Author:碧猫 大都市の片隅でひっそり生活している、人畜無害の温和しい生き物です。本当です。 はてなID; felis_azuri コメント欄の書き込みについての注意事項; 当ブログ運営者、およびそれと友好関係にある参加者に対し、
(ちょこちょこ加筆&修正中@8/19~最終8/23) 18日付の『女性差別撤廃条約 日本の実施状況についての国連勧告速報 - つばさ』にて、「NGO すぺーすアライズ 事務局長」さんのメールらしい文章が転載されていた。女性差別撤廃委員会審査の最終コメントが出るのは8月末だと報道されていたのだが、既に出ているとのこと。そちらでは、勧告本体へのリンクも貼ってくださっていた。 それが、Committee on the Elimination of Discrimination against Women 44th session (20 July - 7 August 2009) ここからダウンロードできるように、Concluding Observationsの"E"(リンク先はPDF)が公開されていた。「F | S」は、まだリンクが切れているので、詳報がこれからということだろうか(<-フランス
何を批判したいのか判然としないレポートマンガを読んだ。 ◆ ケシクズ ◆:■ スネークレポマンin三鷹 これのどこが「確かに、この人の批判に正しいことはたくさんある」*1のだろうか。 つまるところ、マイクでヘイトスピーチをアジって妨害する集団に属していても、わざわざ誇示さえしなければ、誰でも自由に入ることができたというだけの話。門戸は広く開かれていたわけだ。どちらかといえば、見学者に対しても「売春楽しかったーー?」*2と遠くから声をかけるような集団こそ、入場を阻害しているのではないだろうか。 そもそも、同じブログでプリンスホテルにくだされた判決を拒絶したばかりなのだから*3、きちんと最初から妨害者を排除している主催者を作者は肯定するべきだろう。 しかしマンガとしては、冒頭からナノゼリー先生を好意的に描いていることに苦笑しつつも、対立しているイベント主催者や参加者もさほど醜悪に描いていないの
ブログを更新するのがだんだん億劫になってきたところへ、幸か不幸か、メインマシンである古いiBookがまた不調になった。機能はいちおう回復したのだが、生来の面倒くさがり気質が出て来たのか、気がつくと4ヶ月近くも更新をサボっていたことになる。 その間、農作業はもとより、市民運動や地区の世話などでも猛烈に忙しかった。ということは、その気になればネタはいくらでもあったことになるのだが、ブログ更新という「義務」からの解放感を味わっていた。 知り合いの中には、体をこわしたか、なにか事故でもあったのか、と心配してメールをくれる人もあった。「休載のお知らせ」的なことをアップしようかとも思ったが、それさえ面倒なままうち過ぎた。このまま「休刊」ないし「廃刊」にしようかと思っていた矢先にちょっとした<事件>が起きた。下のチラシの催しについてである。 この催しについて「在日特権を許さない市民の会」(在特会)という
あるイベントで、「戦争と女性の人権を考える」というテーマを設定した場合、はずせない出来事があるのは自明ではなかろうか、と、私などは思う。「戦争と女性への暴力」日本ネットワークホームページにはこんな文章がある。 戦場での強かんや性奴隷制などは、戦争につきものとされ、被害者が沈黙を強いられ、世界のどこでも裁かれなかったのです。国際法そのものが、戦時性暴力を被害女性の人権侵害とは見ず、その属する集団、つまり、家族や部族や民族の名誉を傷つける行為と見なしていたからです。 こうした戦時性暴力不処罰の流れを変えるきっかけを作ったのは、「慰安婦」たちでした。九十年代初め、アジア各地で「慰安婦」が声をあげたころ、ヨーロッパでは旧ユーゴの内戦で何万人という女性たちが、1993年ウィーンの世界人権会議で出会い、戦争や武力紛争下の女性に対する暴力反対の声を上げたのです。 相次いで設置された旧ユーゴやルワンダの国
