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家族に関するNettouochiのブックマーク (1,454)

  • 小学生の時に親から受けたダブルバインドをいまだに引きずっている

    「あなたはアトピーをもっているから運動してはいけないのよ」と言いながら「あなたは当に運動がへたくそね。私が子供の時にはできたのに」と絶望する。 「この部屋を掃除しておいてね」と言いながら「なんで掃除したの?!!あれはどこへやったのよ!余計なことしやがって!」と絶叫する(しかもそれは母親がまさに手に持ってる鞄の中にあった) 「公立へ行くべきよ。受験頑張って。応援しているわ」と言いながらいざ受かると「ああ、あの私立高校だったら特待生だったのにね・・・残念」と受験時は一切名前も出さなかった高校名出してきて絶望する。 「今時の小学生は自分で髪型もファッションも選んでいる。えらいわ」と言いながら自分で服を選ぶと「なんで自分で服を選ぶの。髪型も自分で決めるなんて糞生意気になったね」とあざ笑う。 「塾で講師からいびられて行くのが嫌だ」と言うと「甘えでしかない、勉強ができない言い訳だ」と言ってきたが、数

    小学生の時に親から受けたダブルバインドをいまだに引きずっている
  • 子供の頃に描いていた自分の未来

    子供の頃、未来の自分は商社マンになってバリバリ働いていると想像していた。 とにかくバリバリ仕事がデキる男、そんな感じ。 そう思うようになっていたのは母親の影響。 母親は俺のことを褒めまくった。 もちろん悪いことをした時は叱られたが、基的には「すごいね。」と褒められ、あなたには才能があるようなことを言われていた。 それで勘違いしていた。 言い方は悪いが、今思えば、自分は特別デキる人間なんだと洗脳されていたような状態だった。 これが大人になった今でも続いている。 母親はとっくに他界しているけれど、小さい頃のその洗脳が未だに残っていて、現実とのギャップに悩んでいる。 相当に悩んでいる。 おかしくなりそうだ。 いや、もうおかしくなっている。 40歳、未婚、友人はいない、貯金もない、仕事も不出来。 未来が無い男。 母親のせいとは言いたくない。 全て自己責任。 しかしこの現実からどう脱していいのかわ

    子供の頃に描いていた自分の未来
  • ぼっちの夏休み

    一人ぼっちの大学生にとって、夏休みは苦痛を伴う期間である。 外に出れば、数多のカップリングを目撃してしまう。 太陽の「おらー!」という叫びと、アスファルトの「うぎゃー!」という断末魔にサンドイッチされた哀れなトマトであるところの私は、ひたすら汗をかきながら嫌な思いをするのである。 家に篭もれば、することがない。 を読み、映画を見、音楽を聞き、隣人がぼっち大学生じゃありませんようにと祈りながらアコギを弾いてみたりするものの、すぐ飽きる。 勉強は大切だ、しなくてはいけないと思いつつ、惰眠をむさぼるのである。 実家に電話をかけてみようか? 母は地元に残った旧友の話をまるめた鼻クソのごとく弾き飛ばしてくる。 あの子は双子を産んだとか、あんたが仲良かったあの子は市役所に務めているとか、どうでもいい話だ。 あとは父親が骨折して家系が火の車なんて、気が滅入る話しかストックがない母。 祖父母の家にサプラ

    ぼっちの夏休み
  • 両親のSEXを見た、聞いた経験

    1度目は自分が保育園児の頃。川の字で寝ていたら両親が隣でし始めたのをはっきりと憶えている。気がついた母の「○○が見てる…」という言葉は忘れることが出来ない。 2度目は小学生の頃。父が酔っぱらって帰ってきて、家に帰るなりズボンを脱いで母の寝ている寝室に入っていった時。その後、両親のあまり聞きたくない声を聞いてしまった。その頃になるとそういう知識も得ていたので余計に気まずかった。 その後、無事に弟が出来たのだが井戸端会議で母の「当は作るつもりは無かった」という発言を聞いて軽く引いてしまった。

    両親のSEXを見た、聞いた経験
  • 母が乳ガンだそうだ

    検査でさっきわかった。もちろん手術する。治るかはわからない。多分人が一番不安だろう。 俺もショックだった。だが同時に覚悟もした。 正直に白状すると、俺は努力が嫌いで、今までちゃらんぽらんに生きてきた。散々現実逃避して、いろんなことから逃げてきた。働くのが嫌で、留年もした。にもなった。大変な心配をかけた。 だが、それももう終わりにする。 今の俺にできることは、己のスキルを高めて、金を稼げるようになり、母を安心させてあげることだ。 明日生きられるかもわからなくなった母のために、明日を存分に生きるようにしよう。 それにのみ集中すればいい。 やろう。

