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ブックマーク / vergil.hateblo.jp (4)

  • 「共謀罪」法制化を熱望する特高官僚の後継者たち - 読む・考える・書く

    ■ 「特高だった伯父 悲惨な戦後」 こういう題で掲載された朝日新聞への投稿が、氏家法雄氏のツイートで紹介されていた。 特高で戦時中、東京で出世して活躍中だったが戦後「伯父は何かにおびえるように仕事もせず家の裏の長屋に引きこもり」。稀代の悪法として歴史に刻まれている治安維持法は、被疑者だけでなく警察官らにも過酷な運命をもたらした→「声 特高だった伯父 悲惨な戦後」『朝日新聞』2017年6月3日付 pic.twitter.com/HLMw36xEex — 氏家法雄 (@ujikenorio) 2017年6月4日 伯父の一人は特高(特別高等警察)だった。戦時中、東京で出世して活躍中だと幼少の私たちは聞かされていた。戦争末期、空襲を避け伯母と子供たち4姉妹が疎開、終戦間もなく伯父も転居してきた。東京での生活や仕事の話は、親族にも何も話してくれた覚えがない。 伯父は何かにおびえているように仕事もせ

    「共謀罪」法制化を熱望する特高官僚の後継者たち - 読む・考える・書く
    Roen-hi
    Roen-hi 2017/06/16
    ”特高に虐殺され、あるいは命を縮められた被害者と、その加害者である特高を同列に「犠牲者」扱いするのは、治安維持を名目に行われた残虐過酷な弾圧の犯罪性を曖昧にし、その国家責任を隠蔽する行為でしかない。”
  • 臣民根性の行き着く果て―「戦時犬猫供出」 - 読む・考える・書く

    先の大戦時の嫌な話の一つに、犬の供出というのがある。 例によって記録がほとんど残っていない(恐らく敗戦時に廃棄された)ため事件の全体像がはっきりしないのだが、時系列を辿ってみると次のようになる。 日中戦争時からあった予兆 1942年夏の悲劇 犬供出の格化 犬の撲殺をさせられた少年 毛皮は有効に利用されたのか? 日中戦争時からあった予兆 まず、この事件の予兆を示すような出来事として、1940(昭和15)年2月、帝国議会で次のようなやりとりが行われている[1]。 北委員 もう一点、これは軍に直接関係のあるものでありますから、陸軍大臣に伺っておきます。(略)今日ご承知のごとく皮が足らなくて困っている、う物がなくて困っている。こういう際に犬を撲殺することに陸軍が努力したらどうか。非常時であるから統制を強化しなければならぬと、口先では各閣僚共言っておられるけれども、実行的には何もやってお

    臣民根性の行き着く果て―「戦時犬猫供出」 - 読む・考える・書く
    Roen-hi
    Roen-hi 2016/06/15
    そしてこういうのは、今も完全には消えていない。あれとかアレとか、思い当たるフシ、あるでしょ?
  • 「かわいそうなぞう」を殺した大達茂雄が戦後は文部大臣となって歴史教育を殺した - 読む・考える・書く

    「かわいそうなぞう」で描かれた猛獣虐殺を命じた東京都長官大達茂雄の経歴を見ると、いくつか重要なポイントが見つかる。 昭南特別市長(兼陸軍司政長官) 1942年3月—1943年7月 東京都長官 1943年7月—1944年7月 内務大臣(小磯内閣) 1944年7月—1945年4月 文部大臣(第5次吉田内閣) 1953年5月—1954年12月 昭南特別市とは、シンガポールのことである。アジア太平洋戦争の開戦直後、日軍はタイ・マレー国境付近に上陸し、そのまま南下してマレー半島全域を制圧、翌1942年2月15日にはイギリス軍の重要拠点だったシンガポールを陥落させた。 その直後から、シンガポールおよびマレー半島各地で中国系住民(華僑)に対する大虐殺が始まった[1]。今でも正確な被虐殺者数は不明だが、少なくともシンガポールだけで数千人以上が殺されたと推定されている。 シンガポールは人口の八割近くを華僑

    「かわいそうなぞう」を殺した大達茂雄が戦後は文部大臣となって歴史教育を殺した - 読む・考える・書く
    Roen-hi
    Roen-hi 2016/05/15
    本当のドクズだったんだなこいつ。教育以前に人間も殺してるじゃないか。/なおそんなデマ屋のデマのうち、「朝鮮飲み」のデマだけは信じて政治家他を叩くダボが大量発生する模様。↓コメンターがそうだとはいわんが
  • 反戦童話「かわいそうなぞう」が露呈した戦後平和教育の欠陥 - 読む・考える・書く

    反戦童話の代表格となった『かわいそうなぞう』 史実とは大きく違う『かわいそうなぞう』のストーリー 猛獣虐殺は空襲のせいではなく戦意高揚のため 『かわいそうなぞう』は戦後平和教育失敗の象徴 反戦童話の代表格となった『かわいそうなぞう』 児童文学作家土家由岐雄による童話『かわいそうなぞう』。1951年に発表された後、1970年に絵として出版されて200万部を超える大ヒットを記録、小学校の教科書にも採用され、代表的な「反戦童話」「平和教材」となった。戦後生まれの日人なら、子どもとして、またはその親として、一度は読んで涙したことがあるのではないだろうか[1]。 そのころ、日は、アメリカとせんそうをしていました。せんそうがだんだんはげしくなって、東京の町には、朝もばんも、ばくだんが、雨のようにおとされました。そのはくだんが、もしもどうぶつえんにおちたら、どうなることでしょう。おりがこわされて、

    反戦童話「かわいそうなぞう」が露呈した戦後平和教育の欠陥 - 読む・考える・書く
    Roen-hi
    Roen-hi 2016/05/08
    「かわいそうなぞう」は歴史修正作品だったって話。/結局感情に訴えるのが1番手っ取り早いから/悲惨な目に遭ったから反戦、で何が悪いの、とは思わなくもないが。
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