われわれ40歳前後の氷河期世代は婚期も逃し、職歴も壊滅的で、親の年金で生きているようなワープアも多くいます。 しかし、世間は少子化対策に、第一子に1000万くばるとかいうわけです。 われわれの失われた人生にはなにかないのでしょうか。 低賃金で老人と子供を支えるだけの人生なんでしょうか。 だれかたすけてー!
タバコに火をつけた。 俺の親父は堅物の公務員で、「タバコ一本につき10秒の寿命を犠牲にしている。」というような嫌煙家だったが、二十歳のときからはじめたタバコはやめられずに居る。 不意に自分の足が震えていることに気がつき驚く。 この震えは11月の寒さからなのか、 それとも、私の変わらない生活が一年が経ってしまったことの恐れなのか、それは分からない。 私は生きている。しかし幸せかどうかと聞かれれば疑問が残る。 誰かと比べれば、それは幸せな人生なのだろう。 苦労はしたし、成功もしていないが、好きなことをして生きてきた。 両親もまだ元気にしているし、人から言わせれば友達も多い方らしい。 世の中、生きたくても生きれない人も居るし、タバコを吸いたくても吸えない人もいるだろう。 そんな人たちに比べれば、私は五体満足で、些細な話をできる友人が居て、両親も元気で... 人と比べれば幸せなのだろうな、きっとマ
人生詰んだ。 知らないことを知らないということを知らなかった。 誰も教えてくれなかった。教えてくれていたら努力した。 親も教師も社会の仕組みなんて教えてくれなかった。 努力をするという発想がなかった。そもそも努力というものが存在することすら知らなかった。 生育環境の差は大きい。
40歳。 万能のような感覚がある一方で 終わるという感覚の自覚を無視できない。 70の父親は頻繁に死を語るようになった。 自分は死恐怖症だ。突然、死の恐怖を自覚する。とはいえ無自覚でいられる時間も多く。 怖い。けれどもその恐怖は先達にとってと自分では温度差があり。 話せないのがかなしい。 話したところで、余裕があるもののたわごとかと切り捨てられることもかなしい。 死にゆく存在であるのは同じなのに 死なない存在であれたら、ほとんどすべての悩みも解決するだろうに
私は臆病者だ。 友達は、いつもはじめにしか作れない。新しい環境で、誰もが友達を求めているだろうという時にしか、自分に需要はないと思っている。 大学は、模試の結果でほぼ確実に行けるであろうところを選んだ。 誰かを好きになりかけても、相手にとっては迷惑かもしれないと、ブレーキがかかってしまう。 一度だけ、相手のほうからアプローチしてくれて、付き合ったことがあるけれど、その彼はもういない。 ずいぶん前に去っていった。「迷惑だ」と告げて。 小学生の時は、自分から勇気をだして友達を増やしていけたのに。(もう疎遠になったけど) 中学生の時は、少し無理めな高校にチャレンジしたのに。(落ちたけど) 私はもしかして経験を積むたび臆病になっていったのかな、と一瞬思ったが、 臆病さは生まれつきのもので、若さと無鉄砲さでカバーできていたものができなくなってきた、というのが正しい気がする。 昔っから人見知りだと、両
最近色々あって人と話すのが怖くなった。 自分は今大学院生なのだけど、 一年前に自分の大切な人から 自分の性格や話し方を結構きつく否定された。 今まで面と向かってそこまで人格否定を されたことがなかったので、 それがかなりトラウマになってしまった。 それ以降、なんだか上手く言葉が出てこなくなった気がするし、 話していても自分の話している内容について人がどう感じるかを過剰に気にしてしまい、 どうも話すのがしんどい。 さらに学部を卒業してからは普段周りに仲良い人がいない状況になってしまったし、 元々人間関係が表面的だった研究室ではさらに会話する機会が減ってしまった。 現在研究室以外のコミュニティに所属していないため、つまり普段会話をする人がいない。 夏は結構長期間インターンに行っていたけど、 周り全員知らない人とずっと過ごすのは本当に疲れた。 ちなみに学部の頃はサークルの会長をしたり、 塾講師を