    母が乳ガンだそうだ
  • 天涯孤独になった

    2親等以内で生きているのは自分と父だけだった。 その父がこないだぽっくり逝った。ぽっくりとしか言いようがなかった。いや、ぽっくり以外にも言ったな。「え、まじで?」とか言っちゃった。 いろんなアレをソレして(あまり思い出したくない)、職場に復帰して、休んでいたあいだの仕事睡眠返上でこなし、なんとか仕上がったところで 「あ、天涯孤独じゃん」と思った。 親父が死んだとは言え、上司の同情の仕方が真に迫りすぎていたのはそのせいだったのか、とふと気づいた。 もともと家族の数が少なかった自分にとって、家族が減ることはさほどの問題ではなかった。単純に数えてもう5回人と死に別れてきたわけだから、自分が生きていれば父親もいずれ死ぬということも受け入れていた。 しかし、世間にとっていまの自分はただの「最近親をなくした人」ではなく、「天涯孤独の人」なのだ。 「最近親をなくした人」はいずれ「親をなくしたことがある

    天涯孤独になった
  • 家庭戦士、マザーには『趣味』が無い

    タイトルはふざけました。 私の母には、何も趣味が無い。 好きなべ物も良く分からない。 誕生日のプレゼントはマッサージ器など困っていそうなものをあげているが もうそろそろ定年を迎える。主婦と言う仕事も一段落して良いのではないだろうか。 ふと考えたら「母には趣味が無かった」 家事をしている母、韓国ドラマを見ている母しか思いつかない。 新しいものを作ったり、やったりするのは好きじゃないようだ。 それよりも、そういったことを諦めているような印象が強い。 母が、友達と一緒に居るところを見た事が無い。 母に友達が居るかどうかさえ不安な状態だ。 私が物心付いたときから、母は家にいたし、家族意外と居ることは無かった。 私は母に何をしてあげられるのだろうか。 母へ良い趣味は無いだろうか? みんなのお母さんの趣味ってなんですか?

    家庭戦士、マザーには『趣味』が無い
  • 独身の中年は帰省していいかどうか

    若い頃は休みになれば実家に帰って親に顔を見せていたけどもう中年。中年独身、年々帰省しにくい。 お母さんはいつも「お盆の予定は?」と聞いてくれるが、当に帰っていいものか。周りの人達は孫を連れて帰ってくれて当に楽しい盆なんだろうけど、こんな中年が単身で帰ってお母さんとお父さんは喜ぶとは思えない。むしろ悲しむ。 中年だけどお母さんに会いたいしお父さんに会いたい。 中年、迷う。

    独身の中年は帰省していいかどうか
  • 家族と会わないようになってから5年以上の月日がすぎた。    元々仲が悪..

    家族と会わないようになってから5年以上の月日がすぎた。 元々仲が悪いわけではなかった、仲の良い家族ではなかったが、最初は連絡をとりあっていた。 しかし家を出て少しずつ世間のことを知るにつれ、自分の家は何かおかしかったのではないか、それが気になりはじめると家族と接することが苦痛になり、帰省しても家族とはほとんど何も会話をしなくなっていた。帰省している間の一週間が苦痛でたまらず、それからは一度も帰省はしていない。顔もみていない。 日頃耳にはいるような、酷い暴力や精神的な攻撃があったわけではない。 ご飯はたべさせてくれたし、学校にもいかせてくれたし、倫理的に何か問題があるわけじゃなかった。漫画を買うこともアニメをみることも許されていた。 しかし両親は私が中学生のころから毎日ケンカをしていた。 父親は仕事から帰宅すれば瓶ビールを飲みながら野球を観る。嫌いなチームが勝っていると機嫌がわるくなり家族に

    家族と会わないようになってから5年以上の月日がすぎた。    元々仲が悪..
  • 仕方ない

    子どもの頃、祖母も一緒に住んでいた。 ある日を境に同居の形になったパターン。 最初はまあ、普通だった。 特に祖母がいて好都合も不都合もなかった。 だが、ある時点から祖母が怪しくなった。 やや痴呆が入るようになったんだよな。 で、そんなある日 自分が小学校から帰って来たら 廊下とトイレの床やら壁やらがウンコまみれになってた。 どんな事態が起こったのか未だにわからないが、 とにかくボケが始まった祖母がやらかしたことは確かだった。 その時家には祖母以外に誰もおらず、 かと言ってそれを放っておくこともできず、 あまりのひどさに泣きながら掃除した。 その日以降、自分は祖母が大嫌いになった。 気持ち悪かった。憎かった。存在が許せなくなった。心の底から嫌悪していた。 家にいても自分から話しかけることはなくなったし、 何か頼まれても露骨に嫌々な態度を示し、 祖母に触れたあとは必ず手を洗った。 そんなある日

