月(1) 2012年08月(1) 2010年09月(4) 2010年08月(4) 2010年07月(6) 2010年06月(2) 2010年05月(2) 2010年04月(1) 2010年03月(5) 2010年02月(13) 2010年01月(16) 2009年12月(5) 2009年11月(13) 2009年10月(11) 2009年09月(14) 2009年08月(15) 2009年07月(13) 2009年06月(10) 2009年05月(4) 2009年04月(7) 2009年03月(11) 2009年02月(5) 2009年01月(14) 2008年12月(21) 2008年11月(8) 2008年10月(13) 2008年09月(14) 2008年08月(17) 20

    KATZE
    KATZE 2008/04/26
    安田氏を始めとする弁護団が最初に叩かれ始めた頃はメディアではまだ「弁護団は法廷を死刑廃止運動の舞台としているのではないか」と推定調でしたが、時がたつにつれていつの間にか「している」と断定調に摩り替わっ
  • http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/colum10-yasuda.htm

    異端の肖像2006「怒り」なき時代に 弁護士安田好弘(58) 「弁護士としての資質、人間としてのモラルに失望した」。読者から一枚のファクスが届いた。 この読者一人にとどまらない。テレビのワイドショーで、ネット上で非難があふれ返った。 安田好弘。いま、日で最も物議を醸している弁護士だ。かつてオウム真理教元代表・麻 原彰晃被告=名・松智津夫=の主任弁護人を務め、先月、山口県母子殺害事件の 上告審でも弁護人を務めた。 「悪人は早く吊(つる)せ」という世間感情、タレント弁護士が登場するお茶の間のにぎわい に彼は背を向ける。 非難のきっかけはこの上告審だった。三月十四日、最高裁の口頭弁 論を安田は相方の弁護士とともに欠席した。 最高裁、検察、遺族は憤った。最高裁は昨年導入された改正刑事訴訟法に基づき、四月 十八日の弁論への出頭在廷命令を初適用。欠席すれば、解任は避けられない

    KATZE
    KATZE 2008/04/26
    「死刑廃止を法廷で考えているとしたら弁護士失格だ。法廷は事実を争う場であって、政策や思想の場ではない。だいたい判決は死刑だろう、と考えて弁護なんてできやしない」
  • 戴いたコメントへ返信しました: 旧館@ネタ切れ人民共和国統合不定期更新日記

    チュチェ102(2013)年1月以降の記事はこちらよりご参照ください。 2013年01月(1) 2012年12月(1) 2012年08月(1) 2010年09月(4) 2010年08月(4) 2010年07月(6) 2010年06月(2) 2010年05月(2) 2010年04月(1) 2010年03月(5) 2010年02月(13) 2010年01月(16) 2009年12月(5) 2009年11月(13) 2009年10月(11) 2009年09月(14) 2009年08月(15) 2009年07月(13) 2009年06月(10) 2009年05月(4) 2009年04月(7) 2009年03月(11) 2009年02月(5) 2009年01月(14) 2008年12月(21) 2008年11月(8) 2008年10月(13) 2008年09月(14) 2008年08月(17) 20

    KATZE
    KATZE 2008/04/26
    本裁判では、特に1審・2審においては情状弁護が中心でした。つまり、本差し戻し控訴審で情状弁護しかしなかったのならば、確実に死刑だったわけです。
  • 光市母子殺害事件裁判について・私達は全てを知る神ではない - 黒く濁った泥水を啜る蜥蜴

    当は更新しているような時間的余裕は無いのですが、「光市母子殺害事件裁判」に対するあまりに目に余る現在の状況について何か書きたくて仕方ないので寝る時間を惜しんで書きますよ! この裁判での弁護団に対する批判は以前からおこっておりましたが、“凶悪犯罪者(であることを疑われている被告)を弁護する弁護人に対する批判”はこの裁判に限らないことなので、あきれながらも特に何か言おうとは思いませんでした。 しかし、弁護団に対する懲戒請求という単なるバッシングとは違う、現実に強く影響力を持つ行為にまで発展したことに、日が文明国という立場から滑り落ちてしまうのではないかと思ってしまうような危機感を感じました。 まずは弁護団に対する批判の事実誤認の確認から。 弁護団は死刑廃止運動のために裁判を利用しているのか 「弁護団はこの裁判を死刑廃止運動のためのプロパガンダに利用している」という批判があります。 が、この

    光市母子殺害事件裁判について・私達は全てを知る神ではない - 黒く濁った泥水を啜る蜥蜴
  • ちゃんちゃんのたわごと | 事件の真実はいったい何処に・・・ : 山口県光市母子殺害事件差し戻し控訴審判決

  • 続・光市母子殺害事件の弁護団を批判する理由 - CROOK

    雑記光市母子殺害事件の弁護団を批判する理由というエントリを以前に書いたのだが多少変化があったので追加で書いておこう。前回のエントリを書いた時に思っていたのはどうして以下のような手法を取らないのかと言う事だった。私はいろいろと説得を試みたが、どうしても彼は罪を認めない。そのとき、私は一番楽な道を選んだ。つまり、「信頼関係が築けない」という理由で辞任したのだ。起訴は必至であり、公判で彼の言い張る「物理的に無理」な主張をする気には到底なれなかったからである。弁護士のため息: 光市母子殺人事件の弁護人の意図被告人の言い分を信じてないなら批判される筋合いは無いし信じてないなら断れよ!って。この手法を取らない弁護団は被告人の主張を信じているという事だと思った。そして常人では到底考えられないような主張を信じてそのまま代弁する弁護団など自分は信頼出来ないとまで思ったのだった。もっとも引用エントリや他の弁護

