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photoとhistoryに関するKochelのブックマーク (16)

  • ストリートビューに世界遺産の写真 GoogleがUNESCOと提携

    Googleは12月3日、ストリートビューで世界遺産の写真を公開するべく、UNESCO(国連教育科学文化機関)と提携したと発表した。 提携の下、Googleは英国のストーンヘンジやイタリアのポンペイ遺跡など、欧州の18カ所の世界遺産の写真をストリートビューに追加した。さらに数カ月以内に、日、米国、オーストラリア、ブラジルなど、現在ストリートビューを提供している地域の世界遺産画像を、管理者の許可を得て公開する予定だとしている。 現在公開されている世界遺産は以下の通り。 スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ、カセレス旧市街、歴史的城壁都市クエンカ、サラマンカ旧市街、アービラの旧市街と城壁外の教会群、セゴビアの旧市街と水道橋、古都トレド フランスのセーヌ河岸の歴史的建造物群 イタリアのポンペイ、エルコラーノおよびトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域、シエナ歴史地区、ウルビーノの歴史地区、サ

    ストリートビューに世界遺産の写真 GoogleがUNESCOと提携
  • 氷河の中で見つかった男性のミイラ「アイスマン」をじっくりと見られる「Iceman photoscan」

    1991年、イタリアとオーストリアの国境にあるエッツ渓谷で男性の遺体が発見されました。発見したのは登山者で、最初は遭難者だろうと思っていたそうですが、調べてみたところなんと5300年前の男性のミイラであることが判明しました。また、どうやら狩猟者だったらしいことも調査で判明しています。「アイスマン」の名で有名なこのミイラはイタリアのボルツァーノ県立考古学博物館で公開されているそうですが、イタリアまで行かなくても詳細な写真を「Iceman photoscan」で見ることができます。 カラカラに乾いたミイラの写真ですが、完全に人の姿をしているので人によっては不快感を催すおそれがあります。注意して下さい。 詳細は以下から。 Iceman photoscan http://iceman.eurac.edu/ アイスマンの顔。体毛などは完全に抜け落ちてしまっているようです。 何かを持っていたのか、ちょ

    氷河の中で見つかった男性のミイラ「アイスマン」をじっくりと見られる「Iceman photoscan」
    Kochel
    Kochel 2009/03/31
    1991年、伊墺國境エッジ渓谷で発見された5300年前の男性ミイラ“アイスマン”(伊・ボルツァーノ県立考古學博物館で公開)
  • 【閲覧注意】世界の「拷問器具」:アルファルファモザイク

    編集元:ニュース速報板より「次回、世界の「 拷問器具 」をみんなで見よう」 1 すずめちゃん(長崎県) :2009/01/22(木) 17:24:53.19 ID:OqzJJCTc ?PLT(12000) ポイント特典 グアンタナモ収容施設の1年内閉鎖、22日に大統領令署名へ 【ワシントン=黒瀬悦成】オバマ米新大統領は執務開始初日の21日、キューバ・グアンタナモ米海軍基地内のテロ容疑者収容施設を1年以内に閉鎖する大統領令の草案を関係省庁に配布した。 米CNNテレビなどによると、大統領は22日に大統領令に署名し、施設内で行われた「過酷な尋問」などのせいで損なわれた米国の威信回復に向けた決意を国内外に示す。 新政権の高官がCNNに語ったところでは、大統領は22日、〈1〉グアンタナモの施設を1年以内に閉鎖〈2〉拷問の禁止〈3〉テロ容疑者拘束に関する政策見直し――を指示する三つの大統領令

    Kochel
    Kochel 2009/02/08
    『拷問全書』(原書房)持ってる。愛讀書だったなんてとてもいえない/日本は器具は地味だが縄の扱いが藝術的(不謹慎/>30:「世界の拷問 創刊号は190円」思わずググってしまった→出てこない→Σ(・ん・;メ)ネタ?!
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 昭和毎日:太宰治氏が入水自殺 - 毎日jp(毎日新聞)

    小説家の太宰治氏が未完の「グッド・バイ」を残して愛人と東京・三鷹の玉川上水に入水自殺した。40歳。青森県津軽地方屈指の素封家に生まれ、東大を中退。短編集「晩年」で文壇にデビュー、1947年発表の「斜陽」で流行作家となり、「斜陽族」という流行語を生んだ。4回の自殺未遂を重ねていた。代表作はほかに「富嶽百景」「走れメロス」「津軽」「人間失格」など。命日は「桜桃忌」と名づけられ、俳句の季語にもなっている。 <当時の新聞紙面>

  • 昭和毎日:永井荷風さん死去、79歳 - 毎日jp(毎日新聞)

