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ブックマーク / zuisho.hatenadiary.jp (42)

  • 女性が一人称に「俺」とか「僕」を使うと咎められるのは、全ての女性は全ての男性の恋愛対象にならなくてはならないから。 - ←ズイショ→

    読みました。 で、この書いてる人の「なんでだめなの?」に対する回答は、きっと掲題がすべてだろう、という文章です。つまり、中指が何あっても足りないぜ、という題です。 ここでアンビバレンツなことを言い出しますけど、僕も普通の女性が超好きな男性ですけど、一人称が「僕」とか「俺」の女性ってのはそりゃあちょっと敬遠しますよ。よくわからんけど「めんどくさそう」って思いますよね。それはだって、僕にとっての「普通」とは違うんですから。僕の「普通」古いですよ~~~~~!!!! 男は重い荷物を持ってやるべきだ。女は弱いので、男が守ってやるべきだ。そっから間違えて飛躍すると女は男の言うことを聞くべきだ。当然そうなってきます。それが僕が植え付けられた「普通」です。当然、これらの植え付けられた「普通」が全くふつうじゃないことくらいわかっているわけですけど、僕だってそういう価値観をどうしたって32歳おっさんは、幼

    女性が一人称に「俺」とか「僕」を使うと咎められるのは、全ての女性は全ての男性の恋愛対象にならなくてはならないから。 - ←ズイショ→
    Ta-nishi
    Ta-nishi 2018/11/06
    「社会的に禁止されているわけでも悪いことなわけでもないけど、それすると嫌われがちだったり損しがちだったりしますよ」って領域の扱いは難しい。大多数が嫌だと感じることは、実質的に社会的抑圧として働くし。
  • 歯のないおっさん、日雇いの棚卸しバイト、10年の月日 - ←ズイショ→

    仕事の出先の町で昼飯をおうとそば屋に入った。カウンターで値段相応の安っぽいほとんど衣で海老はオマケみたいな天そばを口の中にかきこんでいると隣の席に前歯のない小柄なおっさんがどかっと座って、かけそばとカレーライスを頼んだ。一目見て思い出した。俺はこのおっさんを知っている。そうともこの町は、かつて俺が日雇いの棚卸しのバイトをしていた、その事務所が立つ町だった。 棚卸し代行、店舗の閉店と共に店に入り翌日の営業時間までに売場とバックヤードとにあるすべての商品の個数を数え切る、そんな途方も無い作業をクライアントに代わってやってのける、そんな仕事だ。企業がわざわざ棚卸しをしたい時期というのはゴールデンウィークがどこも混むのと同じ理屈である一定期間に集中するので閑散期と繁忙期が極端に分かれる。だいたいは夏と冬だ。 繁忙期はまさにの手を借りたいので人海戦術で日雇いの条件で労働者を雇いまくる。「ものを数

    歯のないおっさん、日雇いの棚卸しバイト、10年の月日 - ←ズイショ→
    Ta-nishi
    Ta-nishi 2018/11/06
    エモい。
  • フケに立ち向かえない人間、とりあえずオクト試せ - ←ズイショ→

    読んだ。 で、何を隠そう私もフケに長年悩まされてきた人間だ。これ全部砂金だったらいいのにくらいのフケを排出しながらここまで生きてきた。 言いたいことは掲題の通りだが、この元増田は無論「それくらい試したわこの糞が」と思うであろうし、フケという問題に立ち向かってきた人間はみな同様の感想を持つだろう。しかしブコメを読んだ感じ、そして俺の実体験を踏まえても、そういうふうに色々を試すこともせず自分同様に「仕方のないことだ」と諦めているような人間も世の中にいるような気がしたので珍しく善意で筆を取る次第だ。フケは辛いが、仕方ないというほどではない。一回なんとかしてみてもいいのではないかと思うのだ。 フケが出るようになったのはいつからだろうか、なんか小学校高学年から中学生なるくらいだったと思う。フケとの記憶の一番初めは、ぼくの学習机である。学習机にはスーパーマリオワールドの下敷き?中敷き?保護カバー?が敷

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    Ta-nishi
    Ta-nishi 2018/10/24
    増田にもオクト効くといいな。
  • 妊活の頃の話 - ←ズイショ→