    仕方ない
  • 両親しっかりしすぎかよ

    父親、私立の高校教師で今年定年した。最終800万ぐらい年収で、母親専業主婦。 絵に描いたコツコツ堅実派で、ワイ氏ゴリゴリの詰め込み。その分野で2番か、3番かの私立大学に行った。(学費800万奨学金は借りたが、親持ち) なので、この恩はしっかり返したいが、次の世代にペイできそうな気がしなーい笑 ちょっとちゃらんぽらんな親のほうが気が楽

    両親しっかりしすぎかよ
  • 暴言を吐きながらスポーツを観る人が嫌い

    暴言を吐きながらスポーツを観る人が嫌い 私の父の話である。 父はよくスポーツを観ている。 一番好きなのは野球だが、格闘技やモータースポーツなども含めなんでも観る。 なんでも観て、なんにでも暴言を吐いている。 少しミスをしたり調子が出てこなかったりすると「下手くそ!」だの「交代だ!」だの、ここには書ききれないがまあとにかくひどい。 父自身がやった経験のないスポーツの選手に対しても、テレビで得た知識を持ち出してさも自分ならもっと上手くやれる風に語り始める。 しかも大抵の指摘は的外れだったりする。 いいプレーをした選手にも「梶谷が打ったの?信じられないなあ」などと言って褒めるということを知らない。 それでいて得点が決まったりすると白々しく喜んでハイタッチを求めてきたりして気色が悪い。 私もスポーツ観戦は好きなので観たいのだが、自分の部屋にテレビがないのでリビングに行くと父の偉そうな暴言が飛び交っ

    暴言を吐きながらスポーツを観る人が嫌い
  • [身バレ]身バレ日記

    ・子どもにWEB日記がバレてしまった。 ・いっしょに仕事をしてるので、数々のワガママを受けて、うんざりしていることを正直に書いていたらそれを読まれてしまった。 ・前にバレたことは知っていたけど、日記の大半はオタク趣味の内容なので読まれることはないだろうと思っていて油断していた。 ・こんな誰もがよめるようなところで悪口を書かれてどんな気持ちがする?などといわれて、消さないと仕事しないといわれたので、淡々と消していた。 ・今後監視が厳しそうなのでここで匿名として書くことにしようかなと。 ・休みだけどいっしょにいたくないって電車でどこかにいった。 ・とかくこの世はめんどくさい。

    [身バレ]身バレ日記
  • 墓参り行った

    母が入っている墓は父の家から単線のJRで1時間ほど行った田舎の小高い山に存在する。 電車は1時間に1。 母は自分の実家の墓に入ってる。父が再婚したら後と一緒は嫌だから彼がひとりで死んだならその時一緒に入れてくれが遺言だった。 クラシックな人だと思ってい父はそれを守った。父は再婚している。 前回帰省した時は大雨で墓参りができなかった。 今回は一人で電車に乗ってのんびり行こうと思っていたのだが、思いのほか父が体調がよいので車で一緒に行ってくれるというので快諾。 予定より1時間早く出発することになり、私が宿泊しているホテル前で待ち合わせて、途中父の家に寄り墓参りの準備が万端に整われていて驚いた。 水、マッチ、ろうそく、線香はもとより除草剤や丈の高い草を刈る用の枝切狭みや虫除け用のシャツや歩く用まで(私はサンダルで帰省していた)。 そこから私と父の1時間のドライブ。二人とも朝べていなか

    墓参り行った
  • なぜでしょう

    家族の話をしたい。 わたしにはもうすぐ30になる兄がいる。普通に普通な大学を普通に卒業し、今はフリーターをしている。 趣味はない。実家暮らしで、金も入れず毎月稼いだ分をすべてといっていいほど友人との外と毎日の買いいに当てている。 朝から昼までなにもせず部屋で寝て、夕方皆が帰宅する頃に毎日何かしらの予定を口にして外出し、皆が寝静まった頃に帰宅する。 バイトは週に3日、それも夕方~夜の4~5時間だけ、コンビニで働いている。月9~10万程度の収入。 両親は正社員になって欲しいと渇望している。父親はまるで病んだようにくらい顔で毎週求人誌を取って来て眺めている。母親は知人に就職の口をことあるごとに聞いて回っている だが兄はほとんど就活をしない。 学生時代就活を全て失敗し、3ヶ月就職浪人したのち、正社員で携帯販売の代理店に就職したが仕事がキツかったらしく、数ヶ月で不登校ならぬ不出社状態に陥り、一年