    作家の永井荷風さんが胃潰瘍のために、千葉県市川市の自宅で死去した。79歳。所持金も少なく、孤独な老人の死だった。明治末期から耽美享楽の作風に転じ、花柳界などの風俗を描いた。代表作に「つゆのあとさき」「あめりか物語」「ふらんす物語」「すみだ川」、日記「断腸亭日乗」など。 <当時の新聞紙面> コメント 卒業論文は永井荷風と決めた直後の急逝でした。当時は第一次の荷風全集(中央公論社版)が刊行されてから年数が経過していたので、古書店を回りながら全巻集めるのに苦労したものです。耽読しては浅草、向島、深川、葛飾などをよく歩きました。荷風氏が死去されたとき、文芸評論家の中村光夫氏がラジオのインタビューで、「戦後の世相や風俗は荷風さんにとって絶好の題材を提供してくれたはずですが、大作をお書きにならなかったのは残念です」と語っていたのが印象に残っています。私も期待していた一人ですが、戦後の作品は小品(淡白な

  • 昭和毎日: 終戦直後の「食」 配給だけでは生きられなかった - 毎日jp(毎日新聞)

    戦争は終わったものの、「ひもじい」という言葉が世の中を覆いつくしていた。配給の料だけでは足りず、栄養失調死する人も少なくなかった。大蔵省は1946年、5人家族をモデルに「月500円の標準家計簿」を発表したが、当時の毎日新聞は、「標準家計簿で生活すると、実際に摂取できたカロリーは1109カロリー。成人男子の必要カロリーの半分以下」との試算を紹介している。 人々は焼け残った着物や家財を元手に、買い出しとヤミ市に頼る「たけのこ生活」を強いられた。政府の統制を逃れて物資が売買されたヤミ市は値が高く、農家から直接料を手に入れるための農村行き電車は「買い出し列車」と呼ばれ、混雑を極めた。しかし、買い出しは庶民であっても経済統制違反。当局に見つかれば没収されることもしばしばだった。 コメント 昔を思い出す写真でした。 今の生活から考えると想像もできない状況ですが、 こういった中でチャレンジ精神が生ま

    Kochel
    Kochel 2009/01/31
    「大蔵省は1946年、5人家族をモデルに「月500円の標準家計簿」を発表したが、当時の毎日新聞は、「標準家計簿で生活すると、実際に摂取できたカロリーは1109カロリー。成人男子の必要カロリーの半分以下
  • 昭和毎日: 戦時下の「食」 - 毎日jp(毎日新聞)

    太平洋戦争当時、国民は連合国とだけ戦っていたわけではなかった。日をめぐる戦況が悪化するにつれ、卓の上はどんどん貧しくなる一方。イモ、カボチャばかりの事、校庭なども畑に変え、雑草を使った料理も紹介された。空腹との戦いに必死だったあの時代を写真で振り返る。 コメント 写真集の多さに、感心しました。が、一覧している時に気になるのが「古き良き昭和の・・・」というバナー。勿論良い時代もあるのでしょうが、戦時下でののコーナーには、向いていないと思います。私は戦争を知らない世代ですが、両親や、祖父母より、戦争中の話は良く聞かされました。この時代を乗り越えてきた方々で、気を悪くされる方も居るのではないでしょうか? 投稿:渡辺 2008年8月24日 (日) 06:16 祖父母・両親とても感慨深げでした。 祖父母は、話すたびに記憶が曖昧でしたが写真を拝見し鮮明に思い出したようです。今まで1度も聞いたこ

    Kochel
    Kochel 2009/01/31
    戦時下の食事情を偲ばせる寫眞/何でもかんでも「古き良き時代」云々の惹句をつけることには私も違和感を感じる。
  • Morbid Anatomy

    Dear esteemed Morbid Anatomy Readers: This is a post to let you know that we have officially moved our blogging operations to a new platform, at Patreon. Many of our posts there are free. We also have a number of recorded lectures, interviews, illustrated articles, virtual tours. and more for our $5/month members. You can see a full table of contents here. You can visit the page here. We also have

    Kochel
    Kochel 2008/12/24
    解剖學に特化したBlog. 藝術的な多数の図版。
  • 旧長崎刑務所・その後 :: デイリーポータルZ

    明治の五大監獄のひとつだった旧長崎刑務所が取り壊されるということで、昨年取り壊しの直前に内部が一般公開された。その様子を以前「衝撃の廃墟/旧長崎刑務所を訪ねる」という記事で書いた。 あれから約1年半。たぶんもう壊されてないんだろうと思いつつも、その後どうなったかずっと気になっていた。というわけで、行って見て来た。 ついでに、同じく五大監獄のひとつだった旧鹿児島刑務所跡も先日見て来たので、そちらの様子も紹介したい。 (T・斎藤) 壊す前の様子 まずは復習の意味を込めて、昨年(2007年)5月に撮影した写真を見て、壊す前の様子がどんなだったかを思い出して頂きたい。 せっかくなので、前回の記事には載せなかった写真を選んでみた。

