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ブックマーク / blog.tatsuru.com (25)

  • 世界にとっての悪夢 - 内田樹の研究室

    体調はまだ上向きにならない。 ミヤケ先生によると、風邪で薬物をたくさん摂取したために肝機能が低下して、それでさまざまな障害が起きているらしい。 同時多発障害である。 それでも月曜の晩の最低レベルからはすこし浮上して、ふらふらと大学にでかける。 ゼミを二つ。どちらも前期最終回である。 3回生のゼミは「改憲」問題、大学院は「中華思想」。 九条改憲問題については、これまでずいぶん書いてきたけれど、どうもゼミ生諸君の中にはブログ上の私の憲法論議を熟読玩味された方はあまりおられないようである。 仕方がないので、超高速で私の改憲についての意見を申し上げる。 あまりに超高速だったので話している私にも意味不明だった。 興味深かったのは「改憲賛成」だった学生諸君が一様に「改憲しないと、外国が侵略してきたときに対応できない」という改憲派の議論を論拠としていたこと。 「どこが侵略してくるの?」 と訊くと、みなさ

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    KoshianX 2022/03/13
    "日米安保が機能しないで、日本が侵略された場合" として描かれた日本復活のシナリオが興味深い。確かに日本人のメンタリティならこうなりそうな気がする。アメリカはそれを理解してるだろうか。
  • 親族の基本構造 - 内田樹の研究室

    大学院では今期は「家族論」をやっている。 今回のお題は「父親」。 発表担当のマスダさんがいろいろな論者の家族論・父親論を引用してくれたので「父親をめぐる言説史」を一覧できた。 日人の家族論の多くがサル学の知見に依拠しており、精神科医たちまでが霊長類の「延長」として家族をとらえていることに私は一驚を喫した。 人間の家族はゴリラやチンパンジーの「家族」とは成り立ち方が違う。 レヴィ=ストロースは家族論を語るときの必読文献だと私は思うのだけれど、家族論者のどなたもこの人類学者の知見には特段のご配慮を示されておらないようである。 よい機会であるので、レヴィ=ストロースの「親族の基構造」の考想を簡単にご紹介しておこう。 レヴィ=ストロースはラドクリフ=ブラウンの先行研究をふまえて、親族の基単位が四項から成ると論じている。 「ラドクリフ=ブラウンによれば、伯叔父権 (avunculat) という

    KoshianX
    KoshianX 2019/08/06
    へえ、これはちょっとおもしろい話だった。男には価値がないから交換の対象にならず、それゆえに交換を承諾する存在として男権が確立していったってことかなー。
  • 「民の原像」と「死者の国」 - 内田樹の研究室

    高橋源一郎さんと昨日『Sight』のために渋谷陽一さんをまじえて懇談した。 いろいろ話しているうちに、話題は政治と言葉(あるいは広く文学)という主題に収斂していった。 そのときに「政治について語る人」として対比的に論じられたのが「安倍首相」と「天皇陛下」だった。 この二人はある決定的な違いがある。 政策のことではない。霊的ポジションの違いである。 それについてそのときに話しそこねたことを書いておく。 なぜ、日リベラルや左翼は決定的な国民的エネルギーを喚起する力を持ち得ないのかというのは、久しく日政治思想上の課題だった。 僕はちょうど昨日渡辺京二の『維新の夢』を読み終えたところだったので、とりわけ問題意識がそういう言葉づかいで意識の前景にあった。 渡辺は西郷隆盛を論じた「死者の国からの革命家」で国民的規模の「回天」のエネルギーの源泉として「民に頭を垂れること」と「死者をとむらうこと」

    KoshianX
    KoshianX 2017/01/17
    確かにそれはあるかも。死者を背負ってるというのは「戦争時代の負の遺産を子供たちに引き継がせる訳にはいかない」という演説にも現れてたしねえ。多くの子供を持つ人たちが共感したのは間違いないだろうな……
  • 特定秘密保護法案の廃案を求めるアピール - 内田樹の研究室

    佐藤学先生からお声がけを頂きました、特定秘密保護法案の衆院強行採決に抗議し、廃案を求める学者たちからのアピールに参加した。以下、そのアピールの全文と賛同者たちの氏名を掲げておく。 アピールは明日(11月28日)午後1時に学士会館でメディアに公式発表の予定。その段階で、賛同者のリストはさらに長くなるはずである。 特定秘密保護法案の衆議院強行採決に抗議し、ただちに廃案にすることを求めます 国会で審議中の特定秘密保護法案は、憲法の定める基的人権と平和主義を脅かす立法であり、ただちに廃案とすべきです。 特定秘密保護法は、指定される「特定秘密」の範囲が政府の裁量で際限なく広がる危険性を残しており、指定された秘密情報を提供した者にも取得した者にも過度の重罰を科すことを規定しています。この法律が成立すれば、市民の知る権利は大幅に制限され、国会の国政調査権が制約され、取材・報道の自由、表現・出版の自由、