第二次世界大戦が終わり、61年もの年月が過ぎました。 私たちの生活は驚くほど便利になりました。 しかしその裏で、忘れ去られ、いまだに置き去りにされている人たちがいます。 朝鮮から「慰安婦」として中国に連れて行かれた人たちです。 彼女たちはだまされ、脅され、連れて行かれました。 戦争という時代の中で、貧困・民族差別・女性差別の犠牲になったのです。 戦争が終わったあと、故郷に帰ることもできず、生きるためにその地に残らざるを得なかった彼女たち。 積もり積もった61年の想いは、悲しみとなり、諦めとなり、彼女たちの人生を覆っています。 ひとり、またひとりと被害者たちは亡くなっていきます。 私たち戦後に生きている者たちにできることは、事実を知ること、そして二度とこのようなことを起こさないようにすることではないでしょうか。 このフォトエッセイは2005年に韓国・ナヌムの家で作られたものです。 今でもまだ
東京都・三鷹市にて市民団体が企画した「慰安婦」パネル展に対し、「在日特権を許さない市民の会」などの排外主義団体が会場まで妨害に押しかけ、「売春展示会」「反日ポルノ」「朝鮮人は半島に帰れ」「反日左翼は日本から出て行け」と低次元な罵声を浴びせた。 「慰安婦」にさせられた女性たちへのセカンドレイプを重ねている。 壱花花 講師の渡辺美奈さんのお話では、「wam-女たちの戦争と平和資料館」を作る時に、 「たとえ展示パネルを壊されても、翌日にはすぐ作り直して飾ろう。壊されても壊さ れても作り直そう」とみんなで決めたそうです。 入り口での排外主義団体の妨害に気が滅入った自分でしたが、その渡辺さんのお話を 聞いて、あきらめては負けと思いました。 では具体的に何ができるのかは、いろいろあると思いますが、まずは「私たちが三鷹 へ、三鷹へと駆けつけること」(主宰者サイドのお願い)が大きな 支援になると思いました
三鷹に引っ越してきてはや4ヶ月 我が家の近くの三鷹市の施設で、慰安婦問題の展示があるというので 雨の中、自転車をこいで見に行ってみた 事前情報で、在特会(在日特権を許さない市民の会)とやらが「抗議」活動を繰り広げている所為で一般の見学者は入れない状況に陥っているらしいということは知っていた。 在特会が大挙して「慰安婦展」を妨害 三鷹へ駆けつけてください!/CML から - 薔薇、または陽だまりの猫 周辺は、法専寺を少し南に下った辺りから、警察官が数多く見られる物々しい状況 会場となっている三鷹市民協同センター近くの斎場の駐車場には、警察車両が大量に停車していた。 会場近くの私もよく買い物をするcoopに駐輪し、傘を一本買い 市民協同センターの近くに 近くの交差点に街宣右翼の車両が近づいてくる 車両から降りてきて、準備中の警察官の一隊が小走りに配置についていく 街宣車は、主に若者2人が交代に
三鷹市で本日から開催されている「慰安婦展」(フィリピン元「慰安婦」支援ネット・三多摩(ロラネット) 主催)に右翼・在特会が大挙して押しかけ、巨大なバナーや日の丸を掲げ、かつ大音響で差別的言 辞をがなりたてて同展の開催を妨害しているという情報が同展参加者から入ってきました。 右翼よりも大勢の警官が会場の三鷹市民協働センターを人垣を作って封鎖してくれてはいるようで すが、それがかえって会場には主催者と面識のある人しか入場できず(普通の人と在特会の運動員 との見分けがつかないため)、一般の人たちの自由な入場を阻害する原因にもなっているようです。 主催者と面識がないため入場を諦めてかえらざるをえなかった、慰安婦展は右翼に粉砕された感あ り、という報告も寄せられています。 ロラネット主催のイベントは3日まで続きます。在特会の暴力、妨害を阻止するもっとも有効な手段 は、それが結果的に即席右翼行動見学会
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
26日付のエントリ、『福岡市議会が「慰安婦」問題に政府が誠実に対応するよう求める意見書を採択』のコメント欄にメモしておいた様に、26日の15時に『海南島戦時性暴力被害賠償請求事件』の高裁判決がでている。 不本意ながらの予想通り、一審判決が支持されて、控訴は棄却された。即座と表現して良いであろう2009年3月26日 17:58付で『中国人戦争被害者の要求を支える会』に公表された『弁護団声明』(海南島戦時性暴力被害賠償請求事件弁護団および中国人戦争被害賠償請求事件弁護団)によると、支援者の皆様が尽力されてきた結果がみえる、かなり踏み込んだ内容であるようだ。 「日本軍慰安婦」問題に関する報道は、いつもながら少ない。日本紙では、しんぶん赤旗がそれなりに、毎日が簡素に報じた程度だ。その為か、裁判で勝訴していないから「日本軍慰安婦」問題で被害事実もなかったように受け取っていると覚しき人がネットでは散見
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く