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ブックマーク / hiiragi-june.hatenadiary.org (18)

  • 「とても」は本来、否定を伴う語法だったとは! - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第328号、通巻348号) 「とても」という副詞を「全然」との関連でブログに取り上げたのは6年前のことだが、正直に言えば、とても、が来は打ち消しを伴う一種の“予告副詞”だということをそれまでは深く認識していなかった。だから、『日国語大辞典』第2版(小学館)に芥川龍之介が『澄江堂雑記』(1924年)で 「『とても安い』とか『とても寒い』と云う『とても』の(が)東京の言葉になり出したのは数年以前のことである。(一部略)従来の用法は『とてもかなはない』とか『とても纏(まと)まらない』とか云うように必ず否定を伴ってゐる。肯定に伴う新流行の『とても』は三河の国あたりの方言であらう」と書いているのを知って“とても”驚いた。 今回は“予告副詞”の焦点をしぼるつもりだが、その前に、「とても」の辞書的な意味・用法を調べよう。 『広辞苑』(岩波書店)や『大辞林』(小学館)などの国語辞典には、「とてもか

    「とても」は本来、否定を伴う語法だったとは! - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言
  • 続「赤とんぼ」。歌詞の謎 - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第249号、通巻269号) 「赤とんぼ」を子どもの頃、口ずさんでいて分からなかったのは1番の歌詞の「おわれてみたのは」の「おわれて」だった、という人が少なくない。漢字で「負われて」とあれば、誤解は避けられるが、耳から聴いただけでは「追われて」とも受け取られるからだ。いったい何に(or誰に)追われるのか、という疑問だ。もちろん、ここは「負われて」つまり「背負われて」の意。作詞者の三木露風《注1》は幼い頃、子守娘におぶわれて赤とんぼを見た、のである。子守娘とは、3番の歌詞に出てくる「姐や」を指す。 この「姐や」を「姉や」と勘違いし、露風の姉のことだと解釈している人もいる。文春文庫の高島俊男著『お言葉ですが…4 広辞苑の神話』に、ある雑誌を見ていたら〈現在では15歳で嫁に行くなどとは考えられないし、少子化で15歳の長姉が(歳の)離れた何番目かの弟を背負って子守りすることもなくなった〉とあったこ

    続「赤とんぼ」。歌詞の謎 - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言
    Lhankor_Mhy
    Lhankor_Mhy 2011/12/10
    『中学生、高校生の全員及び教員までもが『姐や』を『姉』と解釈し、生徒たちの母親も10人中9人が『姉』と思っていた』←すみません、今の今までそう思ってました。
  • 呉音は柔らかく、漢音は硬い - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第253号、通巻273号) 今年の文化勲章受章者の1人、作家の丸谷才一氏が岩波書店の『図書』11月号「無地のネクタイ18」に「呉音と漢音」と題してこんな話を書いている。「中学1年生のころ、呉音と漢音のことが気になって仕方がなかった。同じ『今』でも古今集の場合はコキンで、古今東西のときはココンとなる。キンが漢音でコンが呉音なのはわかるが、なぜ古今集をココンシュウと読まないのか」。 丸谷氏が少年時代から抱いていた疑問が70年数年後、高島俊男氏の『ことばと文字と文章と』(連合出版)を読んで氷解したという。このそのものはまだ私は目を通していないが、「呉音と漢音」について興味をそそられたので、たまたま手近にある高島氏の著作の中から『漢字と日人』(文春新書)を見つけ、ほかに『日の漢字』(笹原宏之著、岩波新書)や漢和辞典、百科事典などにも当たって漢字音について調べてみた。 漢字の読みの区別として

