人間はどこまで耐えられるのか スポンサード リンク ・人間はどこまで耐えられるのか 人間はどのくらい高く登れるのか、深く潜れるのか、速く走れるのか、どのくらいの暑さ、寒さに耐えられるのか、宇宙では生きていけるのか。オックスフォード大学の生理学部教授が書いた、生命の極限状況を見極める研究レポート。 冒険者やアスリートの挑戦、遭難者の体験、科学者の人体実験から集めた極限の数字が紹介される。 暑さ 50度 寒さ マイナス数十度、風速による 高さ 8000メートル(偶然にも最高峰と同じレベル) くらいが普通の限界だそうだが、それを超えて生き延びる人たちのサバイバルのノウハウは、いざというときのために覚えおくと良さそうである。一般的な限界と超人的な肉体の持ち主の限界はかなり違うのだということもわかる。 どのくらい速く走れるか、では、陸上競技の選手の例が分析される。 オリンピックを見ていて思うのは記録
ウチの会社で 「製品にバグを混入してしまったヤツはクビにしろ」という発言があったらしい。 すごい話。 そもそもウチの会社ではコードを書いてもあんまり評価されない。でも製品にはそれなりにコードが必要なので、誰かが書かないといけない。最初のサブシステム間の開発分担を決める場でも、どちらがやってもいいような仕事をどうするかで揉めるわけだが、ある必要なモジュールがごっそり抜けていることが開発途中で発覚する場合があり、そうするとその部分を誰が担当するのかなどでよりいっそう揉めることになる。それを担当すると当初の計画にはないので当然スケジュールも予算も人員も厳しいことになる。しかもバグが残ったらクビだ。 そんな状態で誰が引き受けることができるだろうか。 要するにウチの製品の使い勝手が一向に改善されないのは、 開発者のセンスが悪いとかではなく、上記のような状況ゆえに誰もがその改善をやりたがらないからであ
自分が年齢を重ねる度に感じてきた苛立ち、いわゆる同期や上層部、若手に対する進歩のなさに関する苛立ち。 これって何だろう、と考えていた。 例えば、どうしたって勉強しなければならない筈なのにわからないものはわからないで通そうとする同僚。 興味がないものは興味がないで済まそうとする同僚。 30になってもまともなコミュニケーションすらとれず技術力もない先輩。 ただゲームを作りたいと理想を述べるだけで作りたいものを作るための事を学ぼうとしない新人。 すべてが当てはまるとは限らないけれども、似たような怒りを感じたことがある人はいるのではないかと思う。 漫画ばっかり読んでいて良いのか、ネットゲームばっかりしていて良いのか、どうして技術書の一つも読みはしないのか、その種の怒りを感じたことがある人は0ではないと思っている。 じゃ、これってなんだろう? これは恐らく(自分にとっては)加齢と共に抱く自分に対する
原因と結果 最近、ひとつ、わかってきたこと。 「アジャイル開発プロセス」は、原因ではなく、結果であった。 アジャイル開発プロセスを導入するから開発体制が良くなるのではない。 開発体制が抱えている問題を根本的な部分からつぶしていくことによって、 結果的にアジャイル開発プロセスができあがるのだ。 管理者を設定する。テストの体制を作る。ビルド環境を良くする。 会議の質を良くする。ドキュメントをちゃんと作る。 技術者のスキルアップをする。実装の前に設計をする。タスク管理をする。 適材適所を実行する。リーダーシップを育成する。 これらのことをきちんときちんと実行していくことによって、 自然とアジャイル開発プロセスができあがり、変化に強く、 高速確実なソフトウェア開発ができるようになる。 コミュニケーションが円滑化するので、ペアプログラミングが自然発生する。 テスト環境が、テストドリブンを要求する。開
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