敗戦後の東京、占領軍として日本に君臨したGHQは、良くも悪くも日本に数々の改革を実施しました。大地主制度や財閥など、解体・廃止したものも多かったのですが、その中の一つに「公娼の廃止」がありました。公娼って何ぞや?と説明するのも面倒臭いので、ここでは「遊郭」と理解していただいて結構です。 そう説明すると、遊里史をかじった人はこう疑問符がつくはず。 そう、戦後には「赤線」があったはずだと。 しかし、厳密に言うと赤線は遊郭の延長ではあるけれども、公娼ではありません。赤線は警察などの公的機関は「黙認」していたけれども、認めていたわけではない。対して遊郭は「公認」。だから”公”娼なのです。黙認と公認は、天と地の開きがあります。 研究者によっては、 と主張する人もいますが、私個人としての考えは、赤線は「私娼窟」としています。 昭和20年代〜30年代前半の東京には、赤線だけでも10ヶ所以上が存在し、夜な