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2012年10月3日のブックマーク (2件)

  • DIRECTOR'S WATCHING No.71:尖閣騒動――頂門の一針

    あるジャーナリストの話である――今の日のメディア特に民放は、桜井よしことか中西輝政とか渡辺利夫のようなシロウトに中国を語らせますが、無節操もはなはだしい。今回の尖閣国有化をめぐっては、7月の段階ですでにCCTV4の「中国新聞」で、 「非法」(不法)、「購島」(島の政府買い上げ)、「閙劇」(茶番劇)」をキーワードに連日日批判を繰り返していました。 9月13日の昼ニュースは、最初から30分間、尖閣問題のオンパレード。小生はこのままでは済まないと思っていたのですが、同日夜NHKの「ニュース9」と、翌14日の「おはよう日」7時~7時45分のニュースには「尖閣なし」。あまりにも大きなギャップに絶句―― このジャーナリストの絶句に近い体験を私はこの半年、数回味わった。 3月16日、国際善隣協会で講演した際には、2月16日夜、北京での日友好7団体の胡錦涛会見拒否に触れつつ、「40周年記念イベント

  • 明の上奏文に「尖閣は琉球」と明記 中国主張の根拠崩れる+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    中国・明代の『石泉山房文集』。赤線を引いた一節に赤嶼(大正島)が「琉球の境」と記されている=「四庫全書存目叢書」(荘厳文化公司)から 尖閣諸島(沖縄県石垣市)のひとつ、大正島について、中国・明から1561年に琉球王朝(沖縄)へ派遣された使節、郭汝霖(かく・じょりん)が皇帝に提出した上奏文に「琉球」と明記されていたことが、石井望・長崎純心大准教授(漢文学)の調査で分かった。中国は尖閣諸島を「明代から中国の領土で台湾の付属島嶼(とうしょ)だった」と主張しているが、根拠が大きく崩れることになる。◇ 尖閣の帰属に関しては1895(明治28)年に日が正式に領有した後の1920(大正9)年、魚釣島に漂着した中国漁民を助けてもらったとして中華民国駐長崎領事が石垣の人々に贈った「感謝状」に「日帝国八重山郡尖閣列島」と明記されていたことが明らかになっている。明代にも琉球側と記していた中国史料の存在が明ら