    KoshianX
    KoshianX 2013/11/28
    "指定される「特定秘密」の範囲が政府の裁量で際限なく広がる危険性を残し" の部分がどうなのかちょっとわかんなかった。ぱっと見法文は範囲がきちんと決められてるように見えたのだが、抜けられるようにできてる?
  • 日本のシンガポール化について 実態 (内田樹の研究室)

    「シンガポールに学べ」という論調をよく見かける。 今朝の毎日新聞にもそういう記事が出ていた。 こんな記事である。 シンガポールの高級住宅街に一人の米国人移民が暮らす。ジム・ロジャーズ氏(70)。かつてジョージ・ソロス氏と共にヘッジファンドを設立。10年間で4200%の運用成績を上げたとされる伝説的投資家だ。市場は今もその言動を追う。 「シンガポールは移民国家だからこそ、この40年、世界で最も成功した国となった。移民は国家に活力や知恵、資をもたらす」。プールサイドで日課のフィットネスバイクをこぎながら熱弁をふるう。 シンガポールの人口531万人のうち4割弱が外国人。超富裕層から肉体労働者までさまざまな移民を積極的に受け入れる。少子化にもかかわらず人口は過去10年で100万人以上増えた。1人あたり国内総生産(GDP)は2012年は世界10位。5万ドルを超え、日をしのぐ経済成長を遂げる。「外

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    KoshianX 2013/08/20
    人権より平和よりお金が大事、かあ。日本人はどちらを選ぶんだろうねえ
  • セックスワークについて - 内田樹の研究室

    寺子屋ゼミで「セックスワーク」についてゼミ生から質問を受けた。 「話すと長い話になるから」ということでその場はご容赦願ったのであるが、橋下発言をめぐって「セックスワーク」についての原理的な確認をしておきたいと思って、筐底から旧稿を引き出してきた。 2003年に『岩波応用倫理学講義』(金井淑子編、岩波書店)に書いたものである。 そこでは社会学者たちの「売春擁護論」に疑問を呈した。 同じ疑問を私は今回の橋下発言をめぐる賛否のコメントについても感じている。 セックスワーク-「セックスというお仕事」と自己決定権 はじめに 最初に正直に申し上げるが、私自身は、セックスワークについて専門的に考究したこともないし、ぜひとも具申したいような個人的意見があるわけでもない。ときどき、それに関する文章を読むが、数頁(場合によっては数行)読んだだけで気持ちが沈んできて、を閉じてしまう。 困ったものではあるが、私

    KoshianX
    KoshianX 2013/05/29
    理論的に正しくなくても実践でやらなくてはならないこと、山ほどあるね。そのうちの一つが売春婦の人権保護ということになるわけか。そりゃそうだとしか言いようがない
  • 経済成長の終わりと贈与経済の始まりについて - 内田樹の研究室

    平松邦夫さんの新しい政治運動のためのシンポジウムがあった。 労働組合や既成政党が土台という「ふるい」タイプのムーブメントはもう賞味期限が切れていると思うけれど、それへのオルタナティブがみつからない。 「オルタナティブがみつからないで困ったよ」という全員の困惑がはっきり前面に出ていたという点で、私にはなんとなく新鮮であった。 平松さんの市長時代の最後のパーティは選挙応援のためのものだった。3000人くらい集まった集会で、たいへんな熱気だったけれど、労組、政党、業界団体が集票マシンになるという、「ふるいタイプ」の集まりだった。こういうやり方では変化の激しい時代には対応がむずかしいだろうという気がした。 そのときよりはるかに人数は減っていたけれど、昨日のシンポジウムでは明らかに「みんな戸惑っていた」。 これはよい徴候だろうと私は思った。 戸惑うときには、しっかり戸惑った方がいい。 今までのやり方

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    KoshianX 2012/04/08
    評価経済の一側面でもあるよねこれって
  • ネット上の発言の劣化について - 内田樹の研究室

