中規模の開発会社が受注したソシャゲの開発プロジェクト、予算は数億円。 言うことがころころ変わるクライアント、仕事をしないディレクター、白紙の仕様書。 スケジュールは超過して大赤字、次々といなくなるスタッフ。 三代目のリーダーに俺が指名されたとき、社内の視線は冷ややかを通り越して憐れみに満ちていた―― 若手チームを率いて大炎上プロジェクトを立て直した話をします。 炎上する原因、大きなプロジェクトをスムーズに進める工夫、汗と涙と徹夜、そしてExcel方眼紙。 この物語はフィクションです!
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オタクは人の心がわからない。 小学生のころ、パソコンを買ってもらった。 Z80のマシン語を学ぶには、人の心がわからなくてもまったく問題なかった。むしろ友達と遊ばないほうが、プログラミングがはかどる。 中学生になり、女の子に興味を持ち出した。話してみると、何を考えているのか、まったくわからない。 あるとき、女の子といい雰囲気になって、「キスしていい?」と聞いた。返り値はイエスかノーの二択だと思っていたオタクはビビッた。女の子は、「なんでそんなこと聞くの?」と怒り出したからだ。 オタクはコンピュータをやめた。 そのかわりギターを買って、バンドをはじめて、KPI*を「モテ」に切り替えた。なぜあの質問で怒ったのかはわからないままだったが、何人かの女の子と接していくなかで、なにをすると、どうなる、という経験値は積み重ねることができた。*Key Performance Indicator しかし、どん
私が子供の頃住んでいたのはたいそうな田舎だったのですが、その中でも我が家は更に辺鄙な場所にありました。 幼稚園に入るまで、妹と私はお互いだけが遊び相手でした。我が家の半径3km以内には、他に子供がいなかったからです。 そのせいでしょうか。 幼稚園に入ってすぐに私は、自分の対人スキルが同年代の子と比べて大幅に劣っていることに気付きました。 遊びの仲間に入れない。 たまに入れてもらってもどんくさくて、みんなをイライラさせてしまう。 遠いとおい昔のことなのに、入園当時にあったいろんな出来事を、私は今でも思い出せます。 それだけ毎日緊張して過ごしていたのでしょう。 自分が他の子供と上手く遊べないことに気付いた私は、自分の何がそれほどまでに駄目なのか、いっぱい考えるようになりました。 かなしくて苦しかったですが、ぎゃんぎゃん泣きながらお母さんに引きずられて幼稚園にやってくる子が他にいたりしたので、自
ええと、どこから話そうかな。 君はまだちょっと小さいので、今、色んなことを言っても あんまりわからないこともあると思う。 だから、もうちょっと大きくなってから 知っておいてほしいことを、いくつか話しておく。 まあ一番知っておいてほしいのは お父さんはいつもこうやってブログばっかり 書いてるわけじゃないってことなんだけど。 ★ おそらく君が大人になった頃には 世の中はものすごく変わっている部分もあるだろうし 今と何にも変わらず、そのままのこともあるだろうと思う。 たぶん、3Dプリンタとかは、かなり使い勝手のいい感じに仕上がってて フルタ製菓の生クリームチョコも、わざわざお店で買わなくても レシピだけを購入して、自宅で生産できるようになってるかもしれない。 その頃には高度な技術だったり知識を必要とするもの以外は みんな自分たちで作っちゃったりするので 製造業は商売あがったりで、ちっちゃいところ
夏の尻尾が見えてきた。夜風が涼しく気持ちのよい睡眠が過ごせるこの季節。 ふと、この言葉を思い出す。 「誰も君のことなんか見ていない。」 これは僕が今の自分たる原点でもある気付きだ。今日は学生の皆へ届けるブログにしようと思う。 僕は札幌の隅っこのど田舎で高校を卒業し、大学で京都に移り住んだ。 4年間通った大学は、入った時は賢くても卒業したら馬鹿になってる、なんて影で言われるような学部で。 物凄い数の入学生がいることでも有名な大学だ。ちなみに僕は賢くもないので卒業したら、どうなってしまうのか不安でしょうがなかった。そんな19歳。 隣に並ぶ同学年の学生だけでも下手すると1000人以上いたと思う。 色々な地方から出てきて訛りもバラバラでラーメンへのこだわりは地方ごとに違って、日本の文化をごった煮にしたようなカオスな学部だった。たぶん、僕がいた学部だけじゃないけれど。 皆、色々なサークルへ入るのを横
あらすじ 長年プログラムを書いていても、良いコメントを書く技術ってぇのはなかなか身に付かないもので、 良かれと思って書いたコメントでも後々読み返すと書いた当人ですら首を傾げる始末。 長屋に住む八五郎もそんなSEの一人。 ある日、出社すると親方エンジニアがカンカンに怒っている。 どうやら先週末の退社前にレビューしてもらおうと push したコードについてらしい。 特に不味いところはなかったはずだが、はて、何が悪かったのだろうかと親方のデスクのモニターを覗き込むと── さっぱり役に立たない <summary> 八五郎は普段から Visual Studio で C# のコードを書いている。 こいつにはXML Documentation Commentsというのがあり、 一定の書式に従って型やメンバーにコメントを書いておけば、 インテリセンスで有意義なメッセージが表示されたりAPI リファレンスの
軟閃素(なんせんす) Since 2004.11.22 アバウト 過去の日記 裏日記 らくがき アンテナ 副サイト 12/24 もうこんな時期ですか 今年何回更新したのか数える気にもなりません たぶん2回くらいです
Mark Zuckerberg / 青木靖 訳 2012年2月1日 Facebookは元々会社にしようと作ったのではありませんでした。世界をもっとオープンで繋がり合ったものにするという社会的なミッションのために始めたのです。 私たちにとってこのミッションがどんな意味を持ち、私たちがどのように決断し、私たちがどんな理由でやっているのかを、Facebookに投資される皆さんに理解していただくことは非常に重要だと考えています。このメッセージで私たちのやり方の概要を示せればと思います。 Facebookで働く私たちは、人々が情報を広め消費する方法に革命をもたらしたテクノロジーに触発されます。私たちは印刷術やテレビのような発明についてよく話します。単にコミュニケーションをより効率的に行えるようにすることで、社会の重要な部分の多くがすっかり変容を遂げることになりました。より多くの人が意見を言えるように
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