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ブックマーク / srad.jp/~kazekiri (11)

  • ドットコムバブルの終焉とVA Linux Systemsの崩壊 | kazekiriの日記 | スラド

    https://shujisado.com/2017/07/18/13343027/へ移転 LinuxWorldの基調講演という場で華々しく発表されたAndover.netの買収はオープンソースコミュニティへは大きなインパクトを与えたが、市場の反応はその逆だった。ハードウェア事業とはかけ離れた事業に大きく投資する意味を当時では見出すことは難しいことは容易に想像できる。そのため、VA Linux社はまた即座に行動しなければなかった。 このあたりからVA Linux社の歯車が狂ったように私は考えているが、この2000年2月から崩壊までのVA Linux社の行動を追う。 パニックバイ 3月に入り、VA Linux社は上場後初めての四半期決算の発表を行う。売上はわずかながらのとうとう2,000万ドルを越え、粗利も増加し、1,000万ドルの損失を出しながらも成長率を加味すれば割と明るい決算だったよう

    ドットコムバブルの終焉とVA Linux Systemsの崩壊 | kazekiriの日記 | スラド
    KoshianX
    KoshianX 2017/07/18
    VA Linux 、日本側とアメリカ側でこんなにも差があったのなあ。住友商事がソフトウェアビジネスへの移行をちゃんと考えてたのはすごい。ふーむ。
  • 映画「Revolution OS」について | kazekiriの日記 | スラド

    http://shujisado.com/2017/06/20/612963/へ移転 例によって一回脱線し、既に何度か言及している「Revolution OS」という映画について書いておく。 Revolution OSは、Richard Stallmanが開始したフリーソフトウェア運動とGNUの誕生からLinuxカーネル、伽藍とバザール、オープンソースの誕生、そしてVA LinuxのIPOまでの歴史とそれに関連する思想をまとめたドキュメンタリー映画である。私がこの一連のVAの歴史において触れてきた人物、RMS、ESR、Linus Torvalds、Bruce Perens、CygnusとしてMichael Tiemann、VA LinuxCEOのLarry Augustinらのインタビューから主に構成されている。また、SVLUGでのインストールフェスタの模様、Microsoftのオフィス

    映画「Revolution OS」について | kazekiriの日記 | スラド
    KoshianX
    KoshianX 2017/06/20
    なんだかなあ。米国側の VA Linux の存在を無視することにした VA Linux Systems Japan というの、slashdot の存在を無視することにした srad 感あって歴史は繰り返す的な何かのように見える……。
  • VA LinuxのIPO:13ドル、23ドル、30ドル、そして 300ドルへ | kazekiriの日記 | スラド

    http://shujisado.com/2017/06/16/612862/へ移転。 LinuxOneの騒動でまだコミュニティがごたついていた1999年10月8日、とうとうVA Linux Systems社がIPOを申請した。Red Hatの後に何故か間に3社が挟まれ、それぞれ印象的な結果を残したが、市場はとうとう命がやってきたと騒ぎ始めた。 この時、Red Hatの株価は86ドル。 NASDAQ総合指数は2,800程度でこの半年前と比較すると300ほどの上昇であり、市場は当時としてはまだゆるやかな上昇の途中だった。 ゆるらかに動く10月 VA Linux社のIPOの計画はRed Hatのものと規模はさほど変わらない。全体の10%ほどに当たる440万株の新規発行で一株13ドルの価格が設定され、6,500万ドルを調達するものだった。直近1年間は売上1,770万ドル、損失1,450万ドルで

    VA LinuxのIPO:13ドル、23ドル、30ドル、そして 300ドルへ | kazekiriの日記 | スラド
    KoshianX
    KoshianX 2017/06/16
    2000年には オープンソースバブルが崩壊したのか。意外と早かったんだなあ。
  • ソースウェアムーブメントになっていたかもしれない話 | kazekiriの日記 | スラド

    http://shujisado.com/2017/05/19/612130/へ移転 VA社からは完全にずれるが、ソースウェア(Sourceware)という語についてもう20年近く心の奥底で気になっていたので供養として書いておく。 オープンソース受容へと動いたFreeware Summitにおいて、Cygnus Solutions創業者のMichael Tiemannがソースウェアという語句を提案していたことは前回の記事にて触れたが、この語は投票で敗れ、そのまま忘れ去られたというわけではない。現在もGDB、Binutils、CygwinといったCygnus社の影響が強かったフリーソフトウェアをホストするsourceware.orgのホスト名として残っている。 Cygnus Solutionsは、98年当時において最も成長を遂げていたフリーソフトウェア企業であり、GDB、GCC等のカスタマイ

