弥生チェケラ!に関するYOWのブックマーク (52)

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  • 「皆さん、こんなの許せますか!?」 ~裁判が「バラエティ番組」になっていく:日経ビジネスオンライン

    *  *  *  * 武田 お忙しいところありがとうございます。今日はご専門の「法令遵守」について話をしたいと思っていますので、よろしくお願いします。 郷原 はい、こちらこそ。 武田 郷原さんはコンプライアンスの専門家と言われていますが、少し前に『「法令遵守」が日を滅ぼす』(新潮新書)というをお書きになった。これ、普通だったら逆ですよね。法令遵守を進めるのがコンプライアンスであり、それこそが日を救うだろうと思われている。なぜ、正反対にそれが日を滅ぼすのかということからお話して頂きましょうか。 郷原 法と人間との関係を根的に問い直してみないといけないと思っています。 今、一番いけない方向に日社会が向かってしまっている。それは「法令遵守」という言葉にこだわって、何も考えないで、「法を守ること」が自己目的化していることです。 忘れてはならないのは、法というのは手段だということです。手

    「皆さん、こんなの許せますか!?」 ~裁判が「バラエティ番組」になっていく:日経ビジネスオンライン
    YOW
    YOW 2008/11/06
    草野球の喩えは実際ハートが使ってた。
  • 裁判員制度は、世界に類を見ないモンスターになる:NBonline(日経ビジネス オンライン)

    「平成21年5月21日から裁判員制度が実施されます。裁判員制度とは,国民のみなさんに裁判員として刑事裁判に参加してもらい,被告人が有罪かどうか,有罪の場合どのような刑にするかを裁判官と一緒に決めてもらう制度です。国民のみなさんが刑事裁判に参加することにより,裁判が身近で分かりやすいものとなり,司法に対する国民のみなさんの信頼の向上につながることが期待されています」 最高裁のホームページでは裁判員制度についてそう説明されている。あれよあれよというまに採用が決定され、実施も目前にせまっている裁判人制度は、独特の法システム社会である日に果たしてなじむのだろうか。 *  *  *  * 郷原 まず国民の司法参加は、やった方がいいのか、やらなくてもいいのか、二分法なんですよ。そうしたら、やった方がいいということになる。なぜなら、外国の多くの国でやっているから。 武田 最高裁のHPでも「国民が裁判に

    裁判員制度は、世界に類を見ないモンスターになる:NBonline(日経ビジネス オンライン)
    YOW
    YOW 2008/11/05
    >そこで最高裁が何を始めたか。裁判員の負担をできるだけ軽くしようと。最初から3日間ツアーの日程でスケジュール組み、その日程でできる範囲内で審議を終わらせる事に。「せいぜい3日、長くても1週間で済むよ」と。
  • 「構成要件的故意」と誤想防衛 | 天才たぬき教授の生活

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    「構成要件的故意」と誤想防衛 | 天才たぬき教授の生活
    YOW
    YOW 2008/08/01
    >ドイツの「法効果指示説」:そこでは、誤想防衛はあくまで「故意の」行為。誤想に過失があった場合、法的効果だけが過失犯のものを使う事になる。つまり、あくまで「故意犯」なのだが、法効果では過失犯となる。
  • 「社会的相当性」再論? | 天才たぬき教授の生活

    久しぶりの良いお天気。息子も僕も、ひとつずつ歳をとった。さて、タイトルのテーマに移るとするか。 最近の答練で「社会的相当性」に関する質問が出てきたので、以前にも書いたかもしれないけど、もう一度書いておこう。 学説には、過失犯において客観的注意義務違反のない行為は不法ではないという前提から、一部に、誤想防衛や違法性の錯誤の場合も含めて、無過失行為は適法だとする誤解があるが、エンギッシュもヴェルツェルも、またその後のドイツ刑法学の中にも、そのような理解は、筆者の知る限りでは、ない。 客観的注意義務違反という要件は、過失一般ではなく、もっと客観的な行為の属性だからである。そしてまた、ヴェルツェルの来の考え方では、その客観的注意義務を守っている行為は「社会的に相当」なので、もはや犯罪の構成要件に該当しないとされる。決して、構成要件に該当する行為の違法性を阻却するものとされているわけではない。 手

    「社会的相当性」再論? | 天才たぬき教授の生活
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    YOW 2008/08/01
    >「社会的相当性」を「違法阻却の一般原理」とするのは誤解→ヴェルツェルは一時期これを「慣習法的違法阻却事由」と解したが後に撤回。「社会的相当性」は、正当防衛等の緊急行為の正当化原理に用いられた事はない
  • 『鳩山法相の死生観』を真剣に読めば死刑問題がわかる その5 神は細部に宿り給う

