禁酒法。 この「史上最悪の法律」の成立過程を、オリヴァー・サイリャックス著『世界犯罪百科全書』はこのように記述している。 「これは長くゆっくりとした助走を経て形になった法律だった。開拓時代の野蛮な酒の飲み方に対する激しい嫌悪感は、アメリカに深く根付いているピューリタニズムと融合して、禁酒運動を生み出した。1907年に、ジョ−ジア州が絶対禁酒となった。他にもいくつかの大きな田舎の州が圧力に屈した。テネシー、ノースカロライナ、ミシシッピ、ウエストヴァージニア、オクラホマといった州だ。エール大学教授のチャールズ・フォスター・ケント博士も、絶対禁酒運動に少しばかり貢献した。アルコール抜きの聖書を作ったのである。彼は聖書の中の酒に関する記述をすべて削除したのだ」 我々が一般に「禁酒法」と云う場合、上のような州法ではなく、憲法修正第18条を指す。 「1914年、憲法修正第18条は下院で197票を獲得し
このように、現代の日本でさえ未だにこうしたタイプのアトミズム信奉者がごろごろしているのだから、明治時代はもっと酷かった。倫理観という誤った論理的な枠組みにより、数多くの人間、特に女性や子どもが不当な抑圧を被っていた。 こうした社会背景を念頭におけば、楫子のとった行動やその理念が必ずしも悪かった訳ではない事が理解できる。繰り返しになるが、彼女の問題点は、そうした既存の倫理観、価値観の押しつけに対抗すべく持ち出してきたものが、キリスト教倫理観というやっぱりアトミックな価値観だった、という部分なのである。先ほどの例に置き換えるのであれば、運という概念を否定するために、確率論を持ち出したようなものだ(どちらもアトミズムに根拠をおいているので、否定概念にはなり得ない)。 東京基督教婦人矯風会が創立したのは一八八六年。きっかけは万国婦人禁酒会から派遣された、レヴィット女史が日本を訪れたことだった。各地
2008/11/24 調査報告:日本の漫画やアニメが、海外から「児童ポルノ」として批判を 受けているという構図はいかにして作られたか? 現在、日本ユニセフによって「なくそう!子どもポルノ」キャンペーンが実施され、彼らはマンガやアニメを「準児童ポルノ」として違法化するよう各界に呼びかけています。 このキャンペーンの中心人物にECPAT/ストップ子ども買春の会(以下、エクパット東京)の宮本潤子氏がいます。 このエクパット東京は児童保護・児童ポルノの専門NPOとして各界で活躍しており、警察の総合セキュリティ対策会議にも招聘されるほどです。このエクパット東京はプロテスタント原理主義団体「キリスト教婦人矯風会」が背景にあるNPOで、その禁欲的な教義から、性表現の規制を団体主張に掲げています。 特に漫画やアニメの性的表現に関しては、児童ポルノ禁止法などで全面規制せよ、と強く主張しています。
ここでは、本文である、『誰のための法律か?『児童ポルノ禁止法』に関する基礎知識』からは紙数の都合により削除された、児ポ法に関する様々なデータを追加する。まずは日本で児ポ法をポルノ狩りに利用している疑惑をもたれている、エクパット東京と密接な関わりのある『日本基督教婦人矯風会』について語っていきたいと思う。 国家や共同体の周辺部、悪く言えば辺境の地域には、ラディカルな活動家、言論人を輩出する傾向、あるいは彼らを引き寄せる魅力をたたえている。この原則は日本にも当てはまり、北海道や九州出身の、またはそれらの地域を重視する過激な言論人は後を絶たない。 明治維新前の日本でも、仙台藩の林子平(ただし江戸出身)がロシアの南下を説いた「海国兵談」や「蝦夷国全図」を著して物議を醸し出したし、同じく仙台藩医の工藤平助が「赤蝦夷風説考」を著して幕府の政策に少なからぬ影響を与えている(どちらも仙台藩=現在の宮城県で
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