    個人的印象だが、ネット上での匿名発言の劣化がさらに進んでいるように見える。 攻撃的なコメントが一層断定的になり、かつ非論理的になり、口調が暴力的になってきている。 これについては、前に「情報の階層化」という論点を提示したことがある。 ちょっと長い話になる。 かつてマスメディアが言論の場を実効支配していた時代があった。 讀賣新聞1400万部、朝日新聞800万部、「紅白歌合戦」の視聴率が80%だった時代の話である。 その頃の日人は子どもも大人も、男も女も、知識人も労働者も、「だいたい同じような情報」を共有することができた。 政治的意見にしても、全国紙の社説のどれかに「自分といちばん近いもの」を探し出して、とりあえずそれに同調することができた。 「国論を二分する」というような劇的な国民的亀裂は60年安保から後は見ることができない。 国民のほとんどはは、朝日から産経まで、どれかの新聞の社説を「口

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    KoshianX 2011/08/01
    あまりにも多様で大量な情報が流れる今、階層化は避けられないだろう。重要なのは階層化に反対することではなく、よりマシな階層を構築することだ
  • 暴言と知性について - 内田樹の研究室

    復興相が知事たちに対する「暴言」で、就任後わずかで大臣を辞任することになった。 この発言をめぐる報道やネット上の発言を徴して、すこし思うことがあるので、それについて書きたいと思う。 松大臣が知事に対して言ったことは、そのコンテンツだけをみるなら、ご人も言い募っていたように「問題はなかった」もののように思われる。 Youtube で見ると、彼は復興事業は地方自治体の自助努力が必要であり、それを怠ってはならないということを述べ、しかるのちに「来客を迎えるときの一般的儀礼」について述べた。 仮に日語を解さない人々がテロップに訳文だけ出た画面を見たら、「どうして、この発言で、大臣が辞任しなければならないのか、よくわからない」という印象を抱いたであろう。 傲慢さが尋常でなかったから、その点には気づいたかもしれないが、「態度が大きい」ということは別に政治家が公務を辞職しなければならないような

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    KoshianX 2011/07/06
    この文脈でいうバカを増やす人が多いのは事実だわな
  • 未曾有の災害のときに - 内田樹の研究室

    3月13日 東日巨大地震から三日目。 朝刊の見出しは「福島原発で炉心溶融の恐れ」と「南三陸町で1万人行方不明」。 16年前の大震災を超える規模の国家的災厄となった。 これからどうするのか。 このような場合に「安全なところにいるもの」の基的なふるまいかたについて自戒をこめて確認しておきたい。 (1)寛容 茂木健一郎さんも今朝のツイッターで書いていたけれど、こういう状況のときに「否定的なことば」を発することは抑制すべきだと思う。 いまはオールジャパンで被災者の救援と、被災地の復興にあたるべきときであり、他責的なことばづかいで行政や当局者の責任を問い詰めたり、無能力をなじったりすることは控えるべきだ。彼らは今もこれからもその公的立場上、救援活動と復興活動の主体とならなければならない。不眠不休の激務にあたっている人々は物心両面での支援を必要としている。モラルサポートを惜しむべきときではない。

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    KoshianX 2011/03/13
  • リンガ・フランカのすすめ - 内田樹の研究室

    大学院のゼミで、シェークスピアの受容史について論じているときに(いったい何のゼミなんだろう)通訳翻訳コースの院生から、私の論の中にあった「言語戦略」という概念についての質問を受ける。 言語は政治的につよい意味を持っている。 母語が国際共通語である話者は、マイナー語話者(たとえば日語話者)に対してグローバルな競争において圧倒的なアドバンテージを享受できる。 なにしろ世界中どこでも母語でビジネスができ、母語で国際学会で発表ができ、母語で書かれたテクストは(潜在的には)十億を超える読者を擁しているのである。 自国のローカルルールを「これがグローバル・スタンダードだ」と強弁しても、有効な反論に出会わない(反論された場合でも、相手の英語の発音を訂正して話の腰を折る権利を留保できる)。 だから、自国語を国際共通語に登録することは、国家にとって死活的な戦略的課題である。 ご案内のとおり、20世紀末に、

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    KoshianX 2010/09/15
    ここでいうリンガ・フランカとしての poor english はすでに否応無しに成立してると見てもいいと思うよ
  • 英語嫌いを作る方法 - 内田樹の研究室

    電話取材で英語社内公用語論についてコメントを求められる。 必ず失敗するだろうと予言する。 英語を社内公用語にするということは、英語運用能力と年収や地位の相関性が高まるということである。 とりあえず英語ができない人間は、どれほど仕事ができても、幹部には登用されない。なにしろ会議に出ても、みんなが何を話しているのかわからないんだから。 そのような人々は会社を移らざるを得ない。 「仕事はできるが英語はできない」という人間を排除して、「仕事はできないが英語はできる」という人間を残した企業がそれによってアクティヴィティを高めるであろうという見通しに私は与さない。 現に、英語運用能力と「報償」の相関をダイレクトなものにしたことによって、日人の英語運用能力の劣化は生じたと私は考えている。 現在の日の大学生の英語運用能力の劣化は著しい。 たぶん現在、日の大学入学生の半数近くは中学二年程度の文法知識さ