    僕と松山ケンイチが同い年で、嫁が深田恭子と同い年なので、『隣の家族は青く見える』が二倍面白い。 僕はもともと結婚願望も子供を持ちたい願望もまるでないどころか、自分がそういう人生を歩むことについては否定的というか要らねえやと思っていたタイプで、血がつながっていようがいなかろうが他人は他人だと思っていたし、にも関わらず親は親で兄弟は兄弟でそんなに簡単に無関係になることもできず、うまくやるより仕方がないので何とか俺を産んで育ててくれた家族とはうまくやってはみているものの、考え方の違う人間と折り合いをつけて生きていくだなんてこんなしちめんどくさいことをもう一度他人とまた0からやるだなんて馬鹿馬鹿しすぎると思っていたので、結婚なんかめんどくさいし子供なんてなおさらだと思っていたのが二十かそこらまでの一貫したスタンスであったが、一人で生きるのもまた同じように難しく険しい時もあり、誰かの何かがドバドバと

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    Ta-nishi
    Ta-nishi 2018/02/14
  • 愛は醜い - ←ズイショ→

    たとえば体罰とかハラスメントとか果てはストーカーとか痴情のもつれとか、たびたび加害者が「愛してるからやったんだ」「愛情がない相手にはそんなことしない」みたいなことを言ってるのを見かける。 それを見てみんな「ふざけるな」「そんな言い訳が通じるわけないだろ」と憤る。ここまではわかる。 「お前のそれは愛ではない」「お前の愛は正しくない」こうなってくると俺はちょっとわからなくなる。 別に愛だろうがなんだろうが知ったこっちゃないがダメなもんはダメ、で良くない? それが当の愛だったとしても加害を正当化する理由にはなりません。それじゃあダメなの? なぜ人は、他人の愛が当の愛か、正しい愛かを判断しようとするのだろう。 それは結局みんな「来なら許されない何かが愛を理由に許されることがある」と信じてるからなのではないだろうか。 愛を理由に自分の行動を許される余地は残しておきたいと心のどこかで思っているか

    愛は醜い - ←ズイショ→
    Ta-nishi
    Ta-nishi 2017/12/18
    「愛は醜い」とまでは思わないけど、愛を純粋潔白なものだとしておきたい人間が言う「それは愛ではない」にはなに言ってんだコイツ、とは思うな。愛は当然、毒にもなる。
  • 世間話するのと熱湯ぶっかけるのは大体同じ - ←ズイショ→

    はい、上記読んだんで「まぁだいたい同意です」みたいな内容の話をします。 僕はもともと内容のないお喋りがすごく好きな人間なので、たとえば最近やってたので言えば電車の中で同僚と玉音放送って長渕剛みたいな言い方で読んだらめちゃめちゃ面白いのではって話になって二人でスマホを開いてググって玉音放送をただ長渕剛風に朗読するっていうのをやってたんですけどまぁ最終的に「米英」をいかに長渕に寄せて2拍で「ベイっ」「エイっ」って言うかを競う感じになったんですけど、カマキリとかのでかい虫をうでかい蛙とか、一口目でパクついて捕らえてからの更にグッと飲み込む二口目までだいぶ間隔空くイメージがあるんですけど、それくらいの間隔を置いての「ベイっ」「エイっ」っていうあの感じ、あの感じをうまく出来た方が勝ちみたいなことをやってるくらいなんで、完全に内容のないおしゃべり大好きチームなんですよ僕は。そんなやつの意見は聞きたく

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    Ta-nishi 2017/05/08
    冒頭の「内容のない話」、私は長渕そんな知らんからどんな口調でふたりが話してたのか全然わからなくて疎外感感じたんだけど、そういうことだよなと。
  • 『北風と太陽』の北風が無能で太陽が有能みたいな風潮 - ←ズイショ→

