2008年11月19日のブックマーク (12件)

  • ssd’s Diary» ブログアーカイブ » 相対的判断

    首相 社会常識欠落の医師多い 麻生総理大臣は、総理大臣官邸で開かれた全国知事会との会合に出席し、地方が抱える医師不足の問題について、みずからの考え方を示した際、医師のことを「社会的な常識がかなり欠落している人が多い」と発言しました。 これは、会合の中で出席した知事から「地方が抱える医師不足の問題についてどう考えるか」という質問が出た のに対し、麻生総理大臣が、みずからの考え方を述べた際に発言したものです。この中で麻生総理大臣は、医師不足の問題に関連して「自分で病院を経営してい るから言うわけではないが、はっきり言って、社会的な常識がかなり欠落している人が多いと思われる。とにかく、ものすごく価値判断が違う。それはそれで、 そういう方をどうするかという話を真剣にやらないといけない」と述べました。また、麻生総理大臣は「急患が多い診療科は、皆、医者は引く。だとしたら、そ ういう診療科だけ診療報酬を

    NATROM
    NATROM 2008/11/19
    「まともな麻生太郎君が不快な思いをしたら、それは申し訳ない」。
  • 太郎だからしょうがない - すきま産業振興組合(はてなブログ版)

    首相「社会常識欠ける医師多い」 その後“問題発言”を陳謝 - 共同通信 漢字だけじゃなく医療現場の空気も読めてないいやきっとこれは励ましの言葉だと思うよ、みのもんたが不二家に言ったみたいに。 (医師には)社会的常識がかなり欠落している人が多い。ものすごく価値観が違う 金持ちのボンボンとか五世議員にも欠落している人が多い確かに、月の半分も当直して日勤も休まないような非人道的な労働条件に甘んじてる連中には常識が欠落してる。 もっと常識的に対応しようよ、労基署に行くとか。 医者は友達にもいっぱいいるが、おれたちと波長が合わないのが多い 友達と思われてないだけじゃきっとみんな太郎と居るとドキドキして舞い上がっちゃうんだよ!知らんけど!

    太郎だからしょうがない - すきま産業振興組合(はてなブログ版)
  • 47NEWS(よんななニュース)

    NTT関連会社の社員、個人情報保護委員会を名乗る男らから… 電子マネー80万円分、38歳会社員が詐欺被害

    47NEWS(よんななニュース)
    NATROM
    NATROM 2008/11/19
    さっそく陳謝。「これだけ医師不足が激しくなれば責任は医師側にあるのではないか」←意味不明。
  • 科学とは論文の数で人の価値を決めること

    科学とは論文の数(とインパクトファクター)で人の価値を決めること。 論文が書けない人間は存在価値がないのが科学の世界。 研究者とは、子供の命より論文の方が価値があると思える人のこと。 研究者は、自分の親や子供が死んでいい論文が書けるなら、笑いながら親や子供を殺さなければならない。 (だけど、実際に親や子供が死んでもいい論文が書けることはまったくといっていいほどないから、みんなしないだけ) 時々、マジでそう感じることがある。

    科学とは論文の数で人の価値を決めること
    NATROM
    NATROM 2008/11/19
    院生時代。「君は家庭と論文とどっちが大事なのかね?」とボスに言われた時に、研究者になることをあきらめました。
  • YouTube - 麻生首相 怪我は「かいが」

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    NATROM 2008/11/19
    常識
  • 時事ドットコム:「社会的常識欠けた医者多い」=麻生首相、全国知事会で発言

    「社会的常識欠けた医者多い」=麻生首相、全国知事会で発言 「社会的常識欠けた医者多い」=麻生首相、全国知事会で発言 麻生太郎首相は19日、首相官邸で開かれた全国知事会議で、地方の医師不足問題に関連し、「地方病院での医者の確保は、自分で病院経営しているから言うわけじゃないが大変だ。社会的常識がかなり欠落している人(医者)が多い。とにかくものすごく価値観が違う」と述べた。  首相の発言は、地方病院の勤務医不足を問題視したものだが、今後波紋を呼びそうだ。日医師会などが反発する可能性もある。  また、首相は「小児科、婦人科が猛烈に問題だ。急患が多いところは皆、(医師の)人がいなくなる」と指摘。産婦人科などに対する診療報酬加算などの対応が不十分であるとの認識を示した。(2008/11/19-18:00) 関連ニュース 【アクセスランキング】今、1番の注目記事と写真は 【写真ニュース】分権などで意