    「ウェットとドライ」 だが、大臣が「日の生命観は自然と共生であり、日人はウエット」という持論を話し出したあたりから、分からなくなってきた。「死刑廃止論はドライでかさかさした人たちの考え。人の命を奪ったんですよ。何人奪っても死刑がない、そんなドライな世の中に私は生きたくない」 (特集ワイド:死刑執行13人 鳩山法相の死生観 - 毎日jp(毎日新聞)) さて、鳩山法相の言うウエットとドライは普通の用語では何のことだと思う? たぶん言っている人もよくわかっていないことだが、これは多神教と一神教のことだ。 大臣は、日人は木や石などすべてのものに神をみるアニミズム(汎神論者)と考えている。「すべての命を大事にする文明だ。すべてと共生するアニミズムこそ、洞爺湖サミット最大の課題である地球環境を救う唯一の道だ」 (特集ワイド:死刑執行13人 鳩山法相の死生観 - 毎日jp(毎日新聞))

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    YOW 2008/07/28
    クダラネ〜〜!ありがち〜〜。いわゆる「存在論」ていうか。>大臣は、日本人は木や石など全てに神をみるアニミズム(汎神論者)と考えてる。「全ての命と共生する文明。これこそサミット課題地球環境救う唯一の道」
  • 「何故しぶとく生き延びるのか ゴキブリとマルクス」『諸君!』2005年8月号 - shinichiroinaba's blog

    松尾さんの新著をめぐって変に盛り上がっているのでお蔵出し。 何らかのネタの提供になるだろうか。 これと『教養』第7章を読んでいただければ、ぼくが疎外論的マルクス主義それ自体には割と批判的――正統派レーニン主義にもそれなりの事情があったし、その問題点が疎外論で克服できたわけでもない――と考えていることはお分かりになるでしょう。ただそれと今回の松尾さんのの評価とは、関係はあるが別の問題なわけだけど。(ていうかまだ読んでないし。) しかしこれを山形は全く知らないだろう70年代頃までの新左翼系の疎外論だの物象化論だのといったややこしい論争まで引っ張り起こしていじりまわすといったいどうなるのやら……(松尾さんには廣松渉批判の論文もあったな。廣松の「マルクス主義」がすでにマルクスから離れた別物であったというのは間違いじゃないだろうけど)。 ==============================

    「何故しぶとく生き延びるのか ゴキブリとマルクス」『諸君!』2005年8月号 - shinichiroinaba's blog
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    YOW 2008/06/20
    >マルクスブームのネグリ、ハート、ドゥールズらは「イデオロギー論」的な作業は得手であろうが、実証的社会科学者ではない。彼らにおけるグローバル資本主義批判の没科学性は、新左翼の歴史自体の中に根ざしている
  • 「疎外」「物象化」をめぐってあれこれ無秩序に - shinichiroinaba's blog

    考え方はいろいろあって、まず「マルクスの思想は現代経済学ゲーム理論と整合的である」という大前提から出発する。そうするとここで「だからマルクスも再読に堪える」という考え方も出てくれば、逆に「だったらマルクスイラネ」という考え方も出る。この違いはどちらが正しいか、という問題ではない。要はそれぞれの受け手の側での事情の違いである。マルクスを含めた「思想」によりなじみの深い人文系インテリにとって「だからマルクスも再読jに堪える」という結論には十分に意味がある。こうした層にとってはマルクスと併せ読むことによって、現代経済学ゲーム理論の理解がはかどる可能性があるからだ。 ただそれだけで済ますわけにもいかない。 山形の場合も「だったらマルクスイラネ」という結論は、何の気なしに出されているわけではない。マルクスには激烈な副作用があり、その副作用を勘案するならば、なくてすませられるなら敬して遠ざけるに越

    YOW
    YOW 2008/06/20
    >「疎外」と「物象化」は避ける事のできない「人間の条件」であるという事になる。<私も疎外が常に既にあってから主体が生まれる、と思想的には理解してる。だから「疎外論もうイラネ」というのはオカシイのだ。
  • ドイツは過去とどう向き合ってきたか 2006年1月30日経済広報センター講演(熊谷徹)

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    YOW 2008/02/22
    ルーマンのヴェーバー言及検索>ルーマンの目的論的行為説明は複雑性の縮減の結果であり、複雑性縮減そのものではないとの点に批判点残る>ウェーバーは目的/価値のどちらの合理性も目的志向行為をモデルにして説明
  • 動画サービス「Rimo」終了のお知らせ