    全っ然納得いかねえ。なんかあの話、乱暴に任せる北風は無能で懐柔策を用いる太陽が有能みたいな教訓でまとめてた気がするんですけどなんだそれ全然納得いかねぇと思って、そもそも太陽お前は風とかぴゅーぴゅー出来ねえじゃんか、なんだよぴゅーぴゅーって何年ぶりかに言ったわ、俺もう30だぞ。いい大人がぴゅーぴゅーってなんだよ。太陽がぴゅーぴゅーすることも出来てそういういくつかの選択肢の中からギラギラ照りつける作戦を選んだんなら納得できるけど太陽お前馬鹿のひとつ覚えみたいにギラギラすることしかできねぇじゃねえか、TUBEかっつーの。ちょっと男子ー、馬鹿のひとつ覚えってフレーズの後にTUBEとか言うのやめなよー。違うわ、ギラギラにかけたんだわ、TUBEはギラギラにかかってるんだわ、TUBEが馬鹿のひとつ覚えにかかってると思ったのならそれは俺が言ったのではなくあなたの心です。とんでもないものを盗んでやりました。

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    Ta-nishi
    Ta-nishi 2017/05/02
    フル版、はじめて知った。
  • 嫌われない人になる方法 - ←ズイショ→

    僕は基的には「掴みどころがなくて癖は強いがなんだか侮り難く、敵に回すととてもめんどくさそうなのでとりあえず味方に置いておきたいな」と相手に思わせるキャラクターでいたいなという方針で俺の肉体を社会的に運用しているのですが、こういう繊細なニュアンスのキャラクターをやるのは手間と時間がかかるので、最近生活環境が大きく変わったこともあって、とりあえず今は好青年キャラをやっています。具体的には以下を念頭に置いて「人」をやっています。 ・挨拶は元気良く大きな声で(挨拶しない選択肢を取らないなら大きい声出そうが小さい声出そうがコストはだいたい同じ、ならば得する方をやる) ・会話をする際は集中して相手の話を聞く(どうせ聞くなら集中するもしないも同じ、ならば得する方をやる) ・相手が喋っているあいだは相槌に留め、決して相手の喋っていることを遮らない(そこまでして自分の意見をわざわざ言ってやるメリットがない

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    Ta-nishi 2017/03/16
    ネットでは言いたい事を一方的に言うだけキャラで通す事にしてる私も、リアルではこんな感じを心がけてるな。ネット経由で知り合った人には、ネットの私のキャラを求めてるだろうからネットキャラ率高めで接するけど
  • 僕の「あちら側」 - ←ズイショ→

    自分にとってのふつうとは違った形をしていて得体が知れなくて正面からまじまじと見据えるのがなかなかに堪える存在どもを人はたびたび「あちら側」に追いやる。そこには大抵の場合、嫌悪か憐憫か嘲笑かの色がつく。 そういう態度がいかにも立派だとは当然言い難いわけだけれど、それが彼らの世界とうまくやるためのせいいっぱいなのかもしれないな、とも思ったりする。 みんな、せいいっぱいでいっぱいいっぱいなんだなということが最近は想像できるようになってきた。みんな自分が一番かわいくてその次にかわいいものと次の次にかわいいものとを自分の都合で選んでる。そうして自分のかわいいものを全部抱え込むより遥か手前で気付けば両手はいっぱいいっぱいになっている。人間は優しくしたい風には優しくできない。人間は優しくしたいだけ優しくはできない。人間が優しくない生き物だとするならば、その理由は1日が24時間しかないからだ。1年でひとつ

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    Ta-nishi
    Ta-nishi 2017/03/14
  • 男女の保育士が同じように働くということ - ←ズイショ→

    タイトルの題に入るまでがかなり長いけど、どうせ読むなら全部読んでもらえればな、と思う。あと題に入った後も長い。ぜんぶでだいたい7,000字。時間がある時にあったかくして読んでくださいね。 母親にLINEで「俺が通ってた幼稚園って男の先生おった?」と尋ねたところ「忘れた。(三つ下の)妹と(四つ下の)弟の時はいた」という返事が来た。最初、なんで22年前のことは覚えていて25年前のことは覚えてないの?容量がいっぱいになったら古いファイルから自動で削除して新しいファイルを上書きしていくみたいな、記憶ってそういうシステムなの?なにそれ怖っ!と思ったが、たぶん単純に「あ、男の先生だ」と思った記憶があるから「妹の時はいた」とはっきり言えるのだ。つまりそのような記憶がないから「忘れた」という曖昧な表現になるのであり、恐らく俺の通った幼稚園には女の先生しかいなかったと考えるのが妥当だろう。 それから俺が

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    Ta-nishi 2017/01/26
    最後の段落、めっちゃいい話だと思うんだけど、それすらも自分の『呪い』だと自覚してる客観性がイカしてる。
  • 自分も与えてやれてる実感を持てないと、ただ一方的に与えられるのは怖い - ←ズイショ→

