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historyとfoodに関するPOPOTのブックマーク (10)

  • おお、その話ですか、キュウリのサンドイッチの話でしたら拙者にお任せく..

    おお、その話ですか、キュウリのサンドイッチの話でしたら拙者にお任せくだされ(早口)。 そもそもキュウリというのはインド周辺を原産とする植物でしてな、大航海時代に香料と一緒に西洋に広まりました。 日にはシルクロードを通って陸路で伝わっておりましてな、途中に「胡」の国がかつてありまして、そのルートを通って入ってきたものには「胡」の漢字を充てるのです。 胡瓜(きゅうり)、胡椒(こしょう)、胡豆(そらまめ)、胡桃(くるみ)、胡麻(ごま)、などですな。 一方で、西洋には海路を通って伝わったわけです。 当時の西洋の貴族では自宅に植物園・菜園を所有しているのが当たり前でして、ま、ま、当初は観賞用植物として広まったようですが。 キュウリのサンドイッチはそのような菜園を所有している貴族の最大限のおもてなしだったのです。 当然、そのレシピとしては午後のティータイムに合わせたシンプルなものです。 キュウリはで

    おお、その話ですか、キュウリのサンドイッチの話でしたら拙者にお任せく..
    POPOT
    POPOT 2024/08/21
    キュウリのサンドイッチの見方が変わる。
  • スパゲッティがパスタと呼ばれ始めた日 | 稲田俊輔「異国の味」

    よみタイ新着記事 特集 8/30 「原作のその先を見せてもらえる映像化に涙。私ほど幸せな原作者はいない」…ドラマ『クラスメイトの女子、全員好きでした』原作者・爪切男の撮影現場レポート 爪切男 連載 8/27 体重減・筋肉増のおばあさんになる!「あすけん」式 人生最後のダイエット 「あすけん」健康度のありえない点数に一念発起…!? 第2回 「あすけんの女」未来さんと出会ってしまった! 上田惣子 連載 8/26 推し博物館 ひとり旅 京都市東山区の「京都国立博物館」~涼しく快適! 夏期講座で大人の学びなおしの楽しさを学ぶ旅 明 連載 8/24 真夜中のパリから、夜明けの東京へ 出会って20年……今、それぞれの喪失を経て言葉を交わすということ 【沢エミ×小林孝延・往復書簡1】 小林孝延 沢エミ 新着をもっと見る 稲田俊輔 イナダシュンスケ 料理人・飲店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大

    スパゲッティがパスタと呼ばれ始めた日 | 稲田俊輔「異国の味」
  • 今日こそ予定通り! - 一条流がんこラーメン総本家 公式ブログ

    昨日のブログ通り! 高戸橋から数えると38年前に始めた牛骨アッサリとコッテリ! 札幌の屋台〈五万円の廃車のハイエースを改造から 数えると48年前 〈でも当時はまだ スペシャルどころかアッサリだけでした!〉 スペシャルは西早稲田からだから27年前〉 だから高戸橋から数えても当時二十歳の学生も今や58! 今でも頭を薄くして継続中の古参も数人〈誰の事だか分かるよね,ここ何年も来てないが あんだけふさふさだったのに●! 俺が生きてる内に 来てください! ピカード艦長! 失礼! 当時30歳なら68歳です! 老いたる者には去 ぎにし青春の思い出を! 若人には呼べど還らぬ古にしえの幻を! 今ここに再現! 太¨郎 果たして50周年 を迎える事が出来るか%! 後二年数ヶ月… ? 太¨郎

    今日こそ予定通り! - 一条流がんこラーメン総本家 公式ブログ
  • 松本商店の美味しい干物レシピ(デジタルリマスター版)

    10年前に書いたナマコの記事で書きましたが、実家の干物屋(松商店)が父の死去を機に廃業することになりました。でも折角美味しい干物が作れるのにもったいない。だけど店は続けられない。 そこで、干物作りのレシピを公開しようと思います。 四代、120年続いた干物屋のレシピ。営業上の秘密も含めて洗いざらい書いちゃいます。みんな、これを読んだら干物は買わずに自分で作ったら良いと思うよ。自分でべる分を作るくらいなら簡単だから。 ※2008年10月に掲載された記事の写真画像を大きくして再掲載したものです。 あばよ涙、よろしく勇気、こんにちは松です。 1976年千葉県鴨川市(内浦)生まれ。システムエンジニアなどやってましたが、2010年にライター兼アプリ作家として自由業化。iPhoneアプリDIY GPS、速攻乗換案内、立体録音部、Here.info、雨かしら?などを開発しました。著書は「チェーン店

    松本商店の美味しい干物レシピ(デジタルリマスター版)
  • なぜサウザン・ドレッシングは「サウザン」なのか

    サウザン・ドレッシングとは、マヨネーズをベースにビネガーやケチャップなどを加え、みじん切りにしたピクルスや玉ねぎを混ぜこんだドレッシングのことを言う。 正式名称は「サウザンド・アイランド・ドレッシング」である。 英語ではThousand Island Dressingと書く。 Thousand Islandとは、アメリカとカナダの国境にあるオンタリオ湖と、そこから流れ出すセントローレンス川のあわいに浮かぶ「サウザンド諸島」のことである。 このドレッシングがなぜ「サウザンド諸島」の名を冠するのかについては、日では「ドレッシングに浮かぶピクルスがサウザンド諸島のようだから」と説明されることもあるが、Wikipediaでは普通に「サウザンド諸島で生まれたドレッシングだから」と説明されている。 前者の説は、英語圏ではまったく見かけないので、おそらくキユーピーが広めたガセだろう。 さて、「Thou

