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医療情報に関するTerra-Khanのブックマーク (2)

  • 配列からの自由がほしい - レジデント初期研修用資料

    電子媒体でものを書くときに感じる不自由さについて。 カーソル移動が不便 それは電子カルテもそうだし、あるいはblog を書くときのインターフェースもそうなんだけれど、「機械に決められたとおりの配列に従わないと文章が書けない」というのが、電子媒体でものを書くときに感覚する、独特の不自由さにつながるんじゃないかと思う。 紙媒体であっても、たとえば検査の所見用紙だとか、あるいは昔ながらの紙カルテなんかは、時系列に沿って、だいたい似たような場所に、似たようなことが書かれるから、電子カルテと紙カルテと、見た目はそんなに変わらないんだけれど、「それができる」ことと、「それが強制される」こととの間には、人間側の感覚として、おおきな開きがあるような気がする。 それが紙媒体なら、読みにくくはなっても、自分流の適当な配列で情報を記載したところで、読んだら大体、意味は通じる。これがたとえば、電子カルテ上で、「そ

    Terra-Khan
    Terra-Khan 2010/03/11
    PCで作成したデータを一旦紙媒体に打ち出して、それを元にPCに打ち込むという…
  • プロカルシトニンの社会的有用性について - レジデント初期研修用資料

    今作っているのは「症状」で分類した教科書で、患者さんはたいていの場合、何らかの「症状」を抱えて病院にやってくる。 ところが西洋医学は「臓器」で分類されていて、さらに悪いことに、医師国家試験は全ての臓器を網羅しているから、 医師はあらゆる臓器を診察できることになっていて、「症状」を「臓器」へと翻訳する工程は、 誰でも問題なくできることになっている。 実際にはもちろんそんなことはなくて、病院にはだから、いくつもの科があって、患者さんはしばしば、 「この患者さんは少なくとも、うちの科の領分じゃありません」なんて、症状を抱えているのに、 いろんな科から「うちじゃない」なんて、理不尽な返答をもらうことになる。 検査の社会的有用性 主治医が決まらないと治療は始まらないし、「うちじゃない」問題が発生するような患者さんは、 たいていの場合、どの科の医師にしても、きちんと診療する自信が持てないケースがほとん

    Terra-Khan
    Terra-Khan 2009/05/12
    "少なくともうちの科"では結構多用してますよ。「易感染性がある」という前提つきですけど。
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