ブックマーク / blog.livedoor.jp/iseda503 (12)

  • Daily Life:ヒュームの帰納の問題の再発見

    April 14, 2024 ヒュームの帰納の問題の再発見 ヒュームの帰納の問題は現代の科学哲学で帰納をめぐる哲学的問題を紹介する際、必ずといっていいほど言及される。このように定番になっていることから、「ヒュームの帰納の問題」がヒュームが『人間性論』を公にして以来一貫して哲学の大問題として論じられてきたような印象を持つ人も多いかもしれない。かく言う私自身も科学哲学の歴史について調べ始めるまで、当然のようにヒュームの帰納の問題が二百数十年来の大問題だったと想定してきた。 しかし、少し調べれば分かるように、19世紀前半から中頃にかけての「帰納」をめぐる論争(ハーシェル、ヒューウェル、ミルらによるもの)では、ヒュームが指摘した論点は全く顧みられていない(このあたりは『科学哲学の源流をたどる』でも少し紹介したし、以下でも触れる)。では、ヒュームの帰納の問題を哲学的問題圏の中央へと押し出したのは誰

  • Daily Life:知られざるコンピューターの思想史

    September 21, 2022 知られざるコンピューターの思想史 小山虎さんの『知られざるコンピューターの思想史 アメリカン・アイデアリズムから分析哲学へ』は、いろいろな意味で刺激的なである。もっと話題になってもいいと思うのだが、今のところあまり話題に取り上げられている様子がない。それは理由がないことではないだろうと思う。以下、このを読んで思ったことをつらつらと書き留めておきたい。 1 学術的な思想史のとして いきなりであるが、このを学術的な思想史のとして扱うのは現時点ではむずかしいと思う。「学術的な思想史の」でないとしても、あとで述べるように、ある種の歴史観についての学術書として、あるいは思想史に関する一般むけの著作としてはまた評価が異なってくると思う。しかし、歴史そのものを学術的に扱う場合にはそれなりの作法があり、書がその作法に従っているとはいいがたい。あとがき(p

    Outfielder
    Outfielder 2022/09/22
    「本書で描かれる「思想史」はほぼ人間関係の話に終始しており、登場人物たちの思想内容についてはそれこそ辞書的な記述が少しずつ添えられているにすぎない」
  • Daily Life:『はじめての動物倫理学』読書ノート

    September 06, 2021 『はじめての動物倫理学』読書ノート 田上孝一さんの『はじめての動物倫理学』は、動物倫理の分野を概説するおそらく最初の新書であり、この分野の存在を多くの人に知らしめたという意味で、大変画期的なだと思う。 以下では主にわたしが同意できない点や疑問に思う点を中心に記述していくが、その前に書の良いところをいくつかあげておこう。 まず、全体として非常に読みやすい。ときどき「広く観念されている」(p.107)といった耳慣れない表現が出てきたりするものの、全般に難解な表現は極力避けられている。また、いろいろ留保をつけずに言い切る形で論述されているところが多いのも、立場が鮮明であるという意味で書の美点である。動物の権利論がいろいろな問題をどうとらえるかについて、田上さんなりの一貫した視点を提供しているのも書のよいところである。 第一章の倫理学理論の整理はスタン

    Outfielder
    Outfielder 2021/09/07
    「良いところをいくつかあげておこう。まず、全体として非常に読みやすい」「言い切る形で論述されているところが多いのも、立場が鮮明であるという意味で本書の美点」「マルクス主義と動物倫理学の関係を考察」
  • Daily Life:大塚淳『統計学を哲学する』を読む

    August 02, 2021 大塚淳『統計学を哲学する』を読む [追記:この記事について大塚さんご人からリプライをいただいています。] 昨年出版された大塚淳『統計学を哲学する』は、日人の統計学の哲学者によるはじめての「統計学の哲学の」である。こうした科学哲学の先端の領域になかなか日の研究者が切り込めて来なかった中で、ついにこうしたが出版されるようになったことは大変慶賀すべきことだと思う。さらに言えば、書は決してただの解説書ではなく、大塚さんの独自のアイデアに溢れた、統計学の哲学の研究書である。特に、ベイズ主義と古典統計をそれぞれ内在主義と外在主義の認識論になぞらえて認識論的含意を取り出そうとするあたりは、他の追随を許さない独自の議論が多く展開されている。書は今後日で統計学の哲学について議論する際に常に出発点となることだろう。書は非哲学者も含めて広いリーダーシップを獲得し

