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ブックマーク / medt00lz.s59.xrea.com (73)

  • 理不尽にやると上手くいく - レジデント初期研修用資料

    ちょっと前、「ジューサーの中に金魚を入れる」という現代美術の展示があった。 ジューサーの中に金魚と水が入っていて、スイッチだけリモコンで、観客の側に置かれる。観客は誰もがそのスイッチを押すことができるようになっていて、「いつでも金魚を殺せる」という、その感覚が展示になっていた。 金魚の寿命を延ばすもの この展示で、実際にボタンを押せた人はたぶんいないのだろうけれど、これをたとえば、ジューサーに入れた金魚をインターネットで公開して、ネットの向こう側にいる誰もが、匿名のままそのボタンをクリックできるようにしておくと、誰かがボタンを押してしまう。多数決ルールを導入して、「ボタンを押した人が累計で10人を超えたら、ジューサーの電源が入ります」という看板を出しておくと、ボタンが押される閾値はますます下がる。 匿名ルールを廃して、たとえばTwitter のような、押した人をある程度トレースできるメディ

  • 呼び出しの作法について - レジデント初期研修用資料

    もともと認知症があったりして、夜中に不穏になって、大声を出したり、点滴を引き抜いてしまったり、ひどいときには点滴棒を振り回したり、病棟の人員ではどうしても手に負えなくて、夜中にご家族をコールせざるを得ない機会が時々ある。 こんなときに、「○○さんの認知症が厳しすぎて病棟が大変なことになっています。今すぐ病院に来て、患者さんに付き添って下さい」という言葉で用件を伝えると、正しいことを言っているにもかかわらず、トラブルになる可能性が高くなってしまう。 目線が変わると見えかたは違う 白衣の威光効果はすごいから、たいていの場合は、ご家族の側から「迷惑をかけてすいません」なんて切り出されて、話は丸く収まるのだけれど、ご家族が実際に病院にやってきても、「ちゃんと話の分かる人ですから、よく言い聞かせれば大丈夫です」と怒られたり、あるいは「病棟が混乱しているのなら、専属のスタッフを誰か付ければそれでいいで

  • 集まりや盛り上がりを支えるもの - レジデント初期研修用資料

    エジプトの市民革命は、ピーク時には数万人もの人々が広場に集まって、集会は20日間近く続いて、大統領を退陣に追い込んだ。 ああいう大きな人の流れは、もちろん政府当局に対する市民の怒りがあったのだろうけれど、あれは「数万人規模の人々を20日間、広場で生活してもらう」という、イベント運営の側面もあって、兵站や補給の側面から今回の革命を見直すと、とてもよく考えられていたなと思う。 エジプトのデモ広場を案内する記事を見ると、水場やトイレどころか、病院から幼稚園まで準備されていた。テレビで放映されたデモの映像には、人々が集まった真ん中に正円形のテント村が写っていて、集まった人がなんとなく作ったものにしてはずいぶん整った形をしていたのだけれど、実際に現場で行われていたことは、想像をはるかに超えていた。 べて休まないと動けない 学生時代に手伝い要員として参加したイベントでは、集まった学生を「生活させる」

  • 希望を捨てて覚悟する - レジデント初期研修用資料

    何年たっても、当直業務というものはやっぱり怖い。研修医だった頃、平然と業務をこなす上の人たちを見て、自分もいつかああなれると信じていたのだけれど、怖いものはやっぱり怖くて、年次を重ねて、恐怖はむしろいや増した。 希望を捨てることについて。 尋問には希望が必要 戦争で捕虜になった人を尋問するときだとか、あるいは刑事事件で容疑者を尋問するときもたぶん同じだろうけれど、尋問や拷問のような手法を使うときには、何らかの希望を見せながらでないと、効果がなくなってしまうのだという。 それが尋問であれば、相手をどれだけ執拗に問い詰めたところで、話したところで状況が変わらないのなら、尋問を受ける側には意味がない。尋問を行うときには、まずは「答えてくれればこんなところからさっさと抜け出せますよ」とか、「早く帰って、子供さんと一緒に話がしたいですよね」だとか、そこから抜け出せる可能性をまず提示して、手を伸ばせば

