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  • 「専門家まかせ」はどうしていけないのか?|ちくま新書|吉川 肇子|webちくま

    リスク・コミュニケーションの視点から「リスク」について幅広く概観する、ちくま新書6月刊『リスクを考える――「専門家まかせ」からの脱却』(吉川肇子著)より、第1章第3節「『専門家まかせ』が失敗を招く」の一部を公開します。 間違える専門家 リスクについての情報は専門家が多く持っているのだから、専門家に意思決定をしてもらえばよいのではないか、と考える人もいるだろう。しかし、その専門家に頼った結果として、リスク対策が手遅れになった事例は少なくない。ここでは、パウエルらの研究(Powell et al., 1997)をもとに、有名な事例の一つである英国のBSE(いわゆる狂牛病)問題を取り上げてみよう。 問題の発端は、1986年の感染牛の発見である。しかし、しばらくはあまりメディアの関心をひかず、1990年から報道が急増するようになった。この年にへの感染が発覚したためである。これまでは牛の病気として

    「専門家まかせ」はどうしていけないのか?|ちくま新書|吉川 肇子|webちくま
  • 第16回 哲学の訓練(その四)|人生がときめく知の技法|山本 貴光,吉川 浩満|webちくま

    ■ ひとつの基準、たくさんの練習 山 前回は、心像を正しく用いるための訓練についてお話ししました。 吉川 エピクテトス先生は、練習あるのみ、とおっしゃる。とにかくたくさんの心像を吟味せよ、と。 山 うん。その際に吟味の基準となるのは、権内(意志内)のものか権外(意志外)のものか、という区別だったね。 吉川 これまで何度も確認してきたように、エピクテトス先生の教えでもっとも大事なことは、自分の権内にあるものと権内にないものとを区別することだった。 山 言い換えれば、自分の意志でどうにかできるものと、自分の意志ではどうにもできないものの区別だね。 吉川 事故や故障で電車が止まったとき、駅員さんにわめきたてる人っているよね。 山 いくら文句を言ったところで、それで電車が動くようになるわけじゃないのに。 吉川 もちろん、大事な約束に遅れそうだとか、いろいろと事情はあるだろうし、誰だってそう

    第16回 哲学の訓練(その四)|人生がときめく知の技法|山本 貴光,吉川 浩満|webちくま
  • 第13回 哲学の訓練(その一)|人生がときめく知の技法|山本 貴光,吉川 浩満|webちくま

    ■ 心像との戦い=哲学の訓練 吉川 前回は、ポスト・トゥルースとかフィルターバブル、エコーチェンバーといった最近の話題と、エピクテトス先生のいう「心像」との関係について考えました。 山 ちょっと復習しようか。心像とは、わたしたちが抱く印象、心に浮かぶ像を広く指す言葉。その心像の正しい使用こそ、わたしたちの権内にある唯一の能力だとエピクテトス先生はいいます。 吉川 そして心像の正しい使用とは、なにをしようと欲し、なにをしないでおくか、なにを求め、なにを避けるかの区別を適切に行う能力を指す、と。 山 でも、各種メディアの発達と普及によって、心像を正しく使用することがなかなか難しい時代になっている。 吉川 うん。いまわれわれは煽り記事やフェイクニュース、それに炎上商法みたいなものに四六時中さらされているからね。 山 そうしたものに接して、われわれの頭の中は多種多様な心像で満たされるわけだけ

    第13回 哲学の訓練(その一)|人生がときめく知の技法|山本 貴光,吉川 浩満|webちくま
  • 第1回 元祖・自己啓発哲学者、エピクテトスって?|人生がときめく知の技法|山本 貴光,吉川 浩満|webちくま