  • Daily Life:佐藤直樹『科学哲学へのいざない』

    June 07, 2021 佐藤直樹『科学哲学へのいざない』 佐藤直樹さんの『科学哲学へのいざない』について少し書きたい。 佐藤さん(以下「著者」とする)は実験生物学者でありながらも、哲学系の学会のワークショップに登壇されたり、マラテール『生命起源論の科学哲学』の翻訳を手掛けられるなど、科学哲学的な問題意識を強く持ち、科学哲学と関わりを作ってこられた研究者である。その著者による科学哲学へのいざないということで、科学哲学の側からも注目すべき書籍であると思う。 書は少し変わった成り立ちのである。著者はサミール・オカーシャの『科学哲学』を教材としつつ、独自の資料で補足しながら授業を行っていたとのことである。そうした授業の内容に、さらに加筆して書籍としてまとめたのが書である。そのため、全体としてオカーシャの教科書に対するコメンタリのようにも読めるとなっている。 全体のトーンはオカーシャの

  • Daily Life:生物学者は「自然主義的誤謬」概念をどう使ってきたか

    July 16, 2020 生物学者は「自然主義的誤謬」概念をどう使ってきたか 最近発表された人間行動進化学会の声明の中で、「自然主義的誤謬」という哲学由来の概念が使われていた。 そこでは、自然主義的誤謬が、「「自然の状態」を「あるべき状態だ」もしくは「望ましい状態だ」とする自然主義的誤謬と呼ばれる「間違い」」という言い方で紹介されている。これを倫理学者が聞いたなら「いや、自然主義的誤謬はそういう意味じゃないんだけどなあ」と言いたくなるところであろう。しかし、進化生物学者と「自然主義的誤謬」という概念の付き合いはかなり長く、それなりの経緯がある。稿の目的はとりあえずその経緯を追うことで、「自然主義的誤謬」という概念の適切な用法とはなんだろうかということを考えることである。 最初に断っておくが、稿はいかなる意味でも体系的なサーベイとはなっていない。どちらかといえば、目立つ事例いくつかをつ

    Outfielder
    Outfielder 2020/07/16
    「人間行動進化学会の声明の中で」「生物学的な「自然さ」から規範を導き出す議論には、別の名前がある。「自然さからの議論」というもの」だって自然主義的誤謬って言ったほうが難しそうで格好いいじゃん
  • Daily Life:井上さんの書評へのお答え

    June 17, 2020 井上さんの書評へのお答え 翻訳家の井上太一さんが『マンガで学ぶ動物倫理』の書評を公開された。 井上太一さんは動物擁護運動(わたしは包括的な名称として「動物保護運動」を使っていますが、ここでは井上さんの表現をお借りします)関連の書籍の気鋭の翻訳家であり、私も井上さんの訳されたはいくつも参照させていただき、勉強させていただいている。そうした方にわれわれのを評していただけるのは大変ありがたいことである。 以下、井上さんが批判的なコメントをされている箇所にしぼってお返事を書きたいと思う。 動物実験をめぐる書の説明は、あたかも国内外における動物実験の規制が、実験業者によって積極的に進められてきたかのような印象を与える。 19世紀から20世紀初頭のフランセス・コビーらの動物実験反対運動は当時の動物擁護運動の主流になることができず、運動として停滞したというのがわたしの認

    Outfielder
    Outfielder 2020/06/18
    「その言い方で語りはじめたとき、建設的な対話をするのはとても困難」「そもそも勝ち負けに直接つながる話をしているつもりはありません」「書いていないことを読み取って、きつい言葉で反応するのは、難癖」
  • Daily Life:戸田山和久『科学的実在論を擁護する』書評

    March 27, 2016 戸田山和久『科学的実在論を擁護する』書評 戸田山和久『科学的実在論を擁護する』名古屋大学出版会 2015 http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0801-3.html 書は戸田山氏による格的な科学的実在論の研究書である。 まず、日語でよめる実在論論争史の紹介として、現時点で書がもっとも充実したものだということは間違いない。20世紀における論争の紹介内容は、シロスのScientific Realism: How Science Tracks Truth (Psillos 1999)という定評ある研究書を下敷きにしていることもあり(これについてはあとで触れる)、信頼性は非常に高い。また、21世紀になってからの動きとして、チャクラバティの「半実在論」(semi-realism)やスタンフォードの「新しい帰納法」など