    MINi
    MINi 2011/02/13
  • 謝罪と誠意について - レジデント初期研修用資料

    今年になって見る機会のあった、社長さんの謝罪について。 グルーポンの謝罪 正月に販売されたおせち料理の品質が不十分で、それを販売したグルーポンの社長さんが謝罪のビデオを公開した 。教科書的な、謝罪の見のような動画だった。 米国人(?)の社長さんは、まず最初に、生じてしまったことに対する現状を語って、「申し訳ありません」と感情の表明を行った。次に「これは私の責任です」と、責任の表明を行って、補償についての話題につなげた。 責任の引き受けと補償の宣言とを行った後で、今後それをどう予防していくのかが説明されて、最後に「私が皆様にお約束できるのは、失敗から学び二度と同じ過ちを繰り返さないために全力を尽くすということです」と、会話を締めた。 こじれた状況を丸く収めるためにトップが乗り出す、正攻法というか、反論の余地のないやりかただけれど、とても新鮮に聞こえた。 謝罪をしたのは外国人の社長さんだった

  • 否定の深度について - レジデント初期研修用資料

    「いい仕事してますねぇ」の、「なんでも鑑定団」に出てくる鑑定人、中島誠之助の語りが素晴らしいと思う。いかがわしさと人当たりのよさと、矛盾が見事に同居しているようなあの話芸は、出品されたものが「贋作」であったときに、出品者を否定するときに威力を発揮しているように思える。 欠けているものと過剰なもの 鑑定を依頼された何かが「偽物」であったときには、鑑定人の人たちはたいてい、「これは物ではありません」と、冒頭に宣言する。宣言したあと、「依頼品にはこの要素が欠けています」と、物に比べて、足りないものを指摘する。やりかたとして、これは全く間違っていないけれど、鑑定を依頼した人は、「欠けている」その依頼品を嫌いになってしまう。 中島誠之助が偽物を鑑定するときには、「もしも」から入る。 「もしも物だったら」で語りをはじめて、それが素晴らしい価値を持つこと、当時人気があったこと、現存していればすごい

  • 相手に刺される想像力 - レジデント初期研修用資料

    円滑な、最高には遠いかもしれないけれど、少なくとも無難ではある、「お互いに半歩だけ下がって、 丁寧語で当たり障りのない会話をする」関係というものは、人間関係の万能解なのだと思う。 こうした関係を作るために欠かせないのが「相手に刺されるかもしれない」という想像力であって、 お互いがこうした想像力を持ちながら、健全な相互不信を続けていければ、人間関係に関するトラブルは、恐らくはずいぶん減るんじゃないかと思う。 変な台がある 世の中ではしばしば、強い側に立った人が、目の前にいる「弱い人」に対して、ひどく横柄に振る舞う。 下手すると、相手のほうが年上で、体格もよかったりするのに、立場の強い側に立った人は、 「あとからこの人に殴られるかもしれない」という可能性をしばしば無視して、必要以上に横柄になる。 弱い側の人もまた、同じ人間である以上、横柄な相手をぶん殴ることは決して難しいことではないのに、

  • 「ロバスト性」メモ - レジデント初期研修用資料

    外乱に対して強く安定していること、「ロバストであること」は、どういう要件を満たすことで成立するのか、そんなことをこれから考えてみたい。 英国の自動車番組「TopGear」 の中で、家に激突しても、海に沈められても、ビルごと爆破されても、動き続けて、 自動車としてはじめて北極圏に立った「トヨタハイラックス」は、そうしたロバストな製品の代表だろうけれど、 じゃあハイラックスはどうして壊れないのか、それをきちんと説明できるようになると、きっといろんなものが見えてくる。 頑丈や冗長とは違う 外乱に対して強いことというのは、必ずしも頑丈を意味するわけではないし、冗長性を持たせることで、プロダクトはたしかにロバストになるけれど、ならばロバストに作られた何かが、常に冗長かといえば、案外そうでもない 外乱という言葉に、環境だけでなく、「人がそれを使い続ける」という人間要素を入れると、話はもっとややこしくな