    読んで、なんか思いついたことを書く。この増田の参考になる話なのかは知らん。 と言いながら書き始めてはみたものの、掲題のとおりでそれ以上言うことは実はあんまりない。 人間、意味がわからないこと、辻褄が合わないこと、どういう道理か見当がつかないものってやつは、そりゃあもうそれだけでどうしたっておっかない。 最近の僕がそれほど夜をおっかないと思わないのは、夜がなぜ暗いのか、夜はなぜやってきて、いつ去っていくのか、知識や経験で知っているからだ。 それらの理屈の一切合切を知らぬまま生きていたならば僕はきっと今よりずっと夜がおっかなかったろう。 道を歩いていて、知らない人が突然あなたに話しかけて、100万円をくれてやるから受け取れと詰め寄ってきたら、あなたはそれを受け取るだろうか? 僕はおっかなくてちょっと受け取れない。 それが100万円を咥えたアナグマとかだったら周囲に誰もいないことを確認してぶん殴

    自分も与えてやれてる実感を持てないと、ただ一方的に与えられるのは怖い - ←ズイショ→
    Ta-nishi
    Ta-nishi 2016/12/21
    素晴らしい。納得しかない。
  • 恋愛守破離の「守」を恋愛と呼ぶ人と、「破離」を恋愛と呼ぶ人 - ←ズイショ→

    アパートに住んでるんですけど、隣がたぶんアラフォーくらいの中年夫婦なのかな、こいつらがふたりともなかなかにヒステリックな性格の人みたいで結構な喧嘩しよるんですよ。旦那さんも奥さんもこれがアニメだったら家全体を引きで撮って家が揺れる演出入るだろくらいの声量で揉めよるんですね。内容はそんなはっきりわからんけど、二人が交互に喋るテンポとテンションの上がってくペースだけ聞いててももう教科書どおりの売り言葉に買い言葉だなって感じで、日々うるせえなと思ってるんですけど。一回すげえ笑ったのが、俺その時はベランダに出て洗濯物干してたから喋ってる内容がはっきり聞こえたんですけどね、いつものようにフリースタイルダンジョンばりに交互に旦那さんがわめいて奥さんが喚いてってやってるんですけど、「交互に」の形容にフリースタイルダンジョンばりも何もないだろって話なんですけど、奥さんの方がね、「あんた、あたしのこと幸せに

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    Ta-nishi
    Ta-nishi 2016/11/30
    「恋愛適性と結婚適性は違う」って意見みたとき毎回思うのは、恋愛経ないでどうやって結婚適性を判定できるんだよってことなのでわかる。2年3年付き合ってくと、恋愛も結婚に近い関係になっていくし。
  • 相手に「この人は対等を望む人間だ」と判断されるにはコストを伴う - ←ズイショ→

    なんか盛り上がっててブコメとか眺めて「へー」とか言ってたんですけど。まぁまず、「こんな男いる?」ってのは言っても詮無いので置いときましょう。なんか、いるって言ってるんだからいるんでしょ。そういう男が描かれた屏風があって夜な夜な抜け出しては高収入バリキャリ女に罵声を浴びせるので大変困っておるのじゃって将軍様が言ってるんだから「いるんだー」って思ってるんですけど、こうやって書くと実のところいないと思いつつ書いてる揶揄だと思うじゃないですか。実はこれ、そもそも一休も屏風に入ってるっていう世にも的なオチのやつですから。「よし、引き受けてくれるのじゃな一休、では新右衛門、一休を屏風から出してやれ」「ははっ!」つって、そういうスタンド攻撃なんですけど。まぁ人間誰しもたった二つのまなこで世界を無理にでも見渡すしかないわけで見える景色は人それぞれ、その中で見えたものを互いにシェアしていけるといいですねって

    相手に「この人は対等を望む人間だ」と判断されるにはコストを伴う - ←ズイショ→
    Ta-nishi
    Ta-nishi 2016/10/12
    "一休も屏風に入ってる"皮肉が効いてるなー/後半の関係性の話に禿げ上がるほど頷く。でも先入観や劣等感から対話拒否する人は「上」にも「下」にも多いし、それは「縁がなかった」ということなんだとも思ってる。
  • 「やる気がないなら帰れ」とポリコレダブルバインド - ←ズイショ→