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    KoshianX 2010/07/22
    心理学の教科書的には、自発的な行動に報酬を用意すると動機付けが弱まるってのはあったけど。やりたくないことには報酬があったほうが動機付け高かったような
  • 英語公用語化について - 内田樹の研究室

    「ユニクロが公用語、英語に」という新聞の見出しを見て、「UNIQLO」という単語が英語の辞書に採択されたのか、すげえと思っていたら、そうではなくて、社内の公用語が英語になったのである。 日の企業ではすでに日産と楽天が公用語を英語にしているが、ユニクロも「日のオフィスも含めて、幹部による会議や文書は基的に英語とする」ことになった。 柳井正会長兼社長は「日の会社が世界企業として生き残るため」と語っている。 海外で業務ができる最低限の基準として、TOEIC 700点以上の取得を求めるのだそうである。 こんな時代にサラリーマンをしていなくてよかったなあ、と心底思う。 英語が公用語という環境では、「仕事はできるが英語はできない」という人間よりも「仕事はできないが英語ができる」という人間が高い格付けを得ることになる。 英語が公用語になったある学部では、英語運用能力と、知的ランキングが同期してし

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    KoshianX 2010/06/25
  • Twitter と自殺について - 内田樹の研究室

    一般入試 CD 日程。 AB 日程というのが1月29日30日にあって、その合否発表のあとに、2週間ほどおいて次の入試がある。 2月あたまが私学の一般入試の集中時期である。 そのときの合否の発表がもうほぼ終わっている。 2月中旬に行われるこの CD 日程は、さきに第一志望校の受験に失敗した受験生たちの「敗者復活戦」である。 すでに第一次志望校に合格したものは、出願はしたが、実際に受験には来ない。 だから、試験場の座席はけっこう「歯抜け」状態になるのがふつうである。 今年はその「歯抜け度」が小さい。 入学センターの諸君とこの「歯抜け度」の意味について考える。 あれこれ考えたが、やっぱりよくわからない。 この事態を説明する可能性として、いちばん妥当なのは、上位校が合格者を絞り込んできたせいで、現段階でまだ合格通知を手にしていない受験生がかなり多数残っていて、かつ学が「抑え」としてそれなりに高い

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    KoshianX 2010/02/14
    新富裕層の登場と格差固定を同時に論じられて違和感があった時代が5年くらい前にあったな。あのとき何が起きてたのか分析した方がいい気がする
  • みんな知ってる「密約」って何? - 内田樹の研究室

    1969年11月、沖縄返還の交渉過程で、当時の佐藤栄作首相とニクソンアメリカ大統領のあいだで交わされた沖縄への有事の際の核持ち込みを認める密約文書を、元首相の遺族が公開した。 沖縄返還は公式には「核抜き」での合意であったが、同時に密約で沖縄への核兵器再持ち込みが許容されていた。 核持ち込みは事前協議の対象案件だが、これについても「遅滞なく必要を満たす」とあり、事前協議が事実上空洞化していたことが明らかになった。 という新聞記事を読んで「びっくりした」という日人が何人いるであろう。 佐藤元首相は「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」といういわゆる「非核三原則」を掲げて世界平和に貢献したという理由で1974年にノーベル平和賞を受賞した。 私はそのニュースのときの方がよほど「びっくり」した。 55歳以上のおおかたの日人も私と同じような反応を示したのではないかと思う。 ノーベル賞のときにはび

  • 人間はどうして労働するのか - 内田樹の研究室

    『日の論点2010』(文藝春秋)が届いた。 そこに「労働について」一文を寄せている。 こんなことを書いた。 「働くとはどういうことか」 編集部から「働くとはどういうことか」というお題を頂いた。この問いがトピックとなりうるという事実から私たちはさしあたり次の二つのことを推論することができる。 (1)「働くことはどういうことか」の定義について、現在のところ一義的な定義が存在しない(あるいは定義についての国民的合意が存在しない)。 (2)そのことが「うまく働けない」若い人たちが存在することの一因だと思われている。 だが、「働くとはどういうことか」についての一義的な定義や国民的合意が存在しないことを私は特に困ったことだと思っていない。その理路を述べたいと思う。 人間だけが労働する。動物は当面の生存に必要な以上のものをその環境から取り出して作り置きをしたり、それを交換したりしない。ライオンはお腹が

