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ブックマーク / castleinformation.hatenablog.com (6)

  • 金沢城 その5 - 山城踏査日記Ⅳ

    金沢城の続きです。 五十間長屋です。 多聞櫓で長さが五十間(90m)あります。 中を見学できます。 木造で復元されています。 櫓から見た河北門です。 なかなかの景色です。 五十間長屋は二階建ての多聞櫓です。 五十間長屋の中はバリアフリーです。 賛否両論あるでしょうが、復元での木造建築の中のエレベーターは違和感があります。 石落しです。 (続く)

    金沢城 その5 - 山城踏査日記Ⅳ
  • 尼崎城 その3 - 山城踏査日記Ⅳ

    尼崎城の続きです。 天守の中には荻原一青さんの絵が飾られています。 荻原さんは尼崎市の生まれで、全国の城の復元図を描いていました。 尼崎城です。 桜井松平氏4万石。 掛川城の天守です。 家紋は太田氏の桔梗紋です。 明智光秀ではありません。 実はこれらは手ぬぐいです。 全国の城があります。 見ていて飽きません。 古写真や絵図に基づいて書かれていてかなり精度の高い絵です。 (続く)

    尼崎城 その3 - 山城踏査日記Ⅳ
  • 東御所跡@三重県津市美杉町 - 山城踏査日記Ⅳ

    東御所跡は三重県津市美杉町上多気にあった中世城館です。 今は畑になっています。 柵に囲まれています。 付近の航空写真です。 六田館跡が東御所です。 北畠館跡と向かい合っています。 楕円形の区画が確認できます。 左の小高いところが城跡です。 右の田は堀跡です。 東御所です。 石垣が見えます。 雪姫大明神です。 雪姫は北畠具教の娘です。 伊勢に進出した織田信長の子茶筅丸(信雄)を北畠氏の養子に送り込み、雪姫と結婚しました。 具教は信長により謀殺されて北畠氏は滅亡します。 雪姫は自害しようとしたが果たせず、東御所の桜の木に縛られていましたが、どこからか現れた白い鹿に救い出されました。 後に土地の人により雪姫大明神として祀られました。

    東御所跡@三重県津市美杉町 - 山城踏査日記Ⅳ
  • 上野天満宮 - 山城踏査日記Ⅳ

    名古屋市千種区上野にある上野天満宮です。 鳥居から入ります。 拝殿です。 祭神はもちろん菅原道真です。 愛知県の神社には多いのですが、ここには蕃塀がありました。 石造りです。 絵馬も天神さまです。にこやかです。 摂社も多いです。 晴明社、八坂社、白山社、秋葉社、御嶽社、琴平社、塩釜社、猿田彦社、稲荷社です。 境内にある晴明殿です。 ここに分社されています。 晴明殿の絵馬です。 縁結びの絵馬です。 おみくじです。 菅原道真の形をした人形の中に入っています。 可愛いです。

    上野天満宮 - 山城踏査日記Ⅳ
  • 上野城@愛知県名古屋市 - 山城踏査日記Ⅳ

    上野城は愛知県名古屋市千種区上野1丁目にあった中世城館です。 今は永弘院の境内に石碑が建つのみです。 上野城址と刻まれています。 昭和3年に建てられました。 碑には下方左近将監源貞清居城と刻まれています。 城跡は今は永弘院の境内になっています。 比較的大きな寺院です。 永弘院は下方氏の菩提寺です。 境内にあるもう一つの上野城の碑です。 下方左近古城跡地の碑です。 先の大きな石碑の後ろにひっそりとあります。 なぜ碑が二つあるかと言えば、大きな碑は以前は上野小学校にありました。 上野城は上野小学校から永弘院にかけての地にあったとされます。 上野城は天文元年(1532)に下方左近貞清が築城したと言われます。 城の大きさは東西120m、南北214mと言われ長方形で比較的大きな城でした。 下方氏は織田信秀(信長の父)に仕えました。 天文17年(天文11年とも)の小豆坂の戦いで、「小豆坂の七槍」の一

    上野城@愛知県名古屋市 - 山城踏査日記Ⅳ
  • いま、甦る!!私部城2019『安見一族と城 伊予河後森城と河内私部城』 - 山城踏査日記Ⅳ

    いま、甦る!!私部城2019『安見一族と城 伊予河後森城と河内私部城』 日時 2019年12月1日(日)13時~ 場所 交野市役所別館3階中会議室*交野市私部1-1-1 定員 100名 参加費 無料 内容 ビデオメッセージ:村上恭通氏(愛媛大学) 講演 「市史跡・私部城跡の発掘調査と成果 河内の安見氏の城」吉田知史氏(交野市木養育委員会) 「国史跡・河後森城跡の発掘調査と成果 伊予の安見氏の城」亀澤一平氏(松野町教育委員会) 座談会「安見一族と砲術 河後森城と私部城の記憶」真鍋成史氏(交野市教育委員会)

    いま、甦る!!私部城2019『安見一族と城 伊予河後森城と河内私部城』 - 山城踏査日記Ⅳ
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