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    NATROM 2008/11/19
    「社会的常識がかなり欠落している人(医者)が多い。とにかくものすごく価値観が違う」。労働基準法などないかように働く常識のなさを言っているのですね、わかります。
  • 続 なぜエセ科学批判が科学教といわれてしまうのか

    http://anond.hatelabo.jp/20081118173958続きです。これを書こうと思ったのは、間違いを正して何が悪いのかって増田を見たこと。それから、「科学と文化(宗教)を切り分けて考えろって言ってるだけなんだけど」ってのをブログで見たからです。前者を見た時は、ああこの発想は(今までさんざん僕が議論してきた)ネット右翼ネット左翼と変わらないと思ったし、後者を見た時はそうなんだけどほんとにそうかとちょっとひっかかった。前もって念を押すと、エセ科学批判そのものを全否定したいのではありません。ただ、なぜ(無駄に)反発を買ってしまうのか、自分なりに書いてみたいのです。まず、端的にいうと、科学的な正しさを信じるのはいいでしょう。そして間違いをただすのも、もちろんいいでしょう。だけど、科学的真理はその行動の正しさまでを保障しません。ネット右翼もネット左翼もその正しさを彼らなりに信じ

    NATROM
    NATROM 2008/11/19
    ↓↑「無駄な反発を食らうのはどこかで行き過ぎがあるからなんです」
  • 「自然治癒力に頼り…」医者に行かなかったヒーリングセラピスト、足の怪我で死ぬ : らばQ

    「自然治癒力に頼り…」医者に行かなかったヒーリングセラピスト、足の怪我で死ぬ ヒーリングセラピーと言えば、安らぎを与えることを第一として、自然な治癒を行うことです。 「癒し」という言葉が日では使われ、精神的に安心感をもたらす効果があると言われています。 しかし何事も傾倒しすぎるのはよくないという例なのか、ヒーリング・セラピストが医者に行くのを拒んだために単純な傷から亡くなってしまったというニュースがありました。 Portsmouth Todayによると、ヒーリング・セラピストであるラッセル・ジェンキンさん52歳は自宅でコンセントを踏みつけてしまい、左足に怪我をしてしまいました。その傷が化膿してしまうのですが、彼は通常の治療をすることを拒み、心の声が病院へ行かぬように言っていると、通常の治療をすることを拒んだのです。 そして古代からの治療法でもあるハチミツを使っていました。 ところが化膿し

    「自然治癒力に頼り…」医者に行かなかったヒーリングセラピスト、足の怪我で死ぬ : らばQ
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    NATROM 2008/11/19
    許容できる。悪くなってから現代医学に頼って無駄なリソースを食う連中と比べれば賞賛にすら値する。
  • 脱魔術化の無限後退を体感してみました - よそ行きの妄想

    私が書いた『ソーシャルキャピタルを構築する経済的営みとしての擬似科学批判 - よそ行きの妄想』にトラックバックされた『批判の批判に批判する - M59の記録』という記事が見事に私の盲点を照らしたので紹介しておく。 科学に無知なままに行われる科学的区別に基づく疑似科学批判と、科学的信仰を普遍化するようなニセ科学批判を批判しているという。つまり、科学を知らないで、科学を盲信・妄信する輩を批判している。 科学を知らないで、科学を盲信・妄信する人は、結局「擬似科学も信じてしまう(信じるおそれのある)人」ってことだ。結局、これはただの擬似科学(妄信・妄信)批判だった。 擬似科学批判批判論を、盲信する人に言い聞かせたって意味はない。その論自体を盲信するだろうから。この問題の解決策は、科学(=物事を盲信・妄信しない姿勢を保つこと)をさせることなんじゃないか。 批判の批判に批判する - M59の記録 私は