    呉音は柔らかく、漢音は硬い - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言
  • 「間人」と書いて何と読むか  - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第254号、通巻274号) 前号に引き続き漢字の読み方について。「人間」という2文字の順序を逆にして「間人」《注1》と書けば何と読むかご存じだろうか。京都など近畿方面の旅から戻り、最寄り駅に降り立って帰宅途中の知人とばったり出会った際、挨拶がてらの立ち話の中で「間人ガニ」《注2》と呼ばれる絶品のマツバガニを堪能してきたという土産話を聞いた。「間人」は「たいざ」と読むのだという。 もちろん、この言葉自体は「かんじん」とも読む。白川静の大著『字通』(平凡社)の「間人(かんじん)」には「ひま人」の用義例がある。また、『新潮日語漢字辞典』の「間人」の見出しの項には、2通りの読みが載せられている。最初に挙げられているのがやはり「かんじん」だ. 語義として「1)敵地に入り込んで情勢など探る人 2)用事がなくて時間をもてあましている人。また、俗世を離れて静かに暮らす人」と記述している。また、問題のマ

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  • 「エンスト」はエンジンストップの略じゃなかった - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第234号、通巻254号) 思い込みによる言葉の間違いは、辞書編纂(へんさん)者も凡人と同じように犯すことがあるようだ。 エンスト。意図しない所で不意に車のエンジンがストップしてしまうこと。この語は、エンジン・ストップ(engine stop)という英語を日流に略したものだ、と思い込んでいた。ところが、数日前、当ブログの愛読者の1人から「三省堂の辞書は間違いが多い。エンストをエンジンストップの略語だと、解説しているが、正しくは“エンジン・ストール”の略語である」という趣旨のコメントが寄せられた《注1》。 まさか、と思いながらもさっそく各辞書に当たってみた。いつもと手法を変えて、まず和英辞典を引くと、『スーパーアンカー和英辞典』(学研)は「エンスト」の項で「engine failure[stall]」と英語を示した後、「危ないカタカナ語」なるコラムを設けて次のように親切に教えている。 「

    「エンスト」はエンジンストップの略じゃなかった - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言
  • 「一定のメド」の意味のあいまいさ - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第230号、通巻250号) 菅首相が今月2日の民主党代議士会で述べた「一定のメド」発言が、首相の退陣時期がいつかという問題と連動して波紋を広げている。もう少し詳しく言うと「大震災対応に一定のメドがついた段階で若い世代に責任を引き継いでもらう」という内容だ。ここでは、政局から距離をおいて、言葉の観点から「一定のメド」の意味を考えてみたい。 まず、「一定(の)」の意味。手元にある大、中、小3種類の国語辞典4冊の語義をまとめると、1)一つに定まって動かないこと、決まっていて買わらないこと 2)決めた状態にすること 3)十分とはいえないが、ある程度――の三つに分類できる。このうち、3)については、「相応の」とか「まずまずの基準に達していること」とかのプラスイメージを出している辞書もある。 念のため、和英辞典にあたってみると、「温度は15度に一定してある(The temperature is ke

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  • 続「大地震」は「おお地震」か「だい地震」か - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第227号、通巻247号) 例外のない規則はない、と言われるが、接頭語「大」の読み方についての規則は、例外があまりに多い。前号で述べたように、「大」の後に漢語(音読みの語)が続く場合は「だい」、和語(訓読みの語)に続く時は「おお」という規則だ。 例外の典型として「大舞台」を挙げてみよう。「舞台」は漢語だから、上述の規則に従えば「だい舞台」となるはず。しかし、NHK放送文化研究所編『つかいこなせば豊かな日語』(NHK出版)によると、スポーツの国際大会など「世界の大舞台」と言う時は「だい舞台」と読むが、古典芸能の放送の際には「おお舞台」と言う。それ以外は両用の読みをしているそうだ。 「大所帯」は、「おお」と読む人もいれば「だい」と言う人もいるだろう。規則に合わせられないのは「大」+カタカナ語だ。たとえば「大スクープ」は、「だい」と言うのが普通。つまり、カタカナ語を“漢語”扱いにしているも同

