脱北者の証言・番外編 11月のある日、朝日新聞ソウル支局に、一人の男性が訪ねてきた。脱北者で、話を聞いてほしいという。この男性は35歳で、1997年に脱北。中国を経て2005年12月にソウルへ来たという経緯を語り、保護された日本大使館へ感謝しているという。デジタル版の連載「脱北者の証言」の番外編として、書き記しておくことにした。 ◇ ――生い立ちを教えて下さい。 黄海北道沙里院(サリウォン)の出身で、父はトラックの運転手、母は小学校の教師。暮らしぶりは中産階級より上だった。それでも、日常生活は戦後とそれほど変わらなかったのかもしれない。電気のソケットもアイロンも、日帝時代(日本の統治時代)に使われていた製品の方が質が良かったから。 1995年に母が亡くなってから、すべておかしくなった。中朝国境近くの咸鏡道では94年ごろから飢饉(ききん)が始まっていた。黄海道は穀倉地帯だったが、96年には食