ブックマーク / yonosuke.net (40)

  • 他の研究者先生を信頼できないのはつらいことです | 江口某の不如意研究室

    私、ツイッタでもこのブログでも、いろいろ人様の研究(論文・書籍)やブログ記事やSNS投稿に文句をつけることが多くて、ほんとうにもうしわけないと思っているのですが、でもそうしなきゃならないというのは当につらいのです。おそらく多くの人が、江口はまともな業績もないのに、悪口ばっかり言ってると思っていて、私もそう思っていて恥ずかしいのですが、でもやっぱり書かないとならないことはあると思うのです。フェミニズムやジェンダー研究に関心があったので、そういう研究にコメントつけることが多くてアンチフェミニストだって思われてるかもしれないけど、そうではないのです。でもそうした研究のまわりには問題が多いと思う。これだけはわかってほしい。 この前もある先生が、『射精責任』の著者がモルモンであることを問題視していて、それに関して当の書籍を読んだりしてコメントしました。 なかでも苦しかったのが、『射精責任』の著者の

  • 五野井郁夫先生の「キャンセルカルチャーはデモクラシーを窒息させるのか」にはビビりました | 江口某の不如意研究室

    前のエントリではちょっとミル『自由論』の話して、出典の話で終ってしまったのですが、それではあんまり失礼かもしれないので、論文の内容にも少しコメントしておきたいと思います。 私が見るところでは、五野井論文は以下のような構成になっています。 不買運動などのボイコット運動は正当な民主主義運動ですし、それはツイッターでのハッシュタグ運動などに発展しています。(前回触れたミル解釈はここで出てくる)ボイコット運動の延長としてキャンセルカルチャー=コールアウトカルチャーを説明します。ハッシュタグアクティビズム、ノープラットフォーミングなどを紹介します。その問題点は恣意的になりやすいこと、いつ「キャンセル」が終るかわからないことなどです。キャンセルされた有名事例を列挙します。トマス・ポッゲ、ピーター・シンガー、J.K.ローリング、リチャード・ドーキンス、チャールズ・マレー、スティーブン・ピンカー、V.S.

    Outfielder
    Outfielder 2023/06/09
    「徹底的に規範を身体動作を含めて刻みつけさせろ」「『世界』という雑誌の読者の大部分を占めるキャンセルカルチャーに同調的な人々に向け」「キャンセル自体が不正だと考えている人のことはなにも頭にない」
  • 五野井郁夫先生の『世界』論文「キャンセルカルチャーはデモクラシーを窒息させるのか」の出典なんかおかしい気がする | 江口某の不如意研究室

    毎日新聞での「キャンセルカルチャー」擁護記事で五野井郁夫先生という方が話題になっていたので、その記事の元ネタらしき『世界』2023年6月号の五野井郁夫「キャンセルカルチャーはデモクラシーを窒息させるのか」という論文をめくってみました。『世界』とかのいわゆる論壇・総合雑誌に載ってる文章こそ「論文」だっていう感じがありますよね。重大な社会的問題を論じるのだ!って感じ。 さてこの文章いろいろ問題があると思いました。いちいち書けないのですが、奴隷商エドワード・コルストンやレオポルド二世の像なんかが「21世紀の公共空間には不要」で「芸術的価値や資料的価値をことさらに強調したいのであれば、人目につかない倉庫で保管すればよいだけの話」であり、「大っぴらに他者を傷つけたいとの願望は自身の脳内に収めて」おけ、といった文章には驚きましたが、それより次の文章ですね。 思想信条の自由とは、J・S・ミルが『自由論』

    Outfielder
    Outfielder 2023/06/07
    「ほんとうに『自由論』読んだのですか」「Public Affairsの論文は243頁までしかありません!いったいp. 259ってなんですか」「日本語読者が読めないように訳本をキャンセルしているのでしょうか? それは異常すぎる」
  • 清水晶子先生の「学問の自由とキャンセルカルチャー」講演 | 江口某の不如意研究室