    続「大地震」は「おお地震」か「だい地震」か - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言
    Lhankor_Mhy
    Lhankor_Mhy 2011/05/18
    『版と版の間の一貫性を欠くどころか、同じ一冊の辞書の中でもまったく統一がとれていないのだ』
  • 「大地震」は「おお地震」か「だい地震」か - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第226号、通巻246号) 東日大震災から11日で2カ月。未だに肉親が見つからない人もいれば、原発の放射能による“透明汚染”で自宅を追われている人たちもいる。惨禍をもたらしたあの大地震。NHKなど各放送局は“3.11”に限らず「大地震」を「おお地震」と読むのが常だが《注1》、世間一般では「だい地震」と発音する人の方が多いのではないだろうか。しかし……。 『NHKことばのハンドブック』(1992年3月25日発行)は、[接頭語「大」のつく言葉で、「だい」か「おお」か迷うことがよくあるが、「大地震」の場合は、正しくは「おおじしん」である] 《注2》と説明している。後段を読むと、実は読み方の揺れについても一応言及しているのだが、正しい読み方は「おおじしん」と明言していることに変わりはない。 さらに同書は、「大」の読み方の一般的な決まりを次のようにいう。[原則として「大」のあとに漢語(音読みの語

    「大地震」は「おお地震」か「だい地震」か - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言
    Lhankor_Mhy
    Lhankor_Mhy 2011/05/14
    これは知らなかったな。
  • 「ざっくり」の意味をざっくり説明  - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第225号、通巻245号) 1週間ほど前に『齋藤孝のざっくり!西洋思想』(祥伝社)という題名のが発売された。齋藤孝氏と言えば、私が最初に読んだ著書は『声に出して読みたい日語』だが、間口が幅広いのには驚く。文章術から古典の解説、教育論まで様々な分野にわたる著作を次から次へと出版、合間にテレビにも出演する、当代きっての売れっこ学者だ。 中でも言葉に関する著作が多い。その日語の専門家が書名に使っている「ざっくり」にひっかかりを感じた。調べてみたところ、氏の著作には『齋藤孝のざっくり!日史』(2007年12月)や『齋藤孝のざっくり!美術史』(2009年10月)など「ざっくり」を書名に取っているが他にもあることを知った。 核心にズバリ切り込み「詳しく」書いたの意なのか、概略を「大ざっぱに」に分かりやすく解説したの意なのか、あるいはまったく違う意味なのか。結論的に言えば、2番目の意味で

    「ざっくり」の意味をざっくり説明  - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言
  • 「黄色い」花嫁、「オレンジ色」の車…… - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第205号、通巻225号) 前回は『ことばと思考』(今井むつみ著、岩波新書)から右、左などの位置関係を「絶対方位感覚」で示す言語の例を紹介したが、同書の中には、色の表現が言語によってかくも違うものかを解説した『日語と外国語』(鈴木孝夫著、岩波新書)からの興味深い引用がある。名著として知られる同書がたまたま手元にあるので、今回は色と言葉との関係について私自身の体験も交えて少し述べてみたい。 「オレンジ」というと、具体的にどんな色を思い浮かべるだろうか。英語の“orange”という語から果物としての蜜柑(みかん)、橙(だいだい)を連想するに違いない。色でいえば、黄色を少し濃くしたような「だいだい色」だ。けれども、鈴木孝夫氏がかつて米国に滞在中、オレンジ色のレンタカーを指定されて初めて知ったのは、“orange”色とは、日人の感覚でいう「茶色」だったことだという。同新書の口絵に添えられた、

    「黄色い」花嫁、「オレンジ色」の車…… - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言
  • 「知ってか知らずでか」 - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第193号、通巻213号) 愛用している英和辞書が2冊ある。学習研究社の『スーパーアンカー英和辞典』と小学館の『プログレッシブ英和中辞典』である。スーパーアンカーの編集主幹を務める山岸勝榮氏は英語学、言語文化学が専門。日語の語感もするどい。同氏が自分のホームページ「山岸教授の日英語サロン」《注》で、“知ってか知らずでか”を“知ってか知らずか”と書く人が多くなってきている、と慨嘆している一文を読んだ。それに触発され「知ってか知らずでか」という慣用句についてにわか勉強を始めた。 結論的に言ってしまえば、「知ってか知らずでか」が伝統的な来の用法だったと思われる。それが、いつのころからなのか、後ろ3文字の一部が省略されるようになってきた。その延長で広まった新語法の中で勢力をもったのが「知ってか知らずか」だ。 今や新聞でも使い、テレビ、ラジオのアナウンサーも口にしているが、山岸氏に言わせると「