     またえらいタイトルの連載がはじまっちゃったね。 吉川 うん。ついにこの日が来たかっていう。 山 どういう日だよ。 吉川 だってエピクテトス先生について存分に語れる機会だよ! なんといっても我々の心の師匠だからね。 山 そう、直接教えを受けたわけじゃないんだけどね。なにしろ2000年前の人だから、話を聞きに行くわけにはいかない。いわゆる私淑ってやつです。 吉川 うん。我々が勝手に師匠呼ばわりしているだけ。でも、なにか悩みごとが生じたり判断に困ったりしたとき、エピクテトスの言葉がどれだけ心の支えになったことか。 ■ パスカル、漱石をとりこにした『人生談義』 山 「誰だそれ?」という人のためにちょっと説明すると、エピクテトスは紀元1~2世紀のギリシャ・ローマで活動した哲学者で、「ストア派」と呼ばれる哲学流派の代表格。奴隷の身分から身を起こして哲学教師として生涯を閉じるという波乱の人生

    第1回 元祖・自己啓発哲学者、エピクテトスって?|人生がときめく知の技法|山本 貴光,吉川 浩満|webちくま
  • エーリッヒ・フロム『悪について』の新訳に寄せて|ちくま学芸文庫|出口 剛司|webちくま(2/2)

    1月刊行のちくま学芸文庫『悪について』(エーリッヒ・フロム著、渡会圭子訳)より、文庫版解説を公開いたします。書『悪について』は、『自由からの逃走』『愛するということ』に連なるフロムの代表作の一つであり、日でも長く読みつがれてきました。その今日的意義と魅力について、社会学者の出口剛司氏が論じます。 ではそもそも、人間はなぜ悪に向かうのか。フロムによると、人類には時代を超えたただ一つの、すべての人間に共通する普遍的課題があるという。それをフロムは「孤立を克服し、孤独の牢獄から抜け出したい」という欲求(を満たすこと)だと言う。なぜ、人はそのような欲求にとらわれるのか。むろん都市化、近代化、グローバル化など、社会学的要因も無視できない。しかしその一方で、フロムはそれを人間の質、存在の仕方(偶然性)そのものに求める。社会学的要因はそうした存在条件を時に緩和し、時に強化する外的な作用を及ぼすにす

    エーリッヒ・フロム『悪について』の新訳に寄せて|ちくま学芸文庫|出口 剛司|webちくま(2/2)
  • エーリッヒ・フロム『悪について』の新訳に寄せて|ちくま学芸文庫|出口 剛司|webちくま(1/2)

    1月刊行のちくま学芸文庫『悪について』(エーリッヒ・フロム著、渡会圭子訳)より、文庫版解説を公開いたします。書『悪について』は、『自由からの逃走』『愛するということ』に連なるフロムの代表作の一つであり、日でも長く読みつがれてきました。その今日的意義と魅力について、社会学者の出口剛司氏が論じます。 このたび、鈴木重吉さんの訳で長く親しまれたエーリッヒ・フロム『悪について』(原題The Heart of Man)が翻訳家の渡会圭子さんの手によって新たに訳し下ろされ、ちくま学芸文庫の一冊に加えられることになった。 著者であるエーリッヒ・フロム(1900-80)はドイツ生まれのユダヤ人、新フロイト派の精神分析学者、社会心理学者であり、ナチス台頭の心理的メカニズムを解明した主著『自由からの逃走』(東京創元社)は今や社会学、社会心理学の古典である。また彼の手による『愛するということ』(紀伊國屋書店

    エーリッヒ・フロム『悪について』の新訳に寄せて|ちくま学芸文庫|出口 剛司|webちくま(1/2)
    Seiji-Amasawa
    Seiji-Amasawa 2018/01/20
    出口先生の文庫版解説。
  • 第14回 哲学の訓練(その二)|人生がときめく知の技法|山本 貴光,吉川 浩満|webちくま

    ■ 捨てるのではなく、コントロールせよ 山 それにしてもこうして見てみると、エピクテトス先生は、人間というものは脳裏を去来する種々の心像に惑わされがちであることをよく知っていたのがわかるね。 吉川 われわれがSNS友人をうらやんだり、投稿の「いいね!」の数に一喜一憂したりするのを見たら、どう思うだろうね。 山 あいかわらずだなあ、って笑うかな。 吉川 そうだね。そして、だからこそ心像を正しく使用するには訓練が必要なんだと続けるだろうね。 山 それで、前回からその訓練方法についてお話ししているところでした。 吉川 先生はまず、トレーニングに先立って、心像には大まかにいって三つの領域があるとおっしゃる。 山 欲望に関する領域、義務に関する領域、承認に関する領域だね。 吉川 三つとも重要であることはもちろんだけど、なかでも第一の欲望の領域は最も急を要するものなんだそうな。 山 欲望と