    言論の自由とかキャンセルカルチャーとかには職業がらどうしても関心をもたずにはいられないので、「フェミ科研と学問の自由」シンポジウムでの清水晶子先生の「学問の自由とキャンセルカルチャー」を見ました。この講演は私はいろいろ問題あると思います。 書き起こしはここにあります。 https://anond.hatelabo.jp/20220805225632 https://note.com/philo_radi/n/ne2da785c938c#67021145-cdee-46f0-adab-d18dcf74099f まず全体の構成を見ると、 「学問の自由」の理念を確認いくつかの国内での学問への政治的圧力を確認しかし「学問の自由が濫用される」ことがあることを指摘「キャンセルカルチャー」が反ポリコレの流れのなかで生まれてきた言葉であることを確認父ブッシュ大統領が言論の自由を擁護し、ポリコレの動きに警戒

  • 清水晶子先生の「学問の自由とキャンセルカルチャー」での「定義」の問題 | 江口某の不如意研究室

    https://yonosuke.net/eguchi/archives/15710 に続いて、また清水先生の講演の問題点に戻ってしまうんですが(しつこいけどいやがらせではない)。ちょっと「学問の自由」と「キャンセルカルチャー」の定義を見てみたい。 「 キャンセルカルチャー 」ですが、英語版のWikipediaだとこうなってますね。 https://en.wikipedia.org/wiki/Cancel_culture Cancel culture or call-out culture is a phrase contemporary to the late 2010s and early 2020s used to refer to a form of ostracism in which someone is thrust out of social or professional

  • 定義ってなんだろう (1) 定義の分類と注意 | 江口某の不如意研究室

    辞書的定義というのは、人びとがその言葉をどう使っているかを国語辞典の乗ってるような形で説明することです。たとえば「男性」の定義はコトバンク(大辞泉)ではこんな感じですね。基的には「おとこ」なんですが、成年の男子」が基だそうです。 まあそういう多義的な語があるので定義が必要になる場合もあるわけです。っていうかけっこう重要。 ところで、この「男性」の場合は男性ってなんだっていったら「おとこ」だとか「男子」だとかで、さらに「おとこ」ってなんだって辞書ひくと男子だとか男性だとか出てきてしまって循環してしまってます。「男子」か「男性」か「おとこ」かどれかの言葉を知らないとけっきょくそれがなんのかわからない。まあこれは「男性」だとか「おとこ」だとかっていうののどれかはわかってることを前提に辞書っていうのがつくられているからですね。 辞書では基的な単語についてはこんなふうに循環してしまうことはよく

    Outfielder
    Outfielder 2022/08/07
    「理論的な背景があるようなふりをして理論的定義をしているようなかっこうでやってることは単なる説得のための定義もどき」「キーになる言葉を定義しないような人びとはだいたい詐欺師」どこの界隈だろう・・・?
  • 「ジェンダー論」の文献は難しすぎる(清水晶子先生の場合)→あきらめ | 江口某の不如意研究室

    この前千田有紀先生の文章にコメントしたので、それが批判(?)している清水晶子先生の「埋没した棘」っていう論文も読んでみたのですが、これは千田先生のやつに輪をかけて難しい、というより私にはほとんど理解できませんね。こういうの読まないとならない学生様院生様たちはどうしてるんだろう? たとえば、こんな感じです。 諸身体の生存可能性がその集合的な現れによって切り開かれるのだとすれば、その生存は、現れ集合する身体の均一性に、どれほど依拠しているのだろうか。現れうる差異、集いうる身体の集合への注目は、現れることのより困難な諸差異、集うことのより困難な諸身体と、どこまで連帯し、どこまでそれらの諸差異・諸身体の黙殺を要求しているのだろうか。(p.36) これはキビしい。ちょっと何言ってんのかわかりませんね。おそらく次みたいな感じ。 体をもった生身の人間は生きていくには、人間どうしの協力が必要です。さらに、