  • 努力には正しい方向がある - レジデント初期研修用資料

    どこかに就職したり、何か会社を興してみたりといった体験を持たない、生まれついての「プロの政治家」という人たち、 学校を出て、最初から政治家として活動して、努力した人たちが、そのまま最上階まで行ってしまうのは、恐ろしいことだと思う。 努力した人はしがみつく 何かの目的を持った人、目標を「これ」と決めて、それを実現するためのやりかたを考えた経験を持つ人は、 あらゆる場所が通過点になる。目標を達成したなら、たぶんまた別の目標が見つかって、やるべきことや、必要な資格なんかは、その都度変わってくるだろうから。 漠然と「努力」を重ねて、努力の「ご褒美」として、一番高い椅子を手に入れてしまった人には、もはや「上がりの先」を想像することができない。努力をもっとやろうにも、 そこにはもう、問題集とか、次のご褒美を用意してくれる誰かはいないから、先が見えない。 こういう人が頂点に座ってしまうと、今度はじゃあ、

  • 見解について - レジデント初期研修用資料

    そこにある一連の事実をお互いに共有した上で、お互いが事実に対する妥当な見解を示すことで、状況はコントロールされる。 「見解の不一致」は、それぞれの目的が異なる以上、珍しいことではないけれど、事実が共有されている限り、 相違した見解は、妥当な譲歩によって合意に結びつけることができる。 見解とは何か 交渉の椅子に座る人は、それぞれの立場と、内に秘めた目的とを持っている。 立場と目的とを正しく理解した人が事実と対峙すると、必然として、事実に対する見解というものが生み出される。 目的を正しく定義できない、あるいは自らの立ち位置を理解していない人が事実と向き合って、そこから「見解を教えて下さい」と問われたところで、 恐らくその人の口からは、単なる要約以上のものは出てこない。 事実の要約と、事実に対する見解とを隔てているものは、目的を達成するために行われる思考の有無であって、 一連の事実に対して、その

  • フィクション欠乏症について - レジデント初期研修用資料

    「大人になること」というのは、「何かに飽きる」ことと同義であって、ある分野に対して飽きることに失敗したまま、 資金力や実行力ばかりが身についた「大きな子供」は、しばしば暴走して、とんでもないことをしでかしてしまう。 オカルトの摂取は大切 たとえばオカルトを恒常的に摂取している人たち、今でもムーを欠かさない自分みたいな人間は、オカルトというものを楽しみこそすれ、 それを心から信じ込んだり、何かのオカルトグッズに全財産をつぎ込んだりといった行動は、逆に出来ない。 オカルトがどれだけ魅力的でも、20年もつきあっていれば飽きが来るし、人間の想像力には限界がある以上、 オカルトマニアがどれだけ想像力を駆使したところで、新しい神秘はなかなか出てこないものだし。 「飽き」という現象は、恐らくはオカルト以外のどんな分野にもあって、力を持てない子供のうちに、そうした極端なフィクションをたくさん摂取して、 そ

    MINi
    MINi 2010/12/23
  • アンケート2つ - レジデント初期研修用資料

    病院 うちの施設に勤務する栄養士の人たちが、退院する患者さんに献立のアンケートを取っていた。 「病院の事はどんなものがよかったですか?」みたいな、無難な文面のアンケートに記入をお願いして、年末にそれをまとめていたけれど、病院独特の、いかにも病院という味付けや献立というものは、あるいはこうしたアンケートが作り出したのかな、などと考えた。 アンケートを書くのは「退院する人」であって、入院したばかりの人は、もちろんそれどころじゃないから、方法論として、ここはしょうがない。 ところが退院する人に漠然としたアンケートをお願いすると、恐らくは「自分がべたかったもの」よりも、むしろ「病人はどういうものをべるべきなのか」を書いてしまいがちになる。その人はこれから退院するのだから、当にべたいものは、これからべに行くのだろうし。 アンケートというやりかたは、だから「入院中の事はどのようなも