    なぜでしょう
  • ずーっと私がやるゲームを見てた弟

    小学4年の時に初代のファミコンを買ってもらった。 家においとくと勉強しなくなるというので、 ファミコンはおばあちゃんの家のテレビに設置され、 日曜日の午後からだけ遊ばせてもらえるシステムになってた。 毎週日曜の午前は進学塾に通っており、 それが終わるとおばあちゃんの家に車で連れて行ってもらって、 午後はずっとゲームをするというのが楽しみだった。 おばあちゃんの家では私ばかりがゲームをやって、 2歳下の弟はただひたすらそれを見ているだけだった。 今思えば自分勝手な兄だったと思うが、ケンカして取り合いになったり、 弟にゆずってやったりした記憶もあまりなく、ひたすら私だけがゲームをやっていた。 ゼルダの伝説が楽しかったのを思い出す。 私が大学に入って一人暮らしを始める時に、実家にあったスーファミを持ちだしたのだけれど、 他の事が忙しくなったのでゲームをあまりやらなくなった。 今、思い出したけど、

    ずーっと私がやるゲームを見てた弟
  • ディズニーランドの思い出

    私が幼稚園くらいの頃、ディズニーリゾート内のホテルに一泊して、次の日ディズニーランドで遊ぼう、という話になった。 当日、母が仕事を早めに切り上げ、宿泊の支度をして、夕方、家を出て舞浜へ向かう。京葉線に乗る頃には辺りも暗くなる。そんな時間に外にいたことのなかった私は京葉線から見える夜の景色に感動したものである。 父は仕事場から直接ホテルに向かい、我々と合流する手筈になっていた。ホテルに着くと、いつもは疲れて不機嫌な母もその日はご機嫌で、ホテル内を探検しよう、などと言ってきた。(母は気難しく子供の相手をほとんどしてくれなかったので、この提案は大変嬉しかった) ひとしきりホテル内を見て回ったあと、父を待つためにホテルの中庭にあるカフェで休憩することになった。カフェのパラソルの下、私はオレンジジュースを買ってもらい、いつもより少しだけ優しい母との時間を満喫した。すると、スーツのままの父も合流し、そ

    ディズニーランドの思い出
  • 母がしんどいみたいな話

    毒親をディスるとバズると聞いたので、くだらない承認欲求のために親を売ります 私は大学四年生 一般的にはやや高学歴の大学に通っています 就活は進捗ダメです 母は専業主婦 田舎の裕福な家で箱入り娘として育てられ、短大卒業後、親のコネで就職 3年くらいで父親と社内結婚、寿退社 すぐに妊娠、出産 という、日女性ロールモデルの典型のような人生を送っています 母は過保護過干渉なきらいはあるものの、ここまで私を精一杯育ててくれたと思っています ただ、どうにかしてほしいのは、宗教に入れ込んでいる点です 一応カルトとかではなくお金を騙し取られたりとかはありませんが、時間と精神は支配されているように見えます 母は、毎日、座談会やら講演会やらの勧誘のためにお宅訪問したり電話したりと大忙しです そしてもちろんですが、家族の私にも勧誘の手は迫ります 家でテレビを見ているとき、ご飯をべているとき、勉強しているとき

    母がしんどいみたいな話
  • 人生のレール

    親が苦手だ。 友達相談しても、「うちもそうだよ、嫌だよね」と言われるが、それとはまた違う。 とにかく何かが違うのだ。 しんどい、と思った。 親から離れようと思った。 親から離れるにはどうしたらいいだろう、ネットで検索をかけてみると、一人暮らしをするのが一番だ、と出てくる。 私の場合、一人暮らしをしたところで状況は変わらなかった。 親として、というより、人間として苦手だ、といったほうがいいのかもしれない。 ここまで束縛されて、暴言を吐かれて、「どうしたって親である事実は変わらないんだから大丈夫よ」。 嫌という程それはわかる。 だからこそ、嫌なのだ。 この人が親だということがとてつもなくつらい。 暴言を吐く人間が血の繋がった親だという事実が当につらい。 親が苦手だ。きらいだ。 でもそれ以上に反抗できない自分のことが一番、きらいだ。

    人生のレール
  • 息子が今月からコロコロを読むのをやめた。 スプラトゥーンの漫画読みたさ..

    息子が今月からコロコロを読むのをやめた。 スプラトゥーン漫画読みたさに別冊まで買えと言ってきたのに、そっちもすっぱりやめた。 「そろそろ女に興味を持ち始めたか」と思ったが、 どうやら「Youtubeにおもしろいものがあるからコロコロはもういいや」ということらしい。 自分が子供のときはコロコロに載っているおもちゃやゲームに飛びついていたけど、 今はそういう時代でもないんだな。

    息子が今月からコロコロを読むのをやめた。 スプラトゥーンの漫画読みたさ..