  • 本田由紀先生の『「日本」ってどんな国?』は問題が多いと思う - 江口某の不如意研究室

    高校生・大学生向けの新書シリーズのちくまプリマー新書は自分自身好きだし学生様に読んでもらおうと思っていろいろめくっています。 このまえ、教育社会学の田由紀先生の『「日」ってどんな国?』をめくってみる機会があったのですが、ちくまプリマーとしてはけっこう問題があると思ったのでメモを残しておきます。 この、日海外といろんな尺度で比較してその実際の姿を冷静に見よう、ってだと思うのですが、先生の結論は「日は相当やばい国だ」ってものらしいです。まあそういう見方をすることは可能かもしれませんが、当かなあ?というより、「やばい国だ」「だめな国だ」っていう指摘をするデータはちゃんとしているだろうか? まあ私も一応ジェンダー問題に関心があるので家族やジェンダーから見るわけですが、やっぱり世界経済フォーラムの「ジェンダー格差指数」が出てくる。「160ヵ国中120位だ!ひどい国だ!」ってやつですね

    Outfielder
    Outfielder 2021/11/21
    これだけ不誠実でデタラメばかりやってる学者先生が日本学術会議の社会学委員会ジェンダー研究分科会で要職に就いてるのって、どう思う? http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/bunya/syakai/pdf/gender-yoshi2407.pdf
  • トロフィーワイフという(ふつうは)侮蔑語について | 江口某の不如意研究室

    なんか、ある学者先生が「セレブバイト」っていうすごい言葉を開発したのに対応して、どういうわけかその先生が言及していない「トロフィーワイフ」っていう言葉がバズってたみたいです1。「セレブバイト」もたいへんやばい感じですが、「トロフィーワイフ」も学者先生たちが使うにはどうなんだろう、という意味合いがあるんじゃないかと思っているので、私もしばらく観察していました。 トロフィーワイフっていう言葉はそんな古いものではないようですね。1970年代から、よく使われるようになったのは1980年代からかもしれません。 Wikipedia (en)だと”A trophy wife is a wife who is regarded as a status symbol for the husband. The term is often used in a derogatory or disparaging

    Outfielder
    Outfielder 2021/06/14
    「言葉をそのまま、あるいはわざわざ再定義して(あるいは再定義さえしないでルーズに)使う必要があるのかどうか」今回だけに限らず、あの人達は用語を正確に理解して正確に使って話するのがとにかく苦手
  • 宇崎ちゃん問題 (9) 「意味づける」を意味づけることに疲れました | 江口某の不如意研究室

    もう疲れてきたので途中でおわってしまいたいのですが、まあはじめてしまったものはしょうがない。「意味づけ」です。小宮先生のこの言葉の典型的な使いかたはこんな感じ。もちろんこれまで同様「意味づける」ということがどういうことかはほとんど説明がなく、手掛かりもありません。 「表象の中で女性がどのように意味づけられているのか」 「女性ヌード画を成立させているのは、女性(の身体)に対して特定の文化的・社会的記号を用いて「意味づけをする」制作行為なのである。」 「「表象を作る」ことが「女性に対する意味づけ」と関わっている」 「「鑑賞の対象としての女性(の身体)」という意味づけ」 「女性に対する抑圧的な意味づけ」 「女性のみを一方的に性的客体として意味づける」 「「女性」というカテゴリーを性的客体として意味づける」 「相手の身体や経験に勝手にエロティックな意味づけをする」 「意味」も曖昧だけど「意味「づけ

  • 宇崎ちゃん問題 (10) 小宮先生の論説についてはおしまい | 江口某の不如意研究室

    というわけで、もう疲れたのでおしまい。ちょっとだけ書き残したことを。 「性的」これあんまり小宮先生の文章とは関係ないのですが、宇崎ちゃんその他の表現に関するネットでの騒動では「性的だ」「たいして性的でない」とかそういうやりとりがあったようですが、「性的」自体が曖昧なので「性的に魅力的」とか「性的に露骨」とかそういう表現をつかった方がまだましな気がします。女性や男性を描いたら、そりゃ一つの意味では性的ですからね。そして、魅力的とか露骨とか書けば、それが感受性とかと関係していることがわかりやすくなると思う。 小宮論説全体について小宮先生の2の論説には、いろんな混乱があると思うんですが(そしておもしろい指摘や、なんか哲学的な思考を刺激してくれる論点もある)、もう面倒なので細かいところをつっこむのはやめます。最後に、思ったことだけ簡単に。 先生が言おうとしている規範的主張自体は非常に弱いものだと