  • 三菱電機IS の危機管理 - レジデント初期研修用資料

    「高木浩光@自宅の日記 – 三菱電機ISは結局会見で何を伝えたかったのか」で取りあげられていた、岡崎図書館事件に関するインタビューのログを読んで思ったこと。 リンク先はこちら 。この記事に関するブックマーク記事はこちら 。 大雑把に言ってしまえば、グダグダな、きちんと調べて会見に臨んだ記者の人たちを相手に、会社の人たちがかみ合わない議論を続けて、 最後の最後まで、「この事件はこうだった」という、会社の人たちの考えかたが見えない会見だったのだけれど、 このグダグダを「ゴール」だと、三菱の人たちが最初から考えていたのだとしたら、これはこれで模範的な危機管理、クライシスコミュニケーションなのだと思った。 謝意の表明と責任の引き受け このインタビュー記事に関して、「企業危機管理の悪い事例」というブクマコメントがついていたけれど、 今回のグダグダなインタビューに臨んだ会社側の人たちは、恐らくは「危機

  • 不運も実力のうち - レジデント初期研修用資料

    それをどうやって身につければいいのかは分からないけれど、「運のよさ」というものは、 やはり上に立つ人が備えるべき能力の一つとして考慮に入れたほうが、組織がより健全になるのだと思う。 努力が成果になる どれだけ素晴らしい経歴の持ち主だろうと、判断の成否を完璧に予測することは不可能で、 準備を完璧に行ったところで、失敗をゼロにすることはできない。 そうしたケースはたいてい「運が悪かった」と総括されて、やるべきことをきっちりとやっていれば、トップの責任は問われないのかもしれないけれど、 「運のよさ」というものを評価軸から排除してしまうと、努力の方向がいびつになるような気がする。 「運の悪い切れ者」が排除されない組織においては、結果がどうであれ、その人の人となりや経歴、 判断のプロセスに努力が認められれば、それが成功と認定されてしまう。そんな文化で組織を回すと、 結果は二の次、プロセスをいかに正し

  • 手の抜きかたを考える - レジデント初期研修用資料

    戦争中に大量に作られた「戦時標準船」というものに関するお話。 戦争を継続するには莫大な物資が必要で、輸送に使う船は、戦争が始まるとすぐに足りなくなるから、 戦争中には「戦時標準船」という、大量生産品の船が大量に造られて、日米ではその考えかたが異なっていた。 日は手を抜けなかった 日の戦時標準船は、最初の頃は高品質すぎて、全然「手抜き」になっていなかったのだという。 戦時だから、たしかに見た目は粗末になったけれど、船体は3次元曲面で描かれていて、 中身は従来の高品質な船舶そのままだったから、大量生産を目指して「手抜き」を心がけたはずなのに、工期の短縮は達成できなかった。 戦争の後半、いよいよ物資が足りなくなって、改めて「手抜き」を目指して図面が引かれた船には、今度は安全装置が備わっていなかった。 船には欠かせない安全装置である「二重底」は省かれていたし、性能が低くて安全性の低い船舶を、

  • 経験は「どう」に集まる - レジデント初期研修用資料

    「何をするべきか」を語れる人は多いけれど、「どうやってそれを実現するのか」を語れる人は少ない。 「何」は一般化して、買い叩かれて、いっぽうで、「どう」を知っている人は生き延びて、 経験や知識というものは、「どう」を知っている人に集まってくる。 売りになる経験のこと たとえば最近、近所の開業クリニックで「医事職員募集」の広告を出したら、 大学を卒業したぐらいの人たちが30人、ずらっと列をなして集まってきたんだという。 今はもう当に仕事が厳しくて、田舎だと、立派な学歴を持った人でも、 ある程度安定して勤められる職場というのは当に少ないらしい。 うちの病院には最近、30代も後半の男の人が2人、新規職員として就職してきた。 2人とも、以前に病院勤めをしてきた人たちで、その頃の病院というのは、ちょうど「DPC」という、 新しい会計制度を導入した頃で、事務長は、「その時に病院にいた」という経験を買