    ネットなんかで永らく繰り返されている「正しすぎる正義」「正しすぎることの何が悪い」の話題ですがぜんぜん正しくも何ともないことがわかったのでそれを書きます。 あのー「やる気がないなら帰れ」ってあるじゃないですか、よく腹立つ教師とかが使ってきてたやつ。あれってずるっこいですよね。実のところ言外に要求してるのは「俺に逆らうな」「俺の言うとおりにしろ」なのは明らかじゃないですか。しかし言葉のうえでの質問は「やる気はあるのか?」です。「先生の教え方は理不尽です」と言っても「そんなことは聞いていない。やる気はあるのか?ないのか?どっちなんだ」ってな調子です。こう言われると大抵の子は啖呵を切って教室を出ていくのも大変なので「やる気あります。帰りません」と答えざるをえません。相手の思うツボですね。ここでやる気があると表明したことを褒めてきたりするのもむかつきますね。飴と鞭のつもりかよ。なお、この場合は

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    Ta-nishi
    Ta-nishi 2016/09/16
    「『正義』という圧倒的正しさで殴るという暴力」が強力無比な理由がわかりやすく説明されていた。
  • 伝わり方が10割。或いは胎動。 - ←ズイショ→

    伝わり方が10割だと思っている。 俺だって色々考えているんだけど、色々考えてるなりに何も言えなくってはにかんでいたら何も考えてないやつだと思われて下を向いているよりほかなくなったり、とりあえず口を開いてみて喋り出したら後半「そうじゃないんだ違うんだ」しか言えなくなってたりする。 人は誰もたった一の時間の矢に跨り人間の口は一つだけ一秒間に一つのことしか喋れない口にした言葉と思考がイコールで結ばれる瞬間はついぞ死ぬまで一秒たりとも訪れない。 バベルの塔なんざわざわざ崩したりなんかしなくたって、そのうちに人間は勝手に涙に溺れたことだったろうに。だって私は貴方の言葉がわかる。しかし私には貴方の考えていることがひとつもわからない。 僕の思考はいつでも僕の頭の中にしかなくって「なるほど、あなたの考えていることはこういうことなのですね」と貴方が僕に言う時、貴方の頭の中に出来上がっている「あなたの考え」

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    Ta-nishi 2016/09/08
  • 嘘八百万。映画『シン・ゴジラ』感想文 - ←ズイショ→

    はい、ネタバレへの配慮とか全然ないよ! 400字くらい俺がぜんぜん関係ない話をして時間を稼ぐからまだ観てない奴は回れ右して今すぐ劇場へ足を運べ! たぶん後で同じような話をするとは思うんですけど、なんか「3・11以後の映画」みたいな言い方があるのかな、3・11という言葉ないし概念を含めたこの映画への評価ってたぶん世の中にたくさんあると思うんですけど、僕個人の見解としてはそんななんかシリアスな難しい話じゃなくって、乱暴な言い方をすると「せっかく3・11に出会ってしまったのだから、どうせなら『シン・ゴジラ』くらい観ておかないと割に合わない」「3・11を今更なかったことにはできないのだから、じゃあせっかくだし『シン・ゴジラ』でも観て元を取ろう」みたいな感じに僕はなります。もちろんもっと厳密に言えば、3・11以外の色んな災害とか色んな人災を含めてですけどね。なので、「全日人観るべき」とは僕は言いま

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    Ta-nishi 2016/08/08
    "庵野さん左利きなんで、今回は左手に持ってた日本がたまたま勝ったよね。"ワロタw
  • 卵とじカツ丼が苦手な理由 - ←ズイショ→

    卵でとじたカツ丼が苦手で自分で金を出してったことがないレベルなんだけどなぜなのか理由を言語化できてなかってでもべなければ良いだけなのでなんでだろ~と考える機会もこれまでなかったのだけどこの前珍しく中華いに行ったらエビチリが出てきてエビチリにはフワフワサクサクの何かがついてくると思うのだけどこれ別の皿で出してくれたらチリソースにつけてべるのになんで同じ皿に盛りつけちゃうの~?意味わかんな~い?って思って、そうなんだ~僕はサクサクのものが何かしらの液ないし汁に浸かってへた~っとなってしまってるのが嫌だったんだなって気付いたんだよ。カツ丼もせっかくサクサクの衣がおいしいのになんで卵でとじちゃうの~?へた~ってなっちゃった衣はサクサクしてなくてむしろ片栗粉でコーティングして卵で覆ってパン粉で包んだ揚げる直前の状態に幾分近付いていてなんで先祖返りしちゃうの~?なんのための160℃だったの~

