コア事業だった写真フィルムの大幅縮小という「本業消失」の危機に直面した富士フイルムで当時社長として構造改革を断行。事業構造を転換させ成長軌道に導いた経営の神髄とは。 ──写真フィルム事業が絶好調だった1980年代初めから、デジタル化に危機感を持っていました。 80年ごろにはすでに、写真フィルムの領域でデジタル技術が出現し始めていた。デジタルカメラの原型となる電子カメラが登場し、印刷でもコンピュータによる製版装置が売り出された。レントゲン用フィルムの分野では、当社がデジタルのCRシステムを開発している。 これからデジタル化の大きな波が来るぞと、当時、皆感じていたはずだ。しかし、どのくらいのスピードで、どこまでフィルムが代替されるかはわからなかった。 私は課長や部長という立場ながら、将来に向けた新規事業の育成を会社に訴えていた。しかし、写真フィルムが絶好調で大きな利益が出ていたこともあり、経営
![富士フイルムはなぜ、大改革に成功したのか](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b06031c4f6e267941f60b044cd904464bf3230ea/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Ftk.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2Fd%2Ff%2F1200w%2Fimg_df54f7b97cec1ed15336c9683c6ff9ad30696.jpg)