政教と電車で既読に関するYOWのブックマーク (5)

  • 先日、フォーラム「新・地球学の世紀」で亜細亜主義と日蓮主義についてお話ししました。 - MIYADAI.com Blog

    MIYADAI.com Blog (Archive) > 先日、フォーラム「新・地球学の世紀」で亜細亜主義と日蓮主義についてお話ししました。 « 一水会前代表の鈴木邦男さんと事をしながらお話ししました | マスメディアの出鱈目な報道に釘を刺しました » (テープ起こしを「である」調にしました) ■私が亜細亜主義について語ろうと思った契機は二つある。1997年の日米安保共同声明と1999年のWTOシアトル総会だ。前者は冷戦終焉後「にもかかわらず」米国追従を続けることの意味、後者はグローバル化に歯止めをかけないことの意味が、問われる問題だった。 ■だが国内では議論が盛り上がらなかった。援助交際や新興宗教や少年犯罪の取材を続けつつ、これはマズイと思った私は、「昔とった杵柄」で亜細亜主義や天皇制の今日的意味を積極的に語るようになった。因みに私は権力現象の数理的記述で博士号を取得している。 ■オル

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    YOW 2008/05/11
    >日蓮のアマテラス下属論即ち法華経絶対主義を密教としつつ、衆生には天皇絶対主義(的国粋主義)を顕教として説く←二重規範を用いたガバナンスストラテジーを顕教密教の別に擬え「顕密体制」と呼ぶ。
  • サービス終了のお知らせ

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    YOW 2007/01/16
    >人権の復権は人権への疑念ももたらした。現実での人権の勝利は理論での根拠の危機の出現でもあった。/絶対的に保障されるべき人権の正確な定義の困難さ
  • Dialog 第2回研究会(2003/1/21)

    home concept activities member newsletter record COE top 2nd Meeting / 第2回研究会 ロックの『寛容書簡』をめぐって 氣多 雅子 (文学研究科 宗教学専修 教授) 1. はじめに 宗教的寛容の問題は、十七世紀のヨーロッパ社会において切迫した政治的社会的論争の主題であり、ロック(1632-1704)の寛容の思想は、そのような現実の政治的宗教的争いを受けて、形成されたものである。この思想は、純然たる哲学的ないし神学的議論とは性格を異にする。ラテン語で書かれたこの『寛容書簡』には、抗議派(Remonstranti)、反抗議派、ルター派、カルヴィン派、再洗礼派、ソシヌス派、長老派などのプロテスタント諸派、聖ヨハネのキリスト教徒、ローマ・カトリックの名称と、マホメット教徒、ユダヤ教徒、アメリカの異教徒、無神論者という名称が出てくる

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    YOW 2005/10/19
    ロックの寛容に関する義務「為政者の義務は、人民の魂の配慮を含まない。」
  • <B><FONT size="+1">アメリカにみる目的・効果基準の生成過程

    論文・著書リストに戻る ホームに戻る アメリカにみる目的・効果基準の生成過程 松村 比奈子 目 次 1.国家と宗教 2.政教分離制度の類型 3.政教分離制度の歴史 4.アメリカの宗教的背景 5.アメリカにおける政教分離制度の歴史的背景 6.合衆国憲法と主要判例 7.判例にみる目的・効果基準 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 1.国家と宗教 宗教とは人間・自然をこえた超越的実在とのかかわりにおいて、人間生活の諸問題を根源的に解決できるという絶対の信仰より発しながら、それは問題として現れる限り、現実の社会的な営みの部分において法や政治領域と関わるものとなる。その意味で政治と宗教は分離することができない、混濁する社会現象である。しかし国家組織と宗教団体は、特有の内部規約を持つシステムとして分離することが可能である

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    YOW 2005/09/26
     政教分離について 6.合衆国憲法と主要判例
  • イギリスのネイション・国民国家・主権国家の形成とその特徴(巣山)

    立命館法学  一九九六年六号(二五〇号)1699頁(三五九頁) イギリスのネイション・ 国民国家・主権国家の形成とその特徴 -西欧国際体系との関連において- 巣山 靖司 一  は  じ  め  に 湾岸戦争の原因は、一般にいわれている論潮によるとイラクがクウェートの主権を侵害したということである。しかし中東における一般民衆大衆の間では、主権国家 sovereign state という概念は必ずしも根付いていないように思われる。ベドウィン族のような遊牧民にあっては、パスポートの存在すら理解できない者がいるし、事実「国境」といわれるものを無視して交易が行われる場合は多々ある。事実、戦争の過程で国連参加国によって経済封鎖が断行されたが、密輸的な交易は事実上黙認する以外なかったのである(1)。 中東一帯は一八・九世紀にヨーロッパ諸国がきて互に分割・支配する以前には、大きくいってアラブとペルシャに分

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    YOW 2005/08/30
    「英宗教改革は国王の政治的な動向が先に動き、教義、神学が結果として変化した」教義は旧教と新教の折衷
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