なんで人生ってリセットできやんの? ゲームみたいにさ、レポートせんとブチ切りしたらまたやり直せるようにしてほしい どんなに嫌でも時間ってどんどん過ぎていくし、どんなに嫌でも明日がやってくるし、逃げたくても逃げられへんし。 どうしても嫌になって現実逃避したら、逃げたことに対する罪悪感とか、世界から置いてけぼりにされたような孤独感とか、一日中全くの進捗がなかったことに対する焦りとか、現実に耐えきれない自分の弱さとか痛感して逆に精神病んでくる。 ほんまにどうしても今が嫌で、どうしてもリセットしたくなったら、環境変えるっていう手段もあるけど、どうしても変えられない環境もあって、鎖で繋がれてるような息苦しさから逃れることができない。 いっそこの世から消えてしまいたい。 でも、それも簡単にできない自分が嫌い。 スイッチ一つで抜け出せるツールとかあったらいいのに。
工業高校卒老舗企業の万年平社員(昇進試験に学歴が必要だから) 長い独身時代は繁華街で遊び倒したが幼な妻を得て落ち着く 京浜東北線沿線駅徒歩15分にに建てた一戸建て(土地は相続)に毎日19時には帰宅 酒はやめたが毎年趣味の旅行に行く 平社員ではあったが福利厚生がいいことで有名な企業で、勤続40周年記念には会社の金で1週間ほど旅行にも行った 愛妻は早くに亡くしたが子供は大学へもやって既に自立した 子供に必要だと思うものを与えてやれなかったことはない 定年退職後は自分と妻の母親の介護に苦労したものの、寝たきりで長引くようなことはなく数年で見送り、今はマンションの管理人をしながらあちこち旅行へ行く暮らし 老後のたくわえもそれなりにあるようだし、いずれは子供が介護してくれる 私がこのような人生を期待できないのは時代が悪いからということ以上に親父のような恐ろしくコツコツ型の人間ではないからだが それに
風俗に行けという人がいる。 女の人をお金で贖うなんて考えられない。 いつしか思う時がある。俺は一生童貞かもしれないな。 で、あれば俺は、我々は、我々童貞は、「それ」と付き合わなければならない。 いかにして童貞をこじらせずに一生をすごすか、考えなければならない。 まずは、知ることだ。聞くことだ。 偏った知識が、いつしか迷妄を拗らせる。 百聞は一見に如かずという。 ならば我々は千聞、万聞をする。 我々は段階を見過ごしてきた。あるいは、知りながら無視してきた。 そういうものに興味を示すのが、格好悪く、恥ずかしいと思ってきた。 今でも、ちょっとそう思っている。 興味を持ち、ネットだけではなく、友人の そういう話を、酒の席とか、 なんでもない時に、なんでもない感じになるところで 聞くべきなのだ。 そうして、コンプレックスをある時は募らせ、ある時は解消し 何事もなく、一生を無事に終えよう。 そういう風
考えることが苦手だ。こう書くと語弊があるかもしれない。 ゴールが既に決まっていて、それをより良く達成するために思考する、ということは得意とまではいかないが、苦手でもない。 例えば、学校のテストだったり、型の決まりきった仕事であったりは、上手くこなそうとしさえすれば、なんとかなってきた。 だが、ゴールそのものが曖昧であったり、決まっているわけではないものに対して思考しようとすると、途端に、頭に靄がかかったようになる。 例を挙げるなら、休日の過ごし方だったり、将来の希望だったり、自由なお金の使途だったり。 おそらく、自分の価値観だとか好き嫌いを適切に把握さえできれば、それを最適化するゴールというのが自ずと定まってくるはずなのだ。 そうなれば、こっちのものだ。けれども、自分には、良くも悪くも、好き嫌いというものがあまりない。 のめり込むものもなければ、かといって腸が煮えくり返るような対象も存在し
しようと思うというよりは引退した身である。 無職になって2年たったが、働く気が起きない。 世の中が理不尽すぎて労働する気にならないのだ。 デフレ期の理不尽な体験が復帰の感情を挫く。 現在は資本主義の末期で、資本を持つ側がいかに弱いものから搾り取るかに収益がかかっているところがある。 相手の足元を見て、高い要求と低い報酬を提示し、従わないなら冷遇し、どのようにでも追いつめることができる。 知り合いの生き残っている同年代の人は、人をうまく騙すなり、脅す側に回ったり、生き残っている。 それを、たくましいというのだろうが、自分はそういう真似はできそうにない。 もう、腰を据えて社会から引退し、働くのをやめようと思う。 貯金は2000万ある。 独りで節制していれば、年間100万程度で暮らせることがわかった。もちろん年金からは逃げる。 この調子なら20年の計算になる。 60歳まで生きれれば上々だろう。
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