    平素より動画サービス「Rimo」をご利用いただき、ありがとうございます。 動画サービス「Rimo」は、2008年8月末日をもちまして、サービスの提供を終了させていただきました。 これまでご利用いただきましたユーザーの皆さまに深く感謝申し上げます。 誠にありがとうございました。 詳しくは下記をご覧ください。 http://hatena.g.hatena.ne.jp/hatelabo/20080901/1220235228 株式会社はてな

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    YOW 2007/11/01
    via.puteeuiさん/ラストの余韻は、ある生物・物質について、人間が関知できてるか、認知的かがなぜころ問題の芯じゃないという事だと思う。「知らずに使うよりかは…」という自覚の有無も「答え」じゃない、という余韻
  • 功利主義① : CHRONICLE USHER

    2007年06月27日 04:27 功利主義① 安藤馨(2007)『統治と功利:功利主義リベラリズムの擁護』勁草書房 いやー、隅から隅まであまねく論証しなければ気が済まないといった感じのこの畝々した文章はまさしく修士論文ベース。最初頭が痛かったけどだんだん慣れてきた。寝る前に読んでるだけだと一ヶ月はかかりそうなので3章まで読んだところで小括。 全体としては、統治理論としての功利主義の構想をもくろむもの。 第一部(功利主義の諸形態と具体像及びその内在的批判)では、個人−制度、行為功利主義−規則功利主義、事実主義−蓋然主義、帰結主義−非帰結主義、直接帰結主義−間接帰結主義、歴史主義−時点主義、現実主義−可能主義、などの二項対立についての考察を通じて、現実主義的時点主義的蓋然主義的行為帰結主義の原理的な説得性と実践的な優位性を論証し、彼が擁護しようとする功利主義に内実を与える(功利主義内でのトー

    功利主義① : CHRONICLE USHER
    YOW
    YOW 2007/10/26
    安藤馨『統治と功利主義リベラリズムの擁護』>行為功利主義は、規則自体がそれ自身をなすべく動機づけてるとの考えは棄却し、規則功利主義を原理的に説得的でないとみなす。他者の行為に恣意的な仮定を置くのも棄却
  • ルイス・キャロルのパラドックスから何を学びうるかWhat Can We Learn from Lewis Carroll's Paradox?

    論文全文 ルイス・キャロルのパラドックスから何を学びうるか What Can We Learn from Lewis Carroll's Paradox? 伊佐敷 隆弘 Abstract Lewis Carroll created an interesting paradox about logic in his paper titled "What the Tortoise said to Achilles." This paradox raises the following question: Where can we get the meaning of the principle of inference? (The principle of inference is "If p⊃q and p are true, you can assert q.") By inve

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    YOW 2007/10/26
    via.mind氏>7. ダメットの「規約」:一般的で明示的な規約により推論規則の意味を与える事はできるか。→主張力を命題自体の性質とはなく,命題を用いる行為の性質として考察した>H.L.Aハートもまた。
  • 多元的世界における寛容性についての研究:第6回研究会レジュメ2

    はじめに ひと頃盛んに口にされていた「国際化」という言葉に入れ替わるようにして、近年「グローバル化」という言葉が頻繁に用いられてきている。おそらく、国家や国民の単位を前提とした「国際化」という言葉は、インターネットに代表されるような情報化の急速な展開のまえでは、現在の状況やその向かいつつある未来が醸し出すイメージとは幾分そぐわなくなっているのかもしれない。 なるほどたしかに、ヒト・モノ・カネ・情報の動きが、国家によってこれまで明確に区切られてきた物理的、法制度的、経済的なさまざまな境界や障壁をやすやすと横断してネットワーク化されている状況をわれわれはよく眼にしている。あるいは、NGOのような援助組織が文字どおり、国の政府機関の単位を越えてフレキシブルに活動し、その活動資金の調達においても世界市民的な支持の広がりのなかで規模を拡大しているのも周知のとおりだろう。またその一方で、冷戦終結後の世

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    YOW 2007/10/19
    真にブキミなのは、ワトソンの生物学的差異論とコレとが構造的に裏表になる点。→多文化主義の一見反人種主義によるナショナリズム効用。排除や分離という実際的な効力がある、「人種」の社会・文化決定論。
  • NHK解説委員室ブログ | 視点・論点 「シリーズ戦後 『若者のナショナリズム』」 - 大澤真幸