    なぜサウザン・ドレッシングは「サウザン」なのか
  • あの頃食べたアイス、覚えてますか?〜アイスを見れば時代がわかる〜 - メシ通 | ホットペッパーグルメ

    おおおッ! おおーーッ!! エッセル。なつかしいなあ……。 2019年9月に出版された『日アイスクロニクル』(辰巳出版)は、眺めてなんとも楽しいだ。年代別にまとめられた、昭和、平成をいろどった主要なアイスの数々。おこづかいをやりくりして、コイン握りしめアイスを買いに行った「あの頃」が、ページごとによみがえる。忘れていたアイスと共に、昔々の自分もよみがえってくる。 日アイスクロニクル (タツミムック) 作者: アイスマン福留 出版社/メーカー: 辰巳出版 発売日: 2019/08/05 メディア: ムック アイスの歴史はイノベーションの歴史 『日アイスクロニクル』の作者は、アイス評論家として活動されているアイスマン福留(ふくとめ)さん。このを作られた思いやきっかけなどをうかがいに、彼のもとをたずねてみた。 アイスマン福留(以降、アイスマン):令和元年というタイミングで、昭和と平成の

    あの頃食べたアイス、覚えてますか?〜アイスを見れば時代がわかる〜 - メシ通 | ホットペッパーグルメ
    POPOT
    POPOT 2019/10/18
    うっわなつかしい。アイスはいまだに好きだ。
  • ドネルケバブの歴史 - ドネルケバブは誰が発明したのか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    早い、安い、美味い、三拍子揃ったパーフェクトなファストフード ドネルケバブは東京の街中ではかなり一般的なファストフードになりました。 地方でも、お祭りやイベントの屋台でかなり見るのでべたことある人も多いと思います。ドネルケバブ屋から漂ってくる肉とスパイスの香りを嗅ぐと、たまらなく腹が減ってくるものです。 今やドネルケバブは世界中でも当たり前にべられるファストフードになり、トルコが世界に誇る料理ですが、誰がどのように発明したのかはややこしい議論があります。 1. ドネルケバブの特徴 そもそもドネルケバブとは何か。 google先生の解説によると 「スライスされたスパイシーなラム肉をピタパンに挟んだトルコ料理」 となっています。 重要なのは「ピタパンで挟んだ」というところです。 トルコ料理では「〇〇ケバブ」というのがたくさんありますが、ナイフとフォークを使って椅子に座ってべるのが普通。ド

    ドネルケバブの歴史 - ドネルケバブは誰が発明したのか - 歴ログ -世界史専門ブログ-
  • 沼地からバターの塊、2千年前のものと推定 アイルランド

    (CNN) アイルランド西部のミース州でこのほど、沼地の泥の中から2000年前に作られたとみられるバターの塊が見つかる出来事があった。 発見者は燃料用の泥炭の採取を職業にしている男性。自宅近くの沼地を3.6メートルほど掘っていたところ、強いにおいを放つ重さ10キロのバターの塊が出てきた。作られてから2000年が経過したものと推定されるという。 奇妙な話だが、地面の下から大昔のバターが掘り出されるのは珍しいことではない。アイルランドの考古学会誌に寄せられた論文によると、同国と英スコットランドではこれまで数百個のバターの塊が発見されている。それぞれの年代は数千年前にさかのぼるという。 2013年にアイルランド中部オファリ―州の沼地で見つかったバターの塊は重さ45キロ。作られたのは5000年前とされている。ミース州に隣接するキャバン州の博物館によると、中世においてバターは高級品であり、租税や地代

    沼地からバターの塊、2千年前のものと推定 アイルランド
  • マーガリンの歴史ワロタwwwwwwwwwwww : キニ速

  • パスタ壁の穴|壁の穴とは

    1948年(昭和23年)に横須賀走水海岸でCIA極東長官であるブルームと運命的な出会いをした成松孝安は、彼のすすめで渋谷区のブルーム邸で執事として、邸で行われた戦後史に残る「火曜会」で事のサーブ。海外の一流シェフの料理を目の当たりにする。 1953年(昭和28年)、火曜会が解散となり、ブルームの援助を受けて田村町に6坪のスパゲティ専門店「Hole in the Wall」を開店。桜の木のテーブルが3つとカウンターがあるだけの店であったが、洒落た雰囲気があった。メニューはスパゲティA・B・Cの3種類で、Aはミートボール付きで、200円。Bは麺大盛りで150円。Cがレギュラーで100円。当時、東京でスパゲティがべられる店は、他に帝国ホテルをはじめ3軒しかなく、ちなみに帝国ホテルは960円であった。100円スパゲティがアメリカ軍の新聞「スターズ&ストライプス」に紹介され、東京中の外国人が来店

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