    「知ってか知らずでか」 - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言
  • 「森」は「林」より木が多いか - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第195号、通巻215号) 私の住む団地に先日、初めてお神輿が渡御した。団地のマンション群のすぐそばにある神社の例大祭の一環だ。ふだんは無人の小さな神社だが、小なりと言えども、神社は神社。参道の石畳をのぼった先の丘の周りは一応「鎮守の森」になっている。しかし、「森」にしては、「木」が少ない。 森も林もどちらも木が多く茂っている場所を指すが、どう区別するのか。小学生のころ、森は林よりも木が多い、と習った憶えがある。森という漢字が、「林」より一つ多い三つの木からなっているのはそのためだ、という理由だった。今から見ると、こじつけの「民間語源」のようにも思えるが、実はれっきとした辞書でも、森と林の違いを木の数で説明しているものがある。例えば『新潮日語漢字辞典』の記述は次のようになっている。 森:「木がたくさん生い茂っている所。『林』よりも木が密集している」  林:「木がたくさん生い茂っている所

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  • 「乙な味」の「乙」のいわれ - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第188号、通巻208号) 前号のブログは、最近では珍しいほど大きな反響があった。「普通においしい」を使いこなしているのは40手前ぐらいの世代、と見受けられる。それはともかく、ブログの最後を「乙な味でした」とちょっぴり洒落めかして締めたところ、「乙とはどういう意味か。ひょっとして2番目の味、ということか」との質問が寄せられた。 なぜ、質問に「2番目」が出てくるのか、当方も始め戸惑ったが、「甲、乙、丙」に思い当たってようやく合点がいった。しかし、「乙な味」は甲に次いで2番手ということではない。第一、「甲の味」なぞという言葉は聞いたことがない。 「乙な味」という語は、粋でちょっぴり洒落ており、ふつうとはどこか違う。味わいがあって趣き深い。そんな日的な響きのする言葉だ。乙な人、乙な店、乙なもの、など応用範囲が結構広いが、「このステーキにあの赤ワインの組み合わせ、なかなか乙だね」と欧米風のもの

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  • 「普通においしい」の用法 - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第187号、通巻207号) 打ち合わせ、暑気払い、ノミュニケーション……。酒好きの人間には飲む口実は事欠かない。先日、知人と事がてら催した「勉強会」も生ビールで喉を潤しながらだったが、幹事役が完全な下戸(げこ)とあって、会の場はいつものような居酒屋ではなく小懐石料理の店。料理の味はどうだった?と尋ねられて「普通においしかった」と答えれば、今どきの若者風の感じに聞こえる。 「普通」という語は、改めて辞書を引くまでもなく、「ごくありふれていること。通常であること」「一般に、それが標準であること」(小学館『現代国語例解辞典』)の意。この語義を、上に挙げた懐石料理の感想にそのまま機械的に当てはめれば「ごくありふれた味」、言い換えれば「可もなく不可もなし」ということになるが、それだと実は、意を尽くしているとは言い難い。 生きのよい現代語辞典を標榜する『三省堂国語辞典』第6版は、「俗」と断りなが

    「普通においしい」の用法 - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言
    Lhankor_Mhy
    Lhankor_Mhy 2010/08/06
    「えー、本当に美味いのー?フカシじゃないのー?まー、話半分に聞いとくわー、君の言うことだからなー」 → 「普通に美味いじゃん!」
  • 「八ツ場ダム」の「ツ」はなぜ「ん」と読むのか - 言語楼−B級「高等遊民」の戯言

    (第145号、通巻165号) 先日、民放テレビの旅番組の英国編を観ていたら、有名なオックスフォード大学の校名の由来について説明している場面があった。よく知られた話ではあるが、大学の所在地のオックスフォードはoxとfordの合成語で、「牛」(ox)が渡れる「浅瀬」(ford)の意でつけられた、というエピソードだ。この地名がかつて「牛津」と日語訳された由縁である(「津」は船着き場の意)。 地名は、その土地の地勢上の特徴や産物、歴史、ゆかりの人物など様々な事象にからんでいるものだ。このところ、連日、ニュースに登場する群馬県の「八ツ場ダム」。「ツ」とあるのにどうして「ん」と発音して「やんばダム」と読むのか、疑問に感じるのは私だけではないだろう。この問題も単に発音だけからアプローチしては読み解けないようだ。そもそも「八ツ場」とはなにか。 これが一筋縄ではいかない。手元にある辞典・事典類にも載ってい