    Outfielder
    Outfielder 2016/03/28
    相変わらず仲良し二人でキャッキャウフフ
  • Daily Life:クレジットと盗用

    March 14, 2014 クレジットと盗用 最近研究における盗用の問題が世間で話題になっているようなので、この機会に、かつて『応用倫理学事典』(加藤尚武編、2007年、丸善)の項目として書いた「クレジットと盗用」という文章を以下に転載する。実際に掲載されたバージョンは字数制限の関係上この半分くらいに削られているので、以下は「長いバージョン」である。もっと簡潔な解説をもとめる方は『応用倫理学事典』を参照されたい。 文中でも触れられる捏造と改竄については次項参照。 ****** 研究者倫理において、捏造や改竄と並んで代表的な悪事とされるのが盗用(plagiarism)である。アメリカ政府の公正研究局(Office of Research Integrity)では三つの頭文字をならべてFFPとよび、研究上の不正行為とはこの三つであるという狭い定義を用いている(山崎2002、ステネック2005

  • Daily Life:欠如モデル(補足)

    March 02, 2012 欠如モデル(補足) 「欠如モデルの由来と発展」はいろいろブックマークもいただいた。ただ、純粋に用例を追いかけたエントリーだったので戸惑った方や肩透かし感をおぼえた方もけっこういたようだ。目にした感想などをもとにいくつか補足したい。 1 結局「欠如モデル」という言葉はどう使うのが正しいの? テクニカルタームの定義について意見がい違った場合、まずは「じゃあオリジナルの用法に戻ろうよ」という話になる。なので、欠如モデルの場合もWynne 1988の用法に戻るというのが筋なのだが、これは公刊されていないので戻りようがない。1991年から92年の早い時期の用例では定義らしい表現がなされていないうえにWynneとZimanとDurantで少しずつニュアンスが違うようなので、準拠しようにも足場が見つからない。 そういう準拠すべき正統的用法というものが存在しない場合、「次善

    Outfielder
    Outfielder 2012/03/02
    これ以上もこれ以下も書きようがないのだが、書いとかないとまた変なのがやってきそうで
  • Daily Life:欠如モデルの由来と発展(その1)

    February 23, 2012 欠如モデルの由来と発展(その1) 科学技術と社会の関わりを論じる場面で「欠如モデル」という言葉をよく目にする(しない?)が、一体どういう意味なのだろう。いや、典型的な用法は知っているけれども、もともとどういう意味の言葉として導入されたのだろう。そういう素朴な疑問からちょっと調査をしてみたので報告しておきたい。 以下の記述は、科学技術社会論は何についてどういうことを言っている分野か、というくらいの知識は持っていることを前提に書いている。その意味では、「欠如モデル」という言葉をすでに何度か耳にしたことがある人が対象である。まったく聞いたこともない、という方は以下に挙げる教科書などをちょっと見てから読んでいただかないとなかなか理解が難しいだろう。 けっこうな分量になってきたので今回は「その1」ということで最初の部分だけ掲載する。文献情報は最後にまとめて掲載する

    Outfielder
    Outfielder 2012/02/23
    全員オレオレ定義
  • Daily Life:科学が進化する5つの条件

    October 13, 2011 科学が進化する5つの条件 市川惇信さんという方の科学が進化する5つの条件 (岩波科学ライブラリー)というを読んだ。 読むことになったのは、少し前の記事で、津田敏秀さんのへのコメントの中でこんなことを書いたせいである。 「なぜここで突然「市川氏」の科学哲学の話になるのか。市川氏はそもそも何者なのか(文献表を見ればもちろん分かるわけだが、文中での登場の仕方は唐突で ある)。科学の方法論について語る科学哲学者はたくさんいるし、一般入門書も何種類もあるわけだが、なぜそれらはすべて無視で科学哲学を専門にしない市川 氏の議論だけが紹介されるのか。」 この記事は市川さんについて大変否定的な言及のしかたになってしまっていたが、実際に読んでみてだいぶ意見をあらためた。市川さんには陰ながら (?) お詫びしたい。罪滅ぼしに紹介とコメントをしたい。 こので科学の基的方

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