にゃんこそば🌤データ可視化 @ShinagawaJP オープンデータを使って都市の姿を可視化したり、防災/天気/住まいなどの関心分野を呟いています。 💻QGIS/Mapbox/Vis.gl/Tableau/Python/R
![東京の「カフェ路線図」が見やすくて便利!スタバ、ドトール、コメダなど…多い駅と少ない駅が一目瞭然「やっぱ中央線か」「スタバはすごいな」](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/af5448f9dfbb6337670b400c9e1ee3cad0046f54/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2Fa6004aa1ebcc637a522ca275212a4785-1200x630.png)
東京でタクシー運転手になるためには、東京の地理について出題される「地理試験」に合格しなければいけないらしい。これは、東京の地理をどのくらい理解しているかを確かめるための試験だ。 なにやらおもしろそうなので、みんなで集まって問題を解いてみた。 タクシー運転手が受ける「地理試験」とは? タクシー運転手になるためには、普通二種免許という免許が必要なのは、皆さんご存知だとおもう。通常は二種免許を取得し、タクシー会社に入社すればタクシー運転手として仕事ができる……のだが、東京、神奈川、大阪の特別指定地区の場合、国土交通省の国家試験である「地理試験」というものを受験し、合格しなければいけない。 地理試験は、通りの名称、交差点の位置と名称、ランドマークや各種施設などの位置と名称、高速道路の出入口などの位置と名称などから、全40問が出題され、32問以上正解すれば合格となる。 地理試験問題集、1冊930円で
インタビューと文章: 水沢環 写真:高澤梨緒 進学、就職、結婚、憧れ、変化の追求、夢の実現――。上京する理由は人それぞれで、きっとその一つ一つにドラマがあるはず。東京に住まいを移した人たちにスポットライトを当てたインタビュー企画「上京物語」をお届けします。 ◆◆◆ 今回「上京物語」に登場いただくのは、お笑いコンビ・ニューヨークの嶋佐和也さん(写真左)、屋敷裕政さん(写真右)のお二人です。 2010年にNSC(吉本総合芸能学院)東京校でコンビを結成。デビュー後すぐにヨシモト∞ホール、ルミネtheよしもとなどの劇場で活躍し、若手のころから「ネクストブレイク」の呼び声が高かったお二人。しかし、抜擢されたレギュラー番組は半年で終了、賞レースではなかなか結果がでない……。真のブレイクにはほど遠い不遇の時代がありました。 「一番お金がなかった」という2018年を経て、ついに翌年の「M-1グランプリ20
著者: 出川 光 今でも、池ノ上に引越して2日目の夜のことを思い出す。1日目はコンビニ弁当を引越しの段ボールに囲まれながら食べた。荷ほどきを終えて2日目にやったこと、それが直感で決めたこの街一番のバーの扉をひとりで開けることだった。 というか、初めてこの街を訪れたときからもう開けるべきドアを決めていた。くる人を試すようなその佇まい。唯一の窓からもほとんど中の様子をうかがうこともできないけれど、入り口に置かれたメニューには親しみやすい家庭料理がならぶ。木製の重いドアを勢いよく開けたその時、池ノ上は私の街になったのだ。 わかりやすく言えば下北沢の隣。曖昧に言うなら池尻大橋からちょっと入ったところ。はぐらかすなら代々木上原あたり。便利な立地にありながら東京大学と下北沢というアイコニックな場所に挟まれてメジャーになりきらない池ノ上の名前を、あまり人に言ったことはなかった。この小さな街に、誰にも引
令和も3年目。 コロナ禍を経て、もはや平成は遠くなりにけり…である。 最近では『mid90s ミッドナインティーズ』という映画がヒットするほど、特に平成初期は懐かしい時代となった。 そんな古き良き90年代を一身に感じられるスポットが、東京郊外の八王子市にある。 1991年にできた東京都立大学*南大沢キャンパスである。 多摩ニュータウンの西の果てに作られたこのキャンパスは、令和になってあたらめてみると、平成初期の類まれなユニークさとダイナミックさを今に伝えるカッコいい場所なのだ。 (*旧首都大学東京、2020年4月より名称変更。) なんとなくヨーロッパ風×縄文土器というアクロバティックなコンセプト たった30年前である。 今とそんな変わらないんじゃないかと思うかもしれない。その違いを探りに、早速キャンパスの中を歩いてみたい。 参考にしたのは竣工直後の1992年発刊、『東京都立大学 : 新キャ
グループサウンズやフォークのブーム以降、自作自演で音楽を奏でるミュージシャンが爆発的に増加した結果、“東京”を歌う歌詞はどんどん多様化していきました。平成に入るとバンドブームやCD時代の音楽業界の活性化に伴って、さらに多くのミュージシャンがデビューし、バンドが結成され、そして上京し、“東京”を歌うことになります。 前編では1980年頃までの東京像について書きましたが、後編では平成以降、J-POP時代に“東京”がどのように歌われているのか、その特徴を探っていきたいと思います。 文 / O.D.A.(WASTE OF POPS 80s-90s) ヘッダ画像 / くるり「東京」ジャケット J-POPの“東京”を代表する1990年代の5曲1990年代のJ-POP初期、今も活動する多くのミュージシャンやバンドがデビューしました。出自も活動スタイルもさまざまな彼らの“東京”をタイトルにした楽曲の歌詞を
2013年3月の東急東横線渋谷駅の地下化と、東京メトロ副都心線との相互直通運転以降、渋谷の凋落がささやかれるようになった。2013年には長年保っていたJRの乗降客数3位の座を東京、横浜に抜かれて5位に転落、さらに2016年には僅差ではあるものの、品川に抜かれ、6位に転落。憧れの地として人を集めてきた勢いを失い、単なる猥雑な繁華街として個性を失いつつある渋谷に未来はあるのだろうか。 渋谷凋落3つの要因 東急東横線渋谷駅の地下化を始点に渋谷の凋落を語る人は少なくないが、実際はもっと前から始まっていた。要因は3つある。ひとつはかつて渋谷を渋谷たらしめていた文化の消滅である。 渋谷が洗練されたおしゃれなまちと広く認識されるようになった契機は1973年の渋谷パルコの誕生である。駅から500mも離れた、坂の途中という立地、専門店共同ビルというそれまでにないスタイルに最初は「成功するワケがない」という冷
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