9月25日、麻生内閣で国土交通大臣に就任した中山成彬(なりあき)は報道各社との会見で三里塚闘争に対する許し難い暴言を行った。三里塚の開拓農民の多くが戦前・戦中の満蒙開拓団の引き揚げ者であり、戦後の農地開拓という国策によって入植したことを否定している。さらにはシルクコンビナート計画による養蚕事業にも従事させたのである。これらはすべて国策に従ったものである。中山の言う「(成田空港の滑走路拡張問題は)ごね得というか、戦後教育が悪かったと思いますが、自分さえ良ければという風潮の中で、空港拡張も出来なかった」発言内容は事実を180度ねじ曲げる物である。三里塚の農民は、66年の閣議決定によって新東京国際空港の計画が地元農民に何の相談もなく報道発表されたことにも明らかなように「国策」によって終始振り回され続けてきたのだ。簡単な歴史的経緯についてはフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の「
![国交相中山の暴言弾劾し10・5三里塚へ総決起しよう!! - アッテンボローの雑記帳](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/035056d03242b2a0ac6d769ad2e5eb20757abf2a/height=288;version=1;width=512/http%3A%2F%2Frounin40.cocolog-nifty.com%2F.shared-cocolog%2Fnifty_managed%2Fimages%2Fweb%2Fogp%2Fdefault.png)