    Outfielder
    Outfielder 2019/12/21
    「小宮先生の論説の問題は、その主張が弱すぎること」格好つけて誤魔化すための無駄に難解で攻撃的な言い回しを削ぎ落として最大限好意的に解釈したらびっくりするほど大したことは言ってなかった、ということ
  • 宇崎ちゃん問題 (8) しかし、「理解を生む」だけは許さん! | 江口某の不如意研究室

    まあ「理解」を理解するのはむずかしい。私もよくわかっていない。 でもぜったいに許せない表現があるわけです。「理解を生む」これは許せない![1] … Continue reading 「こうした技法はやはり性的な鑑賞のために女性を用いていると言えますが、同時に商品や物語とは関係のないところでそれをおこなっている点において、商品や物語を単に装飾するためだけに女性を用いているという理解も生むでしょう」 理解を生む、って誰が生むのよ。主語は「こうした技法」ですか?「こうした技法」が「理解も生む」の?どこに生むの?とりあえず主語はなんなの? 「こうしたメタファーは、あからさまではない仕方で女性を性的な鑑賞のために用いているわけですが、あからさまではないがゆえに、性的ではない(あるいは性的である必要がない)状況においても「性的客体としての女性」という考えが前提とされているという理解を生むでしょう。」

    Outfielder
    Outfielder 2019/12/21
    「誰のものでもない「理解」とかって抽象名詞つかってるから」多分、自分の感想は普遍的なもので、心ある人が見たら同じ感想になるのは確定的に明らかなので名詞化して客観的に取り扱って構わないと思っているから
  • 宇崎ちゃん問題 (5) 「表象の「悪さ」」の「悪さ」がわかりにくい | 江口某の不如意研究室

    小宮先生の文章(『世界』のと『現代ビジネス』のの両方)では、「表象の「悪さ」」とかそういう表現が頻繁に出てくるのですが、この「悪さ」っていう表現にも私はひっかかってしまう。これはかなり面倒な事情があって、ちょっとここでは簡単には説明できないのですが、いくつか私の「困り」を説明しておきたいと思います。 どういう種類の「悪さ」か:それは「道徳的な悪さ」か?「表象の悪さ」っていわれたときに、ある表象(つらいので、以後表現とか表現物とか書くことにします)が悪いことがある、ってことを言ってるのはもちろんわかる。問題は、その悪さというのはどういう種類の悪さかということです。人を殴るのは悪い。これは道徳的に悪い。道徳的に悪いというのがどういうことかというのもこれまたむずかしいのですが、人を殴るのは悪いので、殴るのをやめるべきだというのは当然として、さらに、人を殴るのは避けるべきだ、人を殴った人は罰される

    Outfielder
    Outfielder 2019/12/21
    「「政治的な都合の悪さ」「フェミニストにとっての都合の悪さ」の可能性」「なにかを名詞の形であらわす表現自体に問題」
  • 宇崎ちゃん問題 (6) 「コード」ってなんだろう | 江口某の不如意研究室

    小宮先生の岩波『世界』の方の論説では「コード」が出てきます。これもわたしわからん。 ここからゴフマンは、写真にうつる人物の性別が男女どちらであるか、職業が何であるか、何をしているのか、他者に対してどんな役割を負っているのかといったことを、私たちが瞬時に理解するために用いられるある種のふるまいのコードを読み取っている。 この文章はとても読みにくい。「私たちは、写真にうつる人物の性別が男女どちらであるか、職業が何であるか、何をしているのか、他者に対してどんな役割を負っているのかといったことを瞬時に読みとる。ゴフマンはそのために用いられるある種のふるまいのコードをここから読みとっている」かな?悪文です。 まあそれはおいといて、この「コード」わかりにくいと思うんです。わかりにくくないですか?「コード」はふつうは(1) 規則、慣例、法典、(2) 記号・暗号、(3) 符号体系の三つぐらいの意味があると