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    Ta-nishi
    Ta-nishi 2016/07/20
    私もとんかつそのまま食ったほうがうまいじゃん!思ってた時期もあったけど、アレはとんかつとは別の食べ物だと思うようになって、いまでは両方ともラブです。
  • 『ニンフォマニアック』感想文 - ←ズイショ→

    そのうち観ようそのうち観ようと思ってたのを遂に観ました。 ニンフォマニアック Vol.1/Vol.2 2枚組(Vol.1&Vol.2) [DVD] 出版社/メーカー: バップ 発売日: 2015/04/22 メディア: DVD この商品を含むブログ (1件) を見る トリアーという映画監督の作品を観るのは『アンチクライスト』に続いて二回目だったんだけど*1、あーなんか俺この監督ダメだわー、俺この監督が面白いと思ってやってること全然面白いと思わないわーって思った。 で、なんかさ、トリアーにかぎらずなんだけど、たぶん日だと園子温映画なんかの話になった時に「あるある!めっちゃわかる!」って思ってくれる人きっといるだろうと思うんだけど、過激な性描写とか暴力描写とかさ、そういうの取り扱った映画に対して「俺は全然面白いと思わなかったわー」って言った時にさ、なんか「あーまぁ好き嫌い分かれるよね、結構

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    Ta-nishi
    Ta-nishi 2016/07/06
    私自身の中からは絶対に出てこないような新鮮な視点で面白かった。
  • 全員に言えることを殊更に一部の人だけに言って見せるのは「いじり」ですよ - ←ズイショ→

    歩きスマホはおやめ下さい。小さなお子さんをお連れの方は携帯よりお子さんを大切になさって下さい。新宿駅構内のアナウンスがこうなった。みんなクスッと笑っている。 — 信田さよ子 (@sayokonobuta) 2016年6月12日 なんか、これを微笑ましい話と認識する人とかけしからん話と認識する人とか当然あって然るべき注意喚起だと考える人とかに分かれて入り乱れてるらしいんですけど。 歩きスマホをやってはいけないのは子連れの人に限らず全員ですよね。 にも関わらず子連れに対してのみもう一言添えるのは「いじり」ですよ。 例えば「おかわりは一人一回までだぞ~、わかったか坂」って言った時に坂くんがいしん坊キャラとしてみんなに認知されてて人もそのキャラを受け入れててなんならその言われてる時も家から持ってきたバケツいっぱいのチョコチップアイスってて「だっておいしいんだも~ん」って開き直ってるみたい

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    Ta-nishi 2016/06/15
    坂本くんのくだりが「いじり」について過不足なく表現されすぎてて感動した。
  • 人を信じられない人は人を信じすぎなのではないか - ←ズイショ→

    もう男なんて信じない! もう女なんて信じない! もう大人なんて信じない! もう人間なんて信じない! 昔はそれなりに気が弱くて空気を読む子供だったので、小学校低学年くらいの頃までは割に大人を信じていた。子供の知る大人っていうのは、いわゆる学校の先生とかそういう人のことだ。大人は僕ら子供のことを真剣に大事に思っているし、公明正大に物事を考えているし、自分たちが出来ているからこそ子供にも「みんなと仲良くしなさい」と言うのだし、そんな大人たちが見てくれているからこそ子供は無邪気でいられるのだし、だから自分は無邪気でいなければならないと思っていた。無邪気でいることこそが「私は大人を信じていますよ」という表明であり、こちらが信じていればこそ大人もそのように振る舞ってくれる。勿論その頃、そんな言語化なんてできているはずもなかったが僕はいわゆるそういう共犯関係のようなものを僕と大人を含む世界との間にイメー

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    Ta-nishi 2016/05/02
    人間は信じられないものだと納得してから楽にはなったけど、そのことに対して寂しさも感じるから「福音」とまでは思えないな。信じれるものなら信じていたかった、とは思う。