    ソースウェアムーブメントになっていたかもしれない話 | kazekiriの日記 | スラド
    KoshianX
    KoshianX 2017/05/19
    オープンソースバブルの話の前段か。ソースウェアなんて言葉 、うっすら記憶にあるようなないような……
  • オープンソースの誕生 | kazekiriの日記 | スラド

    http://shujisado.com/2017/05/17/612085/へ移転。 VA Researchの歴史においてオープンソースは外せない話題であるが、特に1998年の2月から4月までの期間はVAを抜きにしてもオープンソースにとって極めて重要な出来事が多いのでやや詳細に書いていく。現在、一般的にオープンソースの誕生は下記のように説明されることが多いのではないかと思う。 「Netscapeブラウザのソースコード公開計画の公表を受け、1998年2月にLinuxフリーソフトウェアの開発者、コミュニティリーダーらがシリコンバレーに結集し、フリーソフトウェアに替わる用語としてオープンソースという言葉を生み出し、その定義を定め、オープンソースという商標を管理する組織を作った。Linus Torvaldsなどの著名なハッカーがそれに対して賛同し、一般に広まった。」 特にフェイクが含まれている

    オープンソースの誕生 | kazekiriの日記 | スラド
    KoshianX
    KoshianX 2017/05/17
    なるほど、オープンソースという言葉が誕生した経緯が詳しく書かれていて興味深い。 結局はESR の奮闘という感じもするけどいろんな人々が関わってできてきたんだなあ。
  • オープンソースの源流、VAリサーチ社の黎明期 | kazekiriの日記 | スラド

    https://shujisado.com/2017/05/15/612044/へ移転 昔々、VA Researchという会社がシリコンバレーにあった。この社名を知っている人は日ではほとんど存在しないが、この会社はVA Linux Systemsと名を変え、その後に歴史的な株式公開を果たして上場会社となったことでわずかに記憶が残っている人達もいることだろう。さらにこの会社はVA Software、SourceForge、Geeknetと名称を変更し続け、2015年に最後まで残った事業がゲームビデオゲームの小売で最大手となるGameStop社に買収され、独立企業としての生涯を終えた。 今となっては歴史から抹殺されているが、このVA Research社がオープンソースという言葉や運動に影響を与えたことは間違いなく、(傍系はまだ存在するが)直系となる企業はもはや存在していないので、いずれ私の記

    オープンソースの源流、VAリサーチ社の黎明期 | kazekiriの日記 | スラド
    KoshianX
    KoshianX 2017/05/16
    これは続きが楽しみだ。まさにオープンソースという言葉が生まれた現場からの歴史的な述懐になる、のかな。
  • Ian Murdockが亡くなった件 | kazekiriの日記 | スラド

    Ian Murdockが亡くなったそうです。Ars Technica、The Register、TechCrunch あたりで記事になっているので当のことなのでしょう。 Debianのプロジェクトリーダーと言えば、二代目となるBruce Perens が良くも悪くも目立つ存在であり、大きな政治力で1998年からのオープンソース運動を牽引したことで知られています。しかしながら、Debianの思想、組織、技術の全ての面においてIanがリーダーだった頃にその骨格が既に作られていたことは事実であり、Ianがその形成に重要な影響を与えたことは間違いないことです。また、Debian Projectという存在がなければ、オープンソース運動が思想的に開始できていたか怪しいですし、開始できていたにしてもDebianという牽引車がなければただの一過的なバズワードで終わっていた可能性もあるでしょう。彼が立ち上

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    KoshianX 2016/01/08
    あったなあこの騒動……。
  • 元理研研究者が小保方氏をES細胞窃盗で刑事告発するとか | kazekiriの日記 | スラド

