阿部謹也 第一段(世間と社会の違い) 世間という言葉は誰もが使っているが、何かをきちんと答えられる人はいない。社会とは違う。世間は明治以降文章から消えたが会話の中ではしばしば使われ具体的である。他方、社会は明治以降文章では使われるが抽象的である。 西欧では、社会は尊厳を持った個人が集まったものと見なされている。日本では個人の尊厳は認められず、世間は個人の意思によって作られたものでなく所与と見なされる。 私たちは世間という枠組の中で生きているにもかかわらず、世間を分析した人はいない。 第二段(日本人は世間に依存している) 世間がなくなれば、日本人は世間を基準に生きていて、世間も個人の位置に気を配ってきたので、行動の指針を失って困惑するだろう。世間の中では長幼の序が支配していて競争が排除されているので、有能でない人も世間の掟を守っていれば排除されないが、有能な人がそれなりの地位を得るわけではな