    脱魔術化の無限後退を体感してみました - よそ行きの妄想
    NATROM
    NATROM 2008/11/19
    「意図せずして科学的に行われた私の疑似科学批判もまた疑似科学に陥る」。心配無用。別にchnpkさんの疑似科学批判は科学的には行われていないから。
  • ソーシャルキャピタルを構築する経済的営みとしての擬似科学批判 - よそ行きの妄想

    宗教と科学と疑似科学とニセ科学について - よそ行きの妄想に寄せられる批判などを見ていて、以下のような視点との共存関係を示せばご納得を得られるのではないかな、という。 経済的な視点からすれば、科学的な商品と擬似科学的な商品では経済的な価値が異なる。科学的商品はそれこそ然るべき検証を経て、その価値の確からしさを高めたものであり、その確からしさ自体が価値であるからだ。 来的な経済的価値が低いにもかかわらず科学的商品を装った擬似科学的商品を科学的商品と見誤り、科学的商品と同等の対価を支払った場合は、損失が発生することになる。これは信じているのなら問題ないとか、いいとか悪いとかという類の話ではない。経済的損失は経済的損失である。『Archives » ページが見つかりませんでした』という記事が俄かに注目を集めているが、これはヴィトンのバッグに例えることで科学的な視点を排除したために、この損失に関

    ソーシャルキャピタルを構築する経済的営みとしての擬似科学批判 - よそ行きの妄想
    NATROM
    NATROM 2008/11/19
    コメント欄まで含めると、「創生水のようなものを批判するのに、科学とか疑似科学とかという視点はいらない。明らかに怪しいわけのわからないものと主観で判断されればOK」ということになる。
  • エセ科学批判が科学教と言われてしまうワケ

    「科学と文化(宗教)を切り分けて考える」これは、みんなが合意できると思うんだよ。ただ、自然科学やってる人にいくつか問題を感じるんです。とりあえず3つ。一つめ。普通の人にとって、自然科学で説明できる範囲は自然科学者が思ってるよりもずっと狭い範囲でしかない。少なくともそう思っている。水伝を信じた外国の人(ほんとに教養豊かな人)に、いやそうじゃなくてと長々説明して返ってきた返答が「でもアインシュタインだって最初はキ○ガイ扱いされたんでしょ?」。ああ、これは何を言っても通じないとがっくりきた。けど、多かれ少なかれ、普通の人にとって自然科学(の世界観)はその程度のものでしかない。二つめ。はてブコメ見てたら、アルファブロガーやネットの有名人がオカルトめいたことを書くと、ああ書いちゃった、見たいな空気になるのは、「科学と文化を切り分けて考える」ことに反してる。そんなことありません、ちゃんと切り分けられま

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    NATROM 2008/11/19
    ニセ科学批判批判にも一定の合理性はあるけれども、具体性に欠けるのでよく分からないときが多々ある。輸入米のカビや農薬の話についての、「かなり偽装された科学」とは具体的にどういうこと?
  • ぼくが歴史修正主義者だった頃 - Danas je lep dan.

    以下のエントリを読んで,猛烈に自分語りをしたくなった。 ちょっとした昔話 - 自由帳で数学とか物理とか ぼくは「気がついたら〜になっていた」という事の多い人間だ。気がついたらオタクになっていた。気がついたらユーゴに嵌っていた。そして気がついたら歴史修正主義者になっていた。 ぼくにとっての「始まり」は,『戦争論』だったと思う。無論クラウゼヴィッツの方ではなく今ぼくが批判している小林よしのりの方だ。井沢元彦あたりを読んで,中学に入るか入らないかの頃には改憲論者になっていた,という事は憶えているのだけれど,いつ小林を読んだのかはよく憶えていない。 高校三年の時。今は疎遠になったある友人から『嫌韓流』というが面白いと勧められた。ぼくはそれを近所の諸点で立ち読みし,すっかり感化された。ぼくはその友人からも疎ましがられるような立派な嫌韓派になり(ネットに触れる事でますます急進化していった),今まで「

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    NATROM 2008/11/19
    柳生すばる先生の計画通り。