  • 裁判所「弁護団がDQNなので死刑にします」 - (旧姓)タケルンバ卿日記避難所

    超訳すると「弁護団がDQNなので死刑にします」とも読めるなあ。昨日の光市母子殺人事件判決。 http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080422/trl0804222107049-n4.htm 第1審判決および差し戻し前控訴審判決はいずれも、犯行時少年であった被告人の可塑性に期待し、その改善更生を願ったものであるとみることができる。ところが、被告人はその期待を裏切り、差し戻し前控訴審判決の言い渡しから上告審での公判期日指定までの約3年9カ月間、反省を深めることなく年月を送り、その後は件公訴事実について取り調べずみの証拠と整合するように虚偽の供述を構築し、それを法廷で述べることに精力を費やしたものである。これらの虚偽の弁解は、被告人において考え出したものとみるほかないところ、そのこと自体、被告人の反社会性が増進したことを物語っているといわざるを得ない。

    裁判所「弁護団がDQNなので死刑にします」 - (旧姓)タケルンバ卿日記避難所
  •  元少年、死刑か回避か=光市母子殺害、差し戻し審開始−広島高裁 - なるしすのブログ

    山口県光市で1999年、会社員村洋さん(31)の弥生さん=当時(23)=と長女夕夏ちゃん=同(11カ月)=が殺害された事件で、殺人などの罪に問われた当時18歳の少年だった元会社員の被告(26)の差し戻し控訴審第1回公判が24日、広島高裁(楢崎康英裁判長)で開かれる。最高裁は昨年6 月、「死刑回避の十分な理由は認められない」と一、二審の無期懲役判決を破棄した。死刑の公算が大きいとみられ、高裁の判断が注目される。 検察側は死刑を求刑しており、差し戻し審でも「年齢や成育環境などを考慮しても、極刑はやむを得ない」と主張する見通し。 一方、弁護側は、殺人罪ではなく傷害致死罪にとどまると事実誤認を訴え、刑の減軽を求めている。元監察医の鑑定書や、弁護側独自の情状鑑定などの証拠採用を請求する方針。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070522-00000076-

     元少年、死刑か回避か=光市母子殺害、差し戻し審開始−広島高裁 - なるしすのブログ
    KATZE
    KATZE 2008/04/26
    彼は、21人の弁護団が組まれたことについて、「死刑廃止のプロパガンダとしてやっている」と非難しています。彼は評論家的立場でそのような批判をしているのではなく、家族を殺された被害者として発言をしているもの
  • セレモニーとしての刑事裁判 - 諸悪莫作

    体調が悪いので、手短に。*1 被告人の新供述は、第1の犯行が殺人および強姦致死ではなく傷害致死のみである旨主張して、その限度で被害者の死亡について自己の刑事責任を認めるものではあるものの、第2の殺人および第3の窃盗についてはいずれも無罪を主張するものであって、もはや被告人は自分の犯した罪の深刻さと向き合うことを放棄し、死刑を免れようと懸命になっているだけであると評するほかない。被告人は遺族に対する謝罪や反省の弁を述べるなどしてはいるものの、それは表面的なものであり、自己の刑事責任の軽減を図るための偽りの言動であるとみざるを得ない。自己の刑事責任を軽減すべく虚偽の供述を弄しながら、他方では、遺族に対する謝罪や反省を口にすること自体、遺族を愚弄(ぐろう)するものであり、その神経を逆なでするものであって、反省謝罪の態度とは程遠いというべきである。 http://sankei.jp.msn.com

    セレモニーとしての刑事裁判 - 諸悪莫作
  • 正論ではあるんだけど… - 妄想日記

    光市母子殺害事件の差し戻し審で、被告人の新供述が不合理・不自然と判断され、厳しい判決を受けることになったんですが、それに対して以下の意見があります。 セレモニーとしての刑事裁判 - 諸悪莫作 事実認定を争うことをもって「反省謝罪の態度とは程遠い」と見做されるならば、刑事裁判の被告となった当事者は、いかにして抗弁すれば良いというのだろうか? 刑事裁判が、検察側主張の追認が前提、被告はそれに対して情状酌量を求めることしか許されない、といった場であるならば、それはもはや、形骸化したセレモニーに過ぎない。それは茶番である、としか言いようがない。 その通りなんですけど、今回の差し戻し審の判決要旨を読む限り、被告人の新供述の信用性についてはかなり細かく検討されています。他の証拠との整合性から判断して信用性を否定したわけですし、その判断は妥当だと思います。そうなると「反省謝罪の態度とは程遠い」と評価され

    正論ではあるんだけど… - 妄想日記
  • 2008-04-25

    安田弁護士の強制執行妨害事件に関するYahoo!ニュースのコメント欄のレベルの低さにびっくりしていたら、tikani_nemuru_Mさんに「mixiはもっとヒデエ」と教えて頂きました。で、そのmixiの記事を読んでみまして、まあなんといいますか、まさか「2chってレベル高いな」と勘違いしそうになる日が来るとは夢にも思っていませんでした。もうね、日\(^o^)/オワタ。 しかし、事件や光市事件について色々なブログを調べているうちに思ったのですが、なんかブログってサービス提供元によってレベルに差がないですか?たとえばYahoo!ブログは\(^o^)/オワタというブログが多いです。最初は私がブログを調べるとき、Yahoo!のサービスを利用して調べることが多いため、必然的にYahoo!ブログが多くなるのかと思ったのですが、はてなダイアリーを調べたら\(^o^)/オワタはあまり見つかりません

    2008-04-25
  • 【光市・母子惨殺】本村氏原作の映画「天国からのラブレター」が15日公開へ、裁判中の事件映画公開は異例

    【光市・母子惨殺】村氏原作の映画「天国からのラブレター」が15日公開へ、裁判中の事件映画公開は異例