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ブックマーク / sivad.hatenablog.com (7)

  • 対晶上陸作戦第2次しおり(ブークマ)作戦 - 赤の女王とお茶を

    最近よく図書館に行くので、すでに溢れているであろうネタでちょっと書いてみた。 栗薫とオーウェルにささぐ(もちろんヒラコーも)。 諸君、私はが好きだ 諸君、私はが好きだ 諸君、私はが大好きだ 新刊が好きだ 古が好きだ 単行が好きだ 文庫が好きだ 稀覯が好きだ 書店で 図書館で 喫茶店で 書斎で 公園のベンチで この地上に存在するありとあらゆるが大好きだ 待ち望んだ新作が好きだ 高々と書店にならんでいるときなど心がおどる 黒々とした活字が好きだ 真っ白い紙面に並ぶさまなど胸がすくような気持ちだった 古の片隅に書かれたメモが好きだ 同じツボをついているときなど感動すらおぼえる 自分が書いたかのように文章が心に入ってくるときなどもうたまらない 紙とインクの清潔な香りにつつまれるのは最高だ 話題の新書がブックオフに叩き売られたのを 5分で立ち読み完了する時など絶頂すら覚える 黄ば

    対晶上陸作戦第2次しおり(ブークマ)作戦 - 赤の女王とお茶を
  • 私達は一人一人「中国語の部屋」に生きている - 赤の女王とお茶を

    中国語の部屋」というのは哲学者ジョン・サールが提起した思考実験。「意識」を議論する時によく出てきます。 ごく簡単に説明すると、 ある箱に、中国語を全く知らない人が入っている。 外の(中国語を解する)誰かがその箱の中に中国語の会話や質問の書いたカードを差し入れる。 中の人はカードに書いていることは全く分からないが、箱の中には例えば 「$¢£%#」と書いてきたら「☆★○◇▼」と返せ のような「受け答えマニュアル」が用意されていて、何か分からないがとにかくその通りに書いて外に返す。 すると、中の人は意味も内容も全く理解していないに関わらず、外の人は「箱」と完全な対話をしていることになる。 またこの話は人工知能の文脈で語られることも多いようです。完璧なデータベースを備えた人工知能との「会話」は当の「会話」なのか?といった感じでしょうか。 では、私達人間はこの「箱」から当に解放されているのでし

    私達は一人一人「中国語の部屋」に生きている - 赤の女王とお茶を
    TAU
    TAU 2007/11/18
    我々は「サールの悪魔」に過ぎぬ。と言ったところで何かが変わる訳じゃ無し、融けて流れりゃ皆同じ。
  • 赤の女王とお茶を - 百億の田舎と千億の世間

    骨を埋めます なんだこれ。 私もこれまで地方都市にしか住んだことがないけれど、こんなシチュはお目にかかったことないなあ。 ただ、それは私がド庶民だからかもしれません。「Kさん」がコネで「地元の最有力企業」に「確実」に入社できるところを見ると、かなりの名士の家柄なのでしょう。一般地方人じゃ絶対ムリ。 となると、これは田舎の問題なのか?という気がしてきます。それもないとはいえませんが、例えば東京の由緒ある家柄の子女が突如関東圏以外に永住の決意を固めたとして、似たような事態が起こらないのかな? とはいえ、これがいわゆる「世間」の問題であることは間違いありません。 「世間」といいましたが、実際のところ、この概念には二つの貌があります。 1.幻想共同体としての「世間」 2.生活共同体としての「世間」 例えばこちらでessaさんは「世間」ヘイトをぶちまけているわけですが、ここで批判されている「世間」は

    赤の女王とお茶を - 百億の田舎と千億の世間
    TAU
    TAU 2007/09/29
  • 赤の女王とお茶を - 「自由の国」を支える「奴隷」と「暴力」