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    KoshianX 2009/12/16
  • 日本はどこへ行くのか - 内田樹の研究室

    先週、毎日新聞の論説委員の広岩さんが見えて、「平和を語る」というお題で、しばらくお話をした。 広岩さんは何年か前に私が毎日新聞の紙面批評を頼まれたときに、司会をしてくれた人である。 たいへん冷静で目配りのゆきとどいたジャーナリスだった。 それからは毎日新聞で広岩さんの署名記事があると、まじめに読むようにしている。 お会いしたとき、広岩さんは日の言論の急速な「右傾化」にずいぶん心を痛めていた。 とくに一部で突出している核武装論と、それに対する若者たちの無警戒に危機感を示しておられたので、もっぱら話題はそれに終始した。 先日、テレビ政治討論番組で、あるジャーナリストが、日に外交力がないのは、軍事の裏付けがないからである。防衛にもっと金をかけなければ、日は隣国から侮られるばかりであると主張していた。 それは違うと思う。 日が外交的に国際社会で侮られているのは事実であるが、それは軍事力の

    KoshianX
    KoshianX 2009/08/11
    かなり真っ当な意見に見える。ビジョンを示せる政治家かあ
  • 反省しない人々 - 内田樹の研究室

    海の日。 世間は休みであるが大学は開校日である。 どうして国民の休日に大学の授業があるかというと、文科省が「すべての曜日半期15回必ず授業をやるように」と強く要望しているからである。 月曜日は休日に当たっていることが多いので、15回やろうと思うと、8月中旬まで補講をしないといけない。 亜熱帯の日でどうしてお盆のころまで授業をしなければならないのかと思うのだが、日人の壊滅的な学力低下に対して文科省はとりあえず「15週確保」しか思いつかないのである。 14週を15週にしたくらいで学生の学力が上がるなら誰も苦労はしない。 15週にして学力が上がるなら、20週にすればもっと上がる道理である。月月火水木金金一年365日休みなしで授業をすればさらに学力は上がる道理である。 もちろんそんなことをしても学力低下は止まらない(やれば、わかる)。 教室で眠る生徒や、遊ぶ学生や、そもそも学校に来ない子どもが

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    KoshianX 2009/07/22
    文科省のやることはまとはずれなことが目立つなあ
  • 入試「改革」のご提言について - 内田樹の研究室

    センター入試の日に新聞の社説に入試改革の提言が載せられている。 毎日新聞の社説子はこう書いている。 「少子化や規制緩和の大学増設なので大学の学生獲得競争が次第に強まり、科目を減らしたり独自学力試験をしないなど、試験を安易にする傾向が現れた。 時間をかけ多角的に審査するはずのAO(アドミッション・オフィス)入試や従来の推薦入試も形骸化が指摘される。4割以上が学力検査をくぐらず入学するまでになっている。 一方で大学生の深刻な学力低下が報告される。6割の大学が高校レベルの補習をするなど基礎学力の補完をしている。そうしないととても専門教育ができないという。基的な教養の欠落も指摘されている。」 ご指摘の通りである。 そのことに私たち大学人も深く苦しんでいる。たぶん、日でいちばんそのことに苦しんでいるのは、「基礎的な学力」のない学生たちと現場で向き合っている私たちである。 そのわれわれに向かって論

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    KoshianX 2009/01/21
    みんながクラス全体のレベルさげただけじゃ意味が無いことに気づけばいいんだけど……/ガリ勉はダメという価値観あるよなあ実際……
  • 株価って何 - 内田樹の研究室

    東京株式市場の日経平均株価が昨日一時的に7000円を切った。1982年以来の水準だそうである。 1982年といえば、うちの娘が生まれた年である。 育児に忙しくて、その頃の日の経済状態がどうだったのか、あまりよく覚えていない。 でも、人々が困窮し、ばたばた倒産が続いていたというような記憶はない。 それなりに平和で豊かな時代だったような気がする。 あの時代にまた戻ったとしても、私は別に構わない。 「なんと愚かな、26年前と比較しても何の意味もないではないか」と経済通は言うだろう。 その時代とは物価も国際環境も為替レートも違うんだから、比較するのはナンセンスだ、と。 いや、おっしゃるとおりだと思う。 だから、「26年前の水準まで下がった」という新聞一面の活字にも何の意味もないと私は思うのである。 株価以外の条件が違うのだから、「株価が同じであった時代」を持ち出して比較することには何の意味もない

    KoshianX
    KoshianX 2008/10/30
    ほお、元ネタはライバル配列側の論文だったのか。TVなんかでも打ちにくく作った説見た覚えあるなあ