    ES細胞の窃盗ということで理研OBが小保方氏を刑事告発すると、ジャーナリストの津田哲也氏がTwitterで明かしています。詳細は明日発売のフライデーというのは気になるところですが、告発状の作成を担当したという飯田橋総合法務オフィスのTwitterアカウントもその旨を肯定している流れなので、刑事告発自体はされるのだと思います。 まあ、理研調査委員会の最終報告は既に出ており、それでいて誰が若山研などにあったES細胞を持ち込んだのかは明らかにされなかったわけですので、理研にはこれ以上の追求は不可能なように思います。ということで、真相の完全解明を行う必要があると判断されれば、まあ警察が動く可能性もゼロではないのかなぁとも思ったりもしましたが、どうなんでしょうね...? 個人的には懲戒委員会の結果を待ってもいいんじゃないかとも思ってますが、ES細胞そのものの他に研究費の問題もあるのでいろいろ動いてく

    KoshianX
    KoshianX 2015/01/23
  • 吉野家のクリスマスイブは肉抜きで | kazekiriの日記 | スラド

    つい先程、急ぎの昼を取るために吉野家に行きました。並を頼んで待っていたのですが、直後に老女が右隣に座り、「牛すき鍋膳 肉抜き、お新香、けんちん汁」と発声しました。私も少々びっくりして聞き間違いかと思いましたが、店員も肉抜きとは聞き取れなかったようで、厨房の方に「牛すき鍋膳、肉少なめです!」と言ったところ、老女は慌てて「肉抜きです!」と念押ししてきました。この時点でちょっとテンションが上がりました。 どんなものが出てくるかとチラチラ隣席を見ていたわけですが、出てきてしまえば特に驚きはなく、あぁ確かに肉ないな... という程度です。この時点でもう普通に冷静になりました。全体を見渡せばその老女は、白菜のお新香、けんちん汁、そして白菜と玉ねぎの煮込みでご飯をべておられたわけですが、これはこれでアリだよなぁと思った次第です。少々高くつくかもしれませんが、私自身も吉野家で肉をいたいというより、腹

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    KoshianX 2014/12/24
  • [追記訂正アリ] 越後湯沢をdisる山本一郎がけしからんので越後湯沢フリークが反論してみる | kazekiriの日記 | スラド

    追記訂正が末尾にあります。 越後湯沢、いいところです。私の出身の富山と長く住んでいた金沢と東京との往復のための新幹線乗り換え駅となる越後湯沢駅には何百回とお世話になっていろいろ見知っていることもあり、家庭を持った後はお手軽な家族旅行先として越後湯沢は何度も利用しております。 越後湯沢は渓流の深い谷あいにある町でして、東西は険しい山地に囲まれております。それなりにリゾートマンションのようなものもあったりしますが、東京からは同じような距離にある軽井沢とは違いまして、ショッピングモールはないですし、こじゃれた商店街もありませんし、東京の有名レストランの支店があるということも全くありません。夏季シーズンですと、川遊び、渓流釣り、アスレチック、ハイキング、キャンプ、温泉ぐらいしかやることがありません。まあ、冬季だとスキーと温泉だけになるんですが。でも、それがいいんですね。 で、つい数週前も我が家は越

    KoshianX
    KoshianX 2014/10/23
    なるほどベビーカーと一口にいってもわざわざデカいの選ばなくてもいいだろってことか
  • STAP問題を時系列から眺める | kazekiriの日記 | スラド

    STAP問題がどんどん深みにハマっていってしまって気分がよろしくない。O氏が交戦的になったおかげで、内規通りに懲戒委員会を開いて処分を決定し、同時にSTAP検証を粛々と進めて決着させるという流れが破綻し、処分無効を求めるような訴訟もはさまって解明が全く進まないということも考えられる。 表記事にあるResearchGateでのKenneth Ka-Ho Lee 教授の実験は数日前から話題になっていたが、彼もとうとう見切ってしまったようで、STAP検証については世界に誰もやってくれない状況になったような気がしている。それでも人が否定しない限りは理研としては検証せざるを得ないだろう。訴訟もありえるのだし。 そもそも何故こんな事件が起きてしまったのだろうか。ということで、彼女の経歴を整理してみた。 2008年 早稲田博士課程へ進む そしてバカンティ教授の元へ留学 2011年3月 震災で日に留ま

    KoshianX
    KoshianX 2014/04/03
    幻の細胞ということになってフィクションの題材にでもなるんかな
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