2010年8月30日のブックマーク (8件)

  • ふっかつのじゅもんはどう進化したのか? [プレイステーション] All About

    ふっかつのじゅもんはどう進化したのか?『ドラゴンクエスト』で有名な「ふっかつのじゅもん」。パスワードで続きを遊んだり、セーブしたりというゲームの記録の歴史を紐解いてみましょう。 ゲームを立ち上げると「はじめから」「つづきから」と表示され、「つづきから」を選択するとセーブデータが表示される、最新のものを選択すると、以前遊んだ続きから遊ぶことが出来る…。 現在では当たり前のシステムだが、オヤジゲーマーなら周知の通り、ファミコン初期にはこのようなシステムはなかった。 アクションゲームを遊べば毎回1ステージから始まった。「もうすぐ最終ボスが倒せる!」という局面で電源を切ってしまえばまた最初からやり直さなければならない。 当時はゲームが不親切だったのか、といえばそういう訳ではなく、当時ゲームというのはそういうものだった。 アクションゲームは器用でゲームの上手なプレイヤーでなければ最後まで楽しめなかっ

    ふっかつのじゅもんはどう進化したのか? [プレイステーション] All About
  • PC

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    PC
    Nao_u
    Nao_u 2010/08/30
    知らなかった。「64ビット級」みたいなものか
  • 1989年8月 - 不思議なメッセージ::Colorful Pieces of Game

    Re:ゼロから始める ゲームシナリオ ライトニング伝説 さよならハドソン ドラクエとFFと ToHeart 誰得ゲームライフ ときめきメモリアル の時代 イースI・II製作メモ ■頒布ページ■

    Nao_u
    Nao_u 2010/08/30
    「コピーでプレイしているとサルモン神殿のここまで来て、門番が絶対に起きなくなるというわけ!つまりコピーで遊んでいるとこのいいところから先、絶対に進まなくなるんだけど理由はわからないというわけなんだよ!
  • 1989年7月 - バランスを取り直しつつ、ボスの調整を始める(1)::Colorful Pieces of Game

    いろいろあって、えらく間が開いたけど、続き。 前回書いたとおり、イース1と2のレベルを統合すると決めた以上、バランスは完全に取り直さなければならなかったが、このときには「バランスを取り直すことが出来る」という自信はあった。 というのも、凄ノ王伝説で痛い目にあったあと、桝田さんと会って、結構長くつきあった結果、バランスの取り方にはっきりとした方針が出来上がっていたからだ。 凄ノ王伝説を作る前、自分はTRPGゲームマスターなどをやっていたし、アマチュア時代に大量にゲームを作っていたこともあり、バランスを取れると思っていた。 だが、実際にRPGを作ってわかったことは「バランスの取り方なんざ、まるでわかっていなかった」ということだった。 デビュー作の凄ノ王の戦闘システムは、距離の概念のあるタクティカルコンバットで、おまけにプレイヤーのアクションが行動ポイント制のシステムだ。 当時主流だった対面型

  • 1989年9月 - 微調整と最後のバランス::Colorful Pieces of Game

    9月も後半になると、イースは格的なデバッグ体制に入っていた。ほとんどすべてのマップ・イベント・(スタッフロールだけはまだ作っていなかった)が入り、デバッグ&バランス調整の最終段階に入っていた。 このころになると、中さんがデバッグに入って細かな穴が見えるようになっていた。ぶっちゃけるなら最後まで遊べるようになったところで、自分も遊ぶべぇって話だが、もちろん何も知らない初プレイの人ってのは凄く大事で、結構決定的なモノを見つけてくれる。 「岩崎ぃ! 2のボスが倒せないべやあ!」 なんてセリフのが、その一つだ。 イース1ではボスは体当たりで倒すもので、イース2ではファイアの魔法で倒すもの(違うボスが2匹ほどいるが)だが、イース2では誰も魔法の使い方を教えないし(もともとのPC版ではマニュアルに書いてある)、誰も「ボスにはファイアの魔法しか通用しない」なんて言わない。しかもマズいことにザコは別に

  • 【TGS】「今のゲーム産業はシューティングゲームと同じ」任天堂岩田社長が基調講演 - 電撃オンライン

    日9月26日10時30分から、東京ゲームショウ2003会場において、任天堂代表取締役社長 岩田聡氏の基調講演が行われた。公演のテーマは「ファミコンから20年:ゲーム産業の今とこれから」。ゲーム業界の最重要人物の講演とあって、会場には業界関係者を中心に多くの出席者が集まった。 壇上に立った岩田氏は、まず「1983年7月のファミコン発売からの20年間、私はいち開発マンとして家庭用ビデオゲーム作りにかかわり、今日までの発展をすべてこの目で見て実感するチャンスに恵まれました」と前置きし、ファミコン発売からのゲーム産業の歴史について語り始めた。以下に岩田氏の発言を流れに沿って紹介していこう。 ■ファミコン~スーパーファミコン時代「ゲームセンターのゲームが家で楽しめる」 「1983年の時点でファミコンは先発ハードではありませんでしたし、発売当時『任天堂の参入は遅すぎる』と言われたほどでした。流通から

    Nao_u
    Nao_u 2010/08/30
    7年前の話なのに、驚くほど何の違和感もなく読めてしまう事実をどう捉えるべきか。7年前にこれを見たときにはどう感じたか、それは今とどこが同じでどこが違うのか
  • 当たり判定ゼロ(移転しました)

    ゲームについての雑文をちょくちょく。 モガベーID:60916219 PSN ID:rikzen_zero nintendo ID:rikzen メール:rikzzeroあっとgmail.com

  • アメリカ版エヴァンゲリオン | SLPY

    アメリカエヴァンゲリオン http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1268927864/1 :以下、名無しにかわります:2010/03/19(金) 00:57:44.48 ID:zRr2ZNUZ0 シンジ「それで父さん、話って?」 ゲンドウ「このエヴァンゲリオンに乗って、使徒と戦え」 シンジ「…………」 ゲンドウ「…………」 シンジ「オーケイ、落ち着けシンジ。そう、落ち着くんだ。今父さんはなんて言った? 『エヴァに乗って戦え』?バカ言っちゃいけない。 3年ぶりに会ったって言うのにいきなりこんな無茶苦茶をいうわけないじゃないか。 そうだ、落ち着け。深呼吸だ。スー、ハー、スー、ハー。オーケイ、落ち着いた。大丈夫。もう一度だ」 シンジ「なんだって、父さん?」 ゲンドウ「エヴァに乗って戦え」 シンジ「オーッホッホーゥ!父さんそのジョーク最高だよ!

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