    Outfielder
    Outfielder 2019/12/21
    「読者は「あれ、それって同じ話なの?たしかに近い話みたいだけどちょっとちがうもんじゃないかな?」ってって思うと思うんです」そうバレないようにわざと難しそうな言葉を振り回すというテクニックだから
  • 宇崎ちゃん問題 (7) 「理解」を理解するのはむずかしい | 江口某の不如意研究室

    まず「理解」から。小宮先生の典型的な表現を抽出してみるとこんな感じです。 「表象に対する理解の齟齬」 「「悪さ」の理解」 「表象の理解」 「表象はその抑圧の経験との繋がりの中で理解される」 「女性差別の歴史と現状に照らしてその表象が理解される可能性が出てくる」 「女性の描き方の中で「女性は性的な客体……である」という女性観が当然の前提とされていると理解できるかどうかだ」 「具体的にどのような描き方をするとそうした理解が生じるのでしょうか」 「「性的客体としての女性」という考えが前提にされているという理解を生みやすい表現」 表象つまり表現物・作品を「理解する」っていうのはどういうことなのか、「ある絵画がどういうメッセージを伝えているかを解釈する」ぐらいだと、まあ絵画がメッセージを伝達するものとして解釈を必要とする、というのはわかります。でもこれも難しいですよね。 ふつうに「理解する」とはまず

    Outfielder
    Outfielder 2019/12/21
    「でもがんばって好意的に解釈しましょう。社会学者の先生たちは、「理解」っていう言葉をかなり独特に使う傾向がある」
  • 宇崎ちゃん問題 (2) 単なるいいわけ | 江口某の不如意研究室

    前の「宇崎ちゃん」に関するエントリ書いたあと、すぐに続きを書くつもりだったのですが、当の『現代ビジネス』からそれについての原稿書いてみないかというお誘い受けてしまって、考えてることを書いたりして、時間がたってしまいました。ちなみにタイトルとか見出しとかは編集者の方につけてもらい、細かい表現なんかも草稿見てもらった数人の先生と編集者先生に直してもらいました。名前は出しませんが感謝感謝あめあられ。 前のエントリについて言い訳を追加しておくと、牟田先生のあの文章が詭弁だとか誤謬推理だとかっていうことを書こうとしてのではなかったのです。むしろ、他人の文章を読んでそれが詭弁だとか誤謬推理だとか判断するのがとても難しい、ってことを書きたかった。省略三段論法みたいなやつは日常生活では非常に頻繁につかわれる論証の形で、三段論法みたいに前提を明示した論証なんてめったに見ることがない。そして、どういう前提が隠

    Outfielder
    Outfielder 2019/12/21
    「累積的経験」例えば、男性やオタクから嫌な目に合わされ続けた累積的経験と、特定の地区や特定の国出身者から嫌な目に合わされ続けた累積的経験とは、同等に取り扱ってよいかどうか
  • 宇崎ちゃん問題 (4) 「モノ化」は「客体化」でもやむをえない | 江口某の不如意研究室

    ちなみにここで小宮先生にはあんまり責任がない「客体化」もむずかしいって話もしとかないとならんかな。 牟田先生が「客体化」って使ってんのに私は「モノ化」にして、小宮先生も「客体化」にしてて、まあどうせ専門用語だからobjectificationっていう英語に対応する訳語だってわかってりゃそれでいいでんですが、私「モノ化じゃなくて客体化だろ!」「モノ化という訳語はだめではないか」って言われちゃってるので、ちょっとだけいいわけ。 これ実際カタカナ使っていいんだったらオブジェクト化でもよかったし、あるいはさらにさかのぼって「物象化」「物件化」とかそういう訳語も可能だったかもしれないわけです。十数年前に論文モドキ書いたときはかなり悩んだ末に「モノ化」にしたんですが、今思えばもう「モノ扱い」でもよかったくらいだと思ってます。その方がわかりやすいでしょ。日常的だし。 あの論文ではとにかくヌスバウム先生の

