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死生観に関するTerra-Khanのブックマーク (2)

  • 私は今年26だけど田舎の子だったので「死」は身近だった。

    「曾祖母の納骨を親に”見せられた”小学校1年生の女の子が”PTSD”になってしまったかも」というエントリー。 半数以上の反応が「こんなんでPTSDになるなんて」「親も子供も軟弱」、と否定的で、さらにそれに対して元増田が みんな、お骨を拾って何ヶ月も悪夢にさいなまれたり発作的に嘔吐したりしながら成長していったのか・・・。と返している。 どっちも違うなあ、と思った。「ブタがいた教室」に対する是非論と同じ感想。 私は今年26だけど田舎の子だったので「死」は身近だった。 物心付く頃には家に犬がいて今実家で飼ってる犬共の親、祖母、曾祖母と3代を見送った。 1匹はフィラリアであっけなく死んだ。残りの2代は老衰だった。 だんだん弱っていく犬を寝ないで看病して最後を見届けた。死んだら庭に埋めた。 だから死んだら硬くなる事も、どんなに弱ってても生きている内はあった「あたたかみ」が 死んだ瞬間にすっと無くなる

    私は今年26だけど田舎の子だったので「死」は身近だった。
  • 死生観と医療崩壊 - NATROMのブログ

    内科勤務医の春野ことりさんによるブログ、「天国へのビザ」の■患者の皆さん、あきらめてくださいというエントリーが注目を集めている。95歳の認知症の男性の消化管出血による貧血に対して輸血をオーダーするも、血液不足のためオーダーを取り消さざるを得なくなった。そのことを家族に伝えると、 娘は泣き崩れた。 「お願いです。できるだけのことをしてください!」 95歳、認知症で施設に入っていた患者である。もう寿命とは思えないのだろうか。 できるだけの看護をしてくださいというのなら分かる。しかし、できるだけの治療をしなければならないのだろうか。 不足している医療資源を奪ってまで、95歳の老人の命を数日長引かせることに何の意味があるのだろう。 エントリーは、「日人の死生観は明らかにおかしくなっている。今こそ見直さなければならない時期にきているだろう」で終わる。一般的な内科勤務医であれば、程度の差はあれ、同様

    死生観と医療崩壊 - NATROMのブログ
    Terra-Khan
    Terra-Khan 2008/01/03
    「カルネアデスの舟板」って知ってる? この国の医療資源という名の舟板は国民全員が乗れる程、もう大きくないんだ。
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