    ウェブは資主義を超える(池田信夫) 自由の過剰な世界 やっぱこの世代の人はマルクス大好きなんですね〜。微笑ましいくらい。アンカテのessaさんも同世代でしょうか? 結論からいうと、「自由の国」は、それを支える「奴隷機構」と「暴力装置」を前提に成立します。 マルクスは自由の国を、労働が生活手段ではなく目的となるような世界とし、そこでは生産力は増大して無限の富が実現すると考えた。 まず、人間がデータ生命になってチップに半永久的に封入されるような場合を除き、炭素生物として生きる限り必ず「汚れ仕事」や「単調労働」といった「生活手段労働」が生じます。 当然、「自由人」はこんなことはやりたくない。 だとすれば、誰かに「やらせる」しかありません。 つまり、安定した「奴隷機構」が不可欠ということになります。もちろんこれが完全に機械化される可能性はゼロではないでしょう。が、それほど精巧なロボットを作るより

    赤の女王とお茶を - 「自由の国」を支える「奴隷」と「暴力」
  • 赤の女王とお茶を - 幸せはカラダに聞け

    これですよね。こうやって観ると2も結構いい感じだな。 神父! 後ろ! 会社に人生を捧げている人は幸せか? どうやって生きて行けばいいかわかりません。 「イノセンス」において押井監督は、「生の喜びを真に感じられるのは動物である」と表現しました。 つまり有象無象の「概念」に惑わされることなく、身体という「生」によって直に「幸福」に接しているからです。 とはいえ、人間のカラダも結構ちゃんと「幸せ」を知っています。 いかにアタマで「やりがい」や「意義」を思い、「金」や「名声」を思っていても、それが真にカラダの求める「喜び」でなかったならば、多くの場合ハラやムネにもやもやとした違和感を感じているものです。 そしてそれを続けていれば、やがては体を壊すことになるでしょう。 逆にいえば、毎日の体調がよく、三度のメシが美味い。空の色や花や芸術が美しく、家族や友人との会話が弾む*1。 そういう仕事が出来ている

    赤の女王とお茶を - 幸せはカラダに聞け
  • 赤の女王とお茶を 茂木と梅田のいる場所は既に科学者が2000年に通過した場所

    科学者に衝撃を与えた「ロマンティックでない」グーグル 今頃何をいってるんだか。この人たちはかの「ヒトゲノム・プロジェクト」を忘れたのか? 特に茂木さん、生命科学研究の歴史を知らないんでしょうか。 あの頃も一種の狂騒状態で、バイオ研究者のすることはなくなるんじゃないかというまことしやかな説が飛び交ったもんです。 確かに遺伝子情報が誰でも手に入れられるようになり、それまでの単に遺伝子を同定しただけで論文が書けていた時代は終わりました。 しかし生命科学研究は終わるどころか、一層白熱しています。機械的な遺伝子配列の解読をしなくてすむようになったおかげで、より「人間的な能力」が研究にとって重要になりつつあります。 それは生物学的意味づけであり、根源的な洞察であり、観察と直観であり、イマジネーションの力なのです。 情報格差を利用して知識を切り貼りし、それっぽいハッタリでっている人たちにはやや危機的な

    赤の女王とお茶を 茂木と梅田のいる場所は既に科学者が2000年に通過した場所
  • 赤の女王とお茶を - マインド・ハックから脳を守る二冊 ~その1・実践編~

    お正月は主にを読んだり攻殻機動隊S.A.C.を観たりしておりました。 課題図書にしていたのは前から気になっていたコレ。 影響力の武器―なぜ、人は動かされるのか 作者: ロバート・B・チャルディーニ,社会行動研究会出版社/メーカー: 誠信書房発売日: 1991/09/01メディア: 単行購入: 12人 クリック: 699回この商品を含むブログ (123件) を見るいや、噂にたがわず面白い。 これはもう現代人必読の書といっても構わないのではないでしょうか。 基は心理・認知・行動科学的な原理の紹介と解説なのですが、その中でも社会生活に特に密接に関与する法則に重点がおかれています。著者自身の体験やフィールドワーク、実験や実例も豊富で、なかなか説得力があります。 特筆すべきは、現代に蔓延する強力な心理・認知トリック(広告やマーケティング含む)をしっかり把握し、それらから自分の認識を防衛すべきだ

    赤の女王とお茶を - マインド・ハックから脳を守る二冊 ~その1・実践編~
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