『北九州市史(民俗)』P.579に”大正寺の六地蔵”という項があります。これによると、八幡東区の東台良(ひがしだいら)という地区に大正寺があり、ここに現在5基残存している”六地蔵”がまつられているといいます。 もともと小倉藩主である小笠原忠真(ただざね)が、小倉北区の馬借町に六地蔵をまつったことにはじまるそうです。小倉北区にあった六地蔵が、どうして現在は八幡東区にあるのでしょうか?その経緯は以下のようになります。 ・小倉北区で、忠真氏が六地蔵をまつって地蔵軒をつくった ・その地蔵軒が、のちに円照院と名前をかえた ・明治維新のあと、円照院は小倉北区古船場町にあった大隆寺と合併した ・円照院と合併した大隆寺は、大正5年(1916年)に現在の地に移転された その忠真氏がまつったといわれる六地蔵を、大正寺にたずねてみました。結論からいうと、境内の墓地近辺に石仏がたくさんあり、どの石仏が忠真氏がまつ
![もともと小倉北区にあった大正寺の六地蔵 福岡県北九州市八幡東区帆柱 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/d317b99c63f17fa252c65a0b52c264df426cc066/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn-ak.f.st-hatena.com%2Fimages%2Ffotolife%2Fr%2Fregenerationderhydra%2F20200913%2F20200913172303.jpg)