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    YOW
    YOW 2007/10/09
    >「本気になって信じてはいけないが、信じているふりをすることなら構わない」同左d:id:YOW:20070720/大澤『ナショナリズムの由来』で、最も普遍主義に立脚する者が特殊主義に反転すると。多文化主義と現代ナショの共振
  • 正学校論 - 猿゛虎゛日記

    http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20070919/p1についての話です。 アルジェリアがフランスの植民地だったころ、アルジェリアの独立という考えは非常に「ラディカル」なものだったわけです。そして、今ある植民地体制は悪いが、「今とは異なる(より良い)植民地体制」を考えようとした「良心的」フランス人もたくさんいた。彼らを、サルトルは「新植民地主義の欺瞞」と批判しました。サルトルは 良い植民者がおり、その他に性悪な植民者がいるというようなことは真実ではない。植民者がいる。それだけのことだ。 と言っています*1。 「植民地のない世界」は、当時としては非常に「非現実的」なものに思えたでしょうが、現在、「植民地のない世界」が非現実的である、などと考える人はほとんどいないのではないでしょう。それと同じように、「学校が存在しない世界」だって非現実的とは決め付けられない。常野さ

    YOW
    YOW 2007/09/23
    >反・反戦派は反戦派に対し、「そもそも戦いは人間の本能」という大きな話をもってきて批判するが、この話の展開の仕方もそう見える<「抵抗」批判言説は、もっとしっかりした流れがあると思う。主権論など
  • kafka

    ●カフカ 読む。 1)テキストの説明 「審判」の説明 ー 訴訟、プロセス ー その9章で登場。他に田舎の医者という短編集の中で、「法の門前」という題名で再録されている。 永遠に上級審に至りつかない訴訟のプロセス。始まりも終わりもない訴訟。恥辱だけが残る。 この作品は、このプロセスを入子状に表現したもの。 2)いかにして読むか。 解釈の問題。解釈それ自体は絶望の表現である。 ー法の超越。内面性(なにもしない)。罪悪感。 ーオイディプス的解釈。父としての法。結婚という法(門番としての父。「判決」) ー官僚制 いずれにせよこれらさまざまな領域で同じ問題が生じていることは確認しておかなければならない。 カフカの批判:受動性。被告人も見ない。法を必然と受け入れる。虚偽が世界の法にされるわけだ、と言いながら、真実の世界をあばこうとはしない。 K-訴訟 男ー掟 (カフカ)ー法 読者ひとりひとり──テキス

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    YOW 2007/08/15
    道徳や慣習の被支配と同じ構造>主人公は法への侵入を「みずから禁じる」。法に従うのではなく、法に近づかないことを決心→ダブルバインド:法との関係を維持するには、法と関わってはならない。法そのものがタブー
  • カフカと法

    関連ページは、「法と文学」参照。 Susumu Hirano Professor of Law, Faculty of Policy Studies, Chuo University (Tokyo, JAPAN) Member of the New York State Bar (The United States of America) Copyright (c) 2004-2005 by Susumu Hirano. All rights reserved. 但し作成者(平野晋)の氏名&出典を明示して使用することは許諾します。 もっとも何時にても作成者の裁量によって許諾を撤回することができます。 当サイトは「法と文学」(law and literature)の研究および教育用サイトです。 〈ブリーフ〉 「弁護士とは,1万字にも達する書類を書きながら,それを〝ブリーフ〟と言う人である。」

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    YOW 2007/08/15
    『審判』今読み中。>古い大陸法の刑事司法手続きを再現した作品/我々が法の命令・要請に同意するのは、それで自らの利益に適うからではなく、評決者の中に高貴さを見たいと望むから同意するのだ
  • Thomas Aquias, Summa contra gentiles, Table of Contents

    THOMAE AQUINATIS Liber de Veritate Catholicae Fidei contra Errores Infidelium Latin Text is from Marietti edition. Sigla: (Gallica):Jump to French translation by Tradere (Anglica):Jump to English translation by Joseph Rickaby (japonica):Jump to my Japanese translation (n):Jump to notes, reference, etc. (>[num]):Jump to the relevant section inside ScG.

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    YOW 2007/08/04
    トマス・アクィナス『カトリック信仰の真理について 不信仰者の誤謬を論駁する書』(『対異教徒大全』)のラテン語、邦訳の掲載。全4巻。自然法といえば、トマスでは神法/人定法の対抗図式が。
  • on the ground 20061031 自由主義と民主主義のお勉強

    現在アクセスが集中しており表示しにくい状態となっております。 申し訳ございませんが、しばらく時間を置いてからアクセスするようお願いいたします。 ・FC2フォーラム ・FC2インフォメーションブログ ・最新障害情報・メンテナンス情報ブログ

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    YOW 2007/08/03
    >米の多元主義論が大衆の政治参加に慎重だったのに対し、「社会的デモクラシー」的(仏)な自主管理とも繋がる参加民主主義論が対抗する理論的対立構図 ∴市民行政参加が「米型自由主義に典型的」の理解は誤り