    MINi
    MINi 2010/10/15
  • 失敗を生かすということ - レジデント初期研修用資料

    「マスメディアの陰謀」で、あまり報道されなかったデモについて考えたこと。 失敗の定義は難しい 思想的に偏った人たちが主導していたからだとか、デモなんて実は珍しくないんだとか、 恐らくは最初から、ニュースで流すには無理があった事例なのだろうけれど、 デモ行進を行った人たちが「ニュースで流されること」を目標にしていたのなら、今回のデモは、一応失敗したのだと思う。 失敗したときの振るまいかたで、それが当に失敗に終わるのか、それともそこから次を拾うのか、恐らくはずいぶん変わってくる。 失敗したときに、それを誰かのせいにして、「自分たちはすばらしいことを発信しているのに、誰かの陰謀で、あるいは誰かが無能に過ぎるから、 自分たちのすばらしさが伝わらなかった」なんて総括すると、失敗は、当に単なる失敗として終わってしまう。 失敗の中からだって、おそらくはたくさんの成功を拾い出せるのだと思う。 今回たと

    MINi
    MINi 2010/10/07
  • 泳ぎかたと溺れかた - レジデント初期研修用資料

    当に溺れている人は、溺れているというよりも、むしろ静かに沈んでいく ものなんだという。 それを体験したことのない人が「こうだろう」と想像したことと、実際それに遭遇したときに起きることは しばしば異なっていて、見張る側は、もちろんそれに気をつけたり、実際に起きることに即した対策を 行わないといけないのだけれど、「溺れる側」の人は、泳ぎを習うその前に、「正しい溺れかた」の 講習を受けてもいいんじゃないのかなとも思った。 泳ぎかたと溺れかた 高校の体育の授業では、柔道とラグビー、スキーについては、それぞれ受け身のやりかたや、タックルをもらったときの転びかた、 スキーを履いた状態での転びかたを、まず真っ先に習った記憶がある。小学校の頃、近所にスイミングスクールがあって、 泳げなかったから、一時期通ったのだけれど、「溺れかた」というものは、習わなかったんじゃないかと思う。 運転免許を取ったばかりの

  • 次につながる制約のこと - レジデント初期研修用資料

    それが資金であってもマンパワーであっても、何かが「足りない」状況に対峙したときには、足りない何かを工夫で補わないといけない。 そういう工夫はたぶん、 資金が潤沢にあったらできたこと、「リッチ」とか、「効く」みたいな、肯定的なパラメーターを、 まずはあきらめてみるところから始まる。 何かをあきらめることで、その周辺にはたぶん、「あきらめることで手に入るもの」が生まれている。 今度はそこから、「足りない中でいいものを作る」のではなく、まずは「あきらめないと手に入らないもの」の 付加価値を高めたり、そこからお金を集める仕組みを考えることで、「足りない中で頑張った何か」は、 全く新しいものへと変貌するのだと思う。 お弁当と俳句 フランスのお弁当ブームとか、英語圏で俳句が面白がられたりだとか、ああいうのはたぶん、 「制約って面白いんだ」という気づきが生み出したのだろうと思う。 スプラッター映画でしか

  • 「何もしないこと」を決断するとき - レジデント初期研修用資料

    「やれるだけのことはやった」状態とは、あらゆる可能性を探索し、試み たという意味であって、一つの方法を機械的に繰り返し、拡大し、結果とし て全ての資源を損耗しつくした、という状態とはちがう[18]。 これは明らか に判断の誤りなのに、しばしば満足げに総括される。 経験を積んだ術者は、「何もしないこと」もまた決断であることを知って いる[15]。その一方で、意志の不在が決断を放棄させた場合また決断であっ て、同じ「待ち」の決断であっても、意味あいは全く異なってくる[10]。 意志の不在は状況を確実に悪化させる。たとえそれがどのような決断で あっても、決断されることは、行動の根拠としてより望ましいと言える[10]。 何もしないで経過をみるときには、だから「何もしないことを決断する」 必要があって、状況を動かさないことを決断したのなら、その時にやってお くべきことがある。 視点を変える 「あのと