    「八ツ場ダム」の「ツ」はなぜ「ん」と読むのか - 言語楼−B級「高等遊民」の戯言
    Lhankor_Mhy
    Lhankor_Mhy 2009/10/22
    やっぱり?
  • 「破天荒」=「未曽有」とは - 言語楼−B級「高等遊民」の戯言

    (第141号、通巻161号) 並外れた、豪快な、破れかぶれの、荒っぽい、奔放な……。「破天荒な人間」というと、こんなイメージを抱く人が多いのではあるまいか。「破」「天」「荒」。一文字、一文字の字面につられるせいにちがいない。現に、私がそうだった。ところが、各種の国語辞書をあたってみると、「破天荒」の来の意味はまったく違うところにあった。 辞書を引いたのは、今月5日付けで各紙朝刊の掲載された文化庁の「国語に関する世論調査」結果の記事を読んで「おやッ」と意外に感じたからだ。この調査《注》は、平成7(1995)年以来、文化庁がほぼ毎年行っているが、今回の調査で興味をそそられたのは、「彼の人生は破天荒だった」という短文の意味についての設問と答えだ。1)だれも成し得なかったことをすること、と答えた人が16.9パーセント、2)豪快で大胆な様子、とした人が64.2パーセントだった。来の言い方、つまり

    「破天荒」=「未曽有」とは - 言語楼−B級「高等遊民」の戯言
    Lhankor_Mhy
    Lhankor_Mhy 2009/09/21
    『「天荒」とは、天地未開の混沌とした様子とか、荒れ地・不毛の地の意、とある。破天荒という成句には、そんな「天荒」を破った、偉業を成し遂げたというプラスの意味合いが込められているようだ』
  • 「三日とろろ」と数字表記 - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第134号、通巻154号) 「三日、とろろ美味しゅうございました」→「三日とろろ美味しゅうございました」。東京五輪の銅メダリスト・円谷幸吉選手の遺書の一部を紹介した前回のブログで、引用個所の間違いを矢印のように訂正《注》したところ、今度は「三日とろろ」とはどんなものなのか、という問い合わせをいただいた。 上記の間違いを指摘してくれたブックマーク・コメントには、「『三日、とろろ』ではなく『三日とろろ』という風習です」とあったので、手元にある各種の辞書、事典類で「三日とろろ」を調べてみた。が、載っていない。「三日」あるいは「とろろ」を引いてみても同様だった。思いあぐねた末に『日大百科全書』(小学館)の「いも」の項にあたってみたところ、ようやく見つかった。それによると、東北地方では正月三日にヤマノイモをすってとろろ飯にしてべる「三日とろろ」という風習があり、これをべると1年間健康でいられ

    「三日とろろ」と数字表記 - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言
  • 「リラ冷え」の札幌とライラック - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言

    (第125号、通巻145号) 「智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ。」で始まる高村光太郎の有名な詩がある《注1》。言葉の表面だけをもじって言えば、札幌には「梅雨が無いといふ」。が、その代わり?「リラ冷え」がある。 札幌出身の職場の若い同僚が「さっぽろライラックまつり」(5月20日〜24日)の始まる頃、GW期間中の勤務の代休を取って実家に帰り、先日、横浜の職場に戻ってきた。「天気はどうだった?」と聞いたところ、「寒かった。朝晩は家の中でス灯油ストーブを焚(た)いていたほどだった」という。これが「リラ冷え」である。 ライラックと聞けば、通算すると10年近く住んだ札幌の街を思い出すが、リラという言葉になると「リラの花咲く頃」のシャンソンを通して(行ったことはないが)パリを思い浮かべ、それから「リラ冷え」→「ライラック」→「札幌・大通り公園」の連想に続く。いったん間を置いて別の

    「リラ冷え」の札幌とライラック - 言語郎−B級「高等遊民」の妄言
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