戦後から平成、2000年代と観ていくと 徐々に一発逆転の芽が無い世の中になっていっている 昔ならば、独立して成功するという流れもあっただろうが 今は定型のビジネスを始めてうまくいくケースは稀だ 大概はどこか大手とFC契約しなければならないのでは無いだろうか 今や企業の後ろ盾なしに戦っていくのは至難の技だし、後ろ盾があっても大量の知識や能力が必要となる つまり能力の無い人にチャンスは無い ちなみに今話題にしてる「能力の無い」は、大多数のことだ。普通の人と言ってもいい エントロピーが小さいと言うのだろうか 今の時代は高度化されていて、ビジネスの勝敗が簡単に収束してしまう 戦える位置まで登れる人は能力がある極僅かだ しかも大抵は勝者が掻っ攫うことが多いので、ちょっと優秀なくらいじゃまるで歯が立たない ちなみにこれはアメリカなんかの方がキツイはず じゃあ昔はもっとカオスだったかと言うとそうではない
新年明けたので改めてスイッチのゼルダの伝説を再開しようかとも思ったが、そのままプレイしても何も進展せず賞をとって評価されてる作品も満足に遊べないクズの自分が受けるべき当然の罰として死ぬごとに自分を殴って痛い思いをするだけだ。 プレイ日記を書いてみるのはどうかと思ったが、初日がプレイ開始で2日目からは進展ゼロでひたすら昨日と同じと書くの繰り返すだけの手抜き夏休み日記になってしまう。 案自体は悪くない気もするし、少し盛り上がる感じで以前のプレイを思い出して書いてみることにする。 崖から飛び降りればこの高台から脱出できるんじゃないか、と考えて飛び降りる。死んだ。場所がよくないのかと考えて色々場所を変えて30回ほどためす。ダメ、全部死んだ。 戦闘を避けて歩き回るのが楽しいという声があるらしい。なるほどと思い歩き回る。気がついたらいつのまにかモンスターに絡まれててどうすればいいかわからないうちに死ぬ
この時期になると結構な頻度でアニメにランクを付ける奴らが現れる 奴らのやりたいことが俺には理解できない エンターテイメント、ましてやジャパニメーションのような幼稚な作品には芸術性なんてほとんど存在しない そこにあるのは視聴者が見ていて楽しいかどうかだ 序列をつけようにもそれは個人の好き嫌い以外ではつけようがあるまい 極端な話をすれば濃厚な同性愛描写が売りの作品が合ったとすれば、同姓愛描写を嫌う人間と好む人間とでは評価が真っ二つに割れて然るべきであろう それに対して、私は同性愛者であるがこの作品は同性愛描写のヤバみ以外は大したことないので駄作だと抜かしたり、 私は同性愛は嫌いだがこの作品は濃密な同性愛に至る過程が吐気がするほど丁寧に練り込まれているので名作だなどと抜かすのならば、 そんな奴らの作ったランキングに何の意味があるんかと問うしかない アニメのランク付けに意味などない 意味があるとす
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