  • 衝撃の廃墟/旧長崎刑務所を訪ねる :: デイリーポータルZ

    “明治の五大監獄”のひとつと言われる旧長崎刑務所。明治時代に作られた赤レンガの建物で、文化財に指定されてないのが不思議なくらいの、立派なシロモノだ。長崎は諫早市にある。 これが15年前に閉鎖されて以来ずっと放置され、現在はすっかり廃墟と化している。 明治の建物、赤レンガ、しかも刑務所、しかも廃墟。これが住宅街にあるのは、なかなか異様な光景だったが、今年の6月から、ついに取り壊されることになった。 その最後の姿を写真に収めて来ました。 (text by T・斎藤) 100年前に建てられた建物 旧長崎刑務所が建てられたのは、今から100年前の明治時代。近代国家を目指す明治政府が、諸外国に比べて劣悪だった監獄状況を改善すべく、海外を視察し、研究して作った五大監獄のひとつ。 明治の五大監獄は他に、千葉・奈良・金沢・鹿児島がある。 千葉と奈良は門や館などが現在も現役で使用中、金沢と鹿児島は取り壊し

  • 5万以上もの十字架で埋め尽くされている丘 - GIGAZINE

    リトアニア共和国のシャウレイという町にある十字架の丘。もの凄い量の十字架がありますが、墓地というわけではありません。ロシアの圧制により処刑された人々や、シベリアへ流刑されたリトアニア人を悼んで、自然と人々が十字架を持ち寄るようになり、いつしかこのような状態になったそうです。 詳細は以下から。 ソ連軍はこの十字架の丘を何度も消そうとしたのですが、十字架が撤去される度にまた新たな十字架が立てられたそうです。 English Russia >> Hill of Crosses in Lithuania こちらのリンクからは過去の十字架の丘の写真も見られます。 Keresztek Hegye YouTubeにムービーもあります。 YouTube - Hill Of Crosses

    5万以上もの十字架で埋め尽くされている丘 - GIGAZINE
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    Kochel 2008/12/20
    哀しくも荘厳な光景
  • elenafilatova.com

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    Kochel 2008/12/20
    Filatova Elena Vladimirovnaという女性がチェルノブイリを訪問して詳細にレポートしたもの
  • チェルノブイリは事故から21年経ってどのような姿になったのか

    1986年4月26日、チェルノブイリ原発で事故が発生しました。事故による影響は大きく、チェルノブイリのあった現在のウクライナだけではなく、隣国のベラルーシやロシアにも汚染が広がりました。当時のソビエト政府はチェルノブイリ周辺の区域の住民を避難させ、事故から一ヶ月後には原発から30km以内に居住する約11万6千人すべてが移住させられたそうです。 そのチェルノブイリは、現在どのような姿になっているのでしょうか。これはIAEA(国際原子力機関)によるチェルノブイリ訪問レポートです。 Revisiting Chernobyl: The Bitter and the Sweet - Part 1 | IAEA https://www.iaea.org/newscenter/multimedia/photoessays/revisiting-chernobyl-bitter-and-sweet-par

    チェルノブイリは事故から21年経ってどのような姿になったのか
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    Kochel
    Kochel 2006/02/22
     ベルギー・VILLERS-LA-VILLE・シトー派修道院遺跡。
  • ヘルマン・ヘッセへゆかりの地、カルプ/マウルブロン修道院/チュービンゲン/バーゼル/ガイエンホーフェン/ベルン/モンタニョーラ ペーター・カーメンチントの風景チューリヒ/ミラノ/ア�

    ヘルマン・ヘッセへの旅    JOURNEY TO HERMANN HESSE■ヘッセの人生とゆかりの地・ カルプ/マウルブロン修道院/チュービンゲン/バーゼル/ガイエンホーフェン/ベルン/モンタニョーラ  ■ペーター・カーメンチントの風景・チューリヒ/ミラノ/アッシジ日人にはヘッセ好きが多いというが、そういう人に直接出会ったことがないのは残念だ。ファンは私よりかなり前の世代に多いのかもしれない。あんなにも自己の真実に根ざした、かつ美しい文章が書ける作家を、私はほかに知らない。ヘッセの人生とゆかりの地 ヘルマン・ヘッセは、1877年、南ドイツのシュヴァーベン地方にある小さな町、カルプで生まれた。 カルプはシュワルツワルト(黒い森)に囲まれた、ナーゴルト川がゆったりと流れる谷あいの町で、ヘッセは誕生から4歳までと、9歳から13歳までの間をここで過ごした。その期間は決して長くはな

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