    Outfielder
    Outfielder 2019/12/21
    「さまざまなフェミニスト学者の先生たちは、オブジェクトという言葉を多義的につかってる」
  • 宇崎ちゃん問題 (3) 「表象」はわかりにくい | 江口某の不如意研究室

    正直小宮先生の書くものはある種の魅力があって、それが多くの人を惹きつけるんだと思うんですわ。私の文章とかぜんぜんだめよね。なんか華がないというか、もってまわってわかりにくいし。あはは。 さて、私はそもそも「表象」がよくわかりません。いきなりタイトルで「性的な女性表象」ってガツーンとやられて、「あ、難しい文章だ!」って思って身構えてしまう。だって「表象」なんて私らめったに使わないじゃないですか。ショーペンハウアー先生に『意志と表象としての世界』Die Welt als Wille und Vorstellung っていう有名ながあるんだけど、あれの「表象」っていったいなんだか私いまだにわかってないです。あのの前半はとてもむずかしい。カントわかってないと読めないんすよね。(ちなみになかば以降は楽しい) 「表象」Vorstellungとか英語でrepresentationとかっていうのは、哲

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    Outfielder 2019/12/21
    「難しそうでかっこよさげ」「すごく高度っぽいからもう話聞くしかなくなっちゃうし。でもそんなにはっきりした言葉じゃない」「「表象は必ず「誰かが作る」ものだ」って言ってますからね」
  • 詭弁と誤謬推理に気をつけよう(1) 宇崎ちゃんポスターの場合 (宇崎ちゃん問題(1)) | 江口某の不如意研究室

    『宇崎ちゃんは遊びたい』とコラボした献血ポスターについて、フェミニストの牟田和恵先生が、各自治体のガイドラインを示して、ポスターはガイドラインに反した性差別であると主張しています。それに対してはすでによい論評がいくつか出ているので [1]「「宇崎ちゃんは遊びたい」×献血コラボキャンペーンの絵は過度に性的なのか?」「宇崎ちゃんを採用した赤十字は現実的」 私が書くべきことはほとんどないのですが、一つ、大学での教育的な点から書いておきたいことがあります。これは続きものになるかもしれない。 ゲンダイの文章は改ページが多くて見通しが悪いので、冒頭から、途中の、ガイドラインに反しているのは明らかだと主張しているところまで引用しましょう。 日赤十字社が献血を呼びかけるためにweb漫画とコラボで作成したポスターがネット上で論議を呼んだ。今回使われたのは写真の通り、幼い表情で、巨大といってもいいような乳房

    Outfielder
    Outfielder 2019/11/07
    牟田先生は当該の文春記事だけに限らず、何を読んでも論証部分があまりにも酷すぎて、この業界のビッグネームである牟田先生に限らず他多数の人たちも同様で、学者を名乗り大学でポストを得て多額の研究費を得ている
  • 北田先生から怒られてしまった (6) 言語使用の適切さと道徳的な適切さは別よ | 江口某の不如意研究室

    あともう蛇足っていうか、文章読みなおしたりするのも面倒なんでこれ以上書きたくないのですが、発話行為の言語学的というか、会話の上での適切さの基準と、その発話行為の道徳的な善悪の基準はまったく別です。会話の上、あるいは言語の使用においてはまったく問題ないけど、道徳的に悪徳的であるような発言はたくさんある。一方、言語使用において問題だったらそれそもそも(発語)行為として適切じゃないのでその道徳的な善悪とかあんまり言う意味がない。 たとえば、ヨットの命名式があるとします。私がその船を発注したオーナーで(超富豪!)、私が名前をつける権威をもっている。よくしらないけど、船オーナーの儀礼上、ワインだかシャンパンだかを船に命名するのがそうした筋での慣習らしい。(いまでもそうなのか知りませんよ。) んでその命名式の当日、私は朝からよっぱらっており、命名式の2時にはかんぜんに酩酊状態。「では、命名式です」「某