    第14回 哲学の訓練(その二)|人生がときめく知の技法|山本 貴光,吉川 浩満|webちくま
    Seiji-Amasawa
    Seiji-Amasawa 2017/08/26
    「エピクテトス先生にしても、欲とつきあうには訓練が必要だといっている。どちらも、訓練や自覚なしには、欲というものはうまく扱えないと見ているわけだ。」
  • 第9回 理性的能力って、なに?|人生がときめく知の技法|山本 貴光,吉川 浩満|webちくま

    ■ どんなことを手紙に書くか、そもそも書くべきなのか? 山 前回は人間の諸能力について話しました。 吉川 友人に手紙を書くことを例にしてね。 山 それで、書く能力とはなにかについて考えた。 吉川 うん。当然のようだけど、手紙を書くには、ものを書く能力が必要。 山 ものを書く能力とは、たくさんある文字を適切に区別して、ペンやキーボードで実際に文字を書きつけることができること。 吉川 うん。でも、自分自身を考察すること、これは書く能力にはできないことだとエピクテトス先生はおっしゃる。 山 具体的にはどういうことだろう? 吉川 どんなことを手紙に書くべきかという判断だね。 山 それに、そもそも手紙を書くべきかどうか、という判断もある。 吉川 たしかにこれらは、ものを書く作業とは別の事柄のようだ。では、そのために必要な能力とはなんだろう? 山 それこそが「理性的能力」である、と先生はい

    第9回 理性的能力って、なに?|人生がときめく知の技法|山本 貴光,吉川 浩満|webちくま
  • 第8回 人間の諸能力について、考える|人生がときめく知の技法|山本 貴光,吉川 浩満|webちくま

    吉川 前回は、エピクテトス先生におでまし願いました。 山 突然ご降臨なさって驚いたね。 吉川 それで悩み相談をしたのでした。 山 「上司にムカつく30代男性の相談に答える」っていうね。 吉川 これ、相談者も相談者だと思ったけど、先生も先生で……。 山 相談に乗るというよりも、お説教しているみたいだったね。 吉川 いわれてみれば、『人生談義』にはそういう展開が多い。 山 さすが哲学者というべきか、悩みを生みだした条件や状況に目を向けて、再検討していくというスタイル。 吉川 自分がとらわれた悩みそのものを、対症療法でなんとかするのではなく──ときにそれも必要だし有効だけれど──、そもそもどうしてそんな悩みが生まれたんだっけと、足元を見直してみるわけだ。 山 というわけで、再びエピクテトス先生の教えの検討に戻ろうか。 吉川 そうしよう。 ■「自分自身を考察するもの」とは? 山 どこか

    第8回 人間の諸能力について、考える|人生がときめく知の技法|山本 貴光,吉川 浩満|webちくま
  • 第23回 資本主義の思弁的同一性 part3|資本主義の〈その先〉に|大澤 真幸|webちくま(1/4)

    ※推奨ブラウザ:Google Chrome / Firefox ピューリタンの出エジプト いわゆる「新大陸」のイギリス植民地は、それ以前の――主としてスペイン人やポルトガル人によって建設された――植民地とは、決定的に異なっていた。以前の植民地は、すべてカトリックの「王国」の新大陸への拡大であった。それに対して、アステカやインカが滅ぼされてからおよそ1世紀後に北米に建設されたイギリス植民地は、主として、プロテスタント、しかもピューリタンと呼ばれた、きわめて厳格でラディカルなプロテスタントを主たるメンバーとしていた。 よく知られている事実を確認しておこう。一般に宗教改革の端緒とされている出来事、つまりマルチン・ルターがヴィッテンベルク城の聖堂の扉に「95カ条の提題」なるカトリック批判を発表した出来事から17年後に、イギリスでは、ヘンリー8世が、自身の離婚問題でローマ教会と対立し、イギリス国教会

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