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ブックマーク / stanza-citta.com (9)

  • いろいろクドい話 » 正月特番 「原爆機の邀撃はこんなに大変」 2

    昔の夜間戦闘機と同じような戦い方をする、F94A/BとF89のD以前を全天候戦闘機の最初の世代とすると、地上レーダーと連携してロケットを撃つようになるのが第二世代と言えます。レーダーとFCSと機体設計を一新した新世代はYF95A、YF97Aとして発注されますが、そんな型番は誰も知りません。 結局、YF95AはF86Dに、YF97AはF94Cに呼び換えられたからです。 F86はDで機体設計を一新したのではなくて、別の機体を86に混ぜたんですね。あんまり変わらないF89Dも含めて第二世代にまとめられる理由は F86D、F89D、F94Cは基的に同じFCSを搭載したロケット弾戦闘機だからです。 さて、セイバードッグことF86Dです。 この戦闘機は速いし、上昇力があります。 しかもF86F大量生産の余勢をかって、あんまり共通部分が無いのに量産も進みます。そのために配備も進み、装備した飛行隊はF8

    a-park
    a-park 2013/01/17
    核弾頭搭載空対空ロケット弾という恐ろしいものがなぜ重用されていたか、について
  • いろいろクドい話 » 幻の東部戦線 6 (ドイツ軍戦記執筆のルール)

    敗戦後、捕虜となったドイツの将官には連合軍からの尋問と戦犯としての裁判が待っていました。ニュールンベルク国際軍事法廷です。この裁判の結果は紹介するまでもありませんが、開廷までの間に被告となった将軍達の弁護資料として大規模な供述書が作られています。 これが「将軍供述書」と呼ばれる文書ですが、この文書は連合軍側からの一方的な尋問によるものではなく、ドイツの将軍達の自主的な主張が将軍達の手でまとめられているところに特徴があります。 序言 ブラウヒッチュ(元陸軍総司令官) 1920年~1933年までのドイツ軍 マンシュタイン及びヴェストファル(元西部軍参謀長) 1933年~1938年3月31日まで ( 同上 ) 1938年春~1942年秋まで  ブラウヒッチュ及びハルダー(元陸軍参謀総長) 1942年秋~1944年春まで  マンシュタイン及びヴェストファル 戦争最終年         ( 同上 )

  • いろいろクドい話 » 砲兵の仕事 24 (戦場の女王とはどういうことか?)

    ソ連軍砲兵の一番の特徴とは何でしょうか。 膨大な機材の量でしょうか、それとも戦術でしょうか。ユニークなドクトリンでしょうか。 結論から言えばソ連軍砲兵の最大の特徴は砲兵の地位の高さです。 ソ連軍の火力主義は歴史的に見ればいろいろ場所にその源流を探すことができますが、第二次世界大戦前に膨大な砲兵戦力を整えられた直接の要因はスターリンの強力な支持があったことです。革命後の内戦を体験したスターリンは自らの実戦経験から火力主義を理想視していた様子が窺われます。けれどもスターリンの庇護があったとはいえ、ソ連軍砲兵は平坦な道を歩めたのかといえばそうでもありません。 火力を重視して砲兵を過度に充実させた軍隊は攻撃性に欠け、受動的に作戦する傾向にある、と主張したのはクラウゼビッツです。指揮官に積極的行動を強いて能動的で攻撃的な戦闘をさせるにはむしろ砲兵が不足していた方が良い、という見解です。なんだかベンチ

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    a-park 2010/10/12
    「砲兵は戦場の女王」という抽象的な言葉の実情  砲兵の指揮権がそこまで強かったというのは知らなかった
  • いろいろクドい話 » 塹壕模様の存在理由

    これまで主に攻撃ドクトリンを中心に紹介してきましたが、こんどはちょっとだけ、防御ドクトリンの変遷を追っかけてみたいと思います。 華々しい攻撃ドクトリンでさえ大きく誤解される傾向にありますが、ことに防御ドクトリンとなると正確な紹介が行われることは極めて稀です。防御という地味な分野であることも確かですが、「わかりやすい歴史の流れ」から少しだけ離れたところで考えられ、実行されて来たものですから「戦車の登場」とか「新しい戦争のパラダイム」といった際立った話の輝きを割り引いてしまう趣きがあるからかもしれません。 たとえば第一次世界大戦では因習的な塹壕戦のセオリーに支配されていたところに戦車という革命的な兵器が新しい戦術思想の萌芽とともに登場して旧い戦術思想を一蹴しつつあった・・といった認識の下では、当時の防御ドクトリンは語るに足らない平板で旧式な過去の遺物に見えてしまいます。 けれども第二次世界大戦

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    a-park 2008/07/22
    第一次世界大戦時の防御ドクトリンについての解説
  • 帰ってきた真実日記 >> デファイアントの言い分を聞く夜

    単発複座というだけで何か触れてはならないハンディキャップを背負った存在のように思える上に、さらにまた7.7mm四連装球形動力銃座を装備し、前方固定機銃を持たないという常人には理解しがたい設計であるためにボルトンポール デファイアントは「珍機」として知られ、そして実戦ではまったく活躍できず、昼間戦闘から引き上げられて夜間戦闘機として使われ、最後は標的曳航機として雑用に向けられたという情けない戦歴が駄作機としての評価を決定的にしているようです。 ・7.7mm動力銃座が攻撃兵器になり得るという誤解の産物 ・ブリストルF2B以来、イギリス伝統の複座戦闘機、最後の生き残り 他にもあるかもしれませんが、デファイアントについてはこんな評判が代表的であるようです。複座戦闘機が弱ければF14トムキャットは弱いのか、とか、動力銃座が攻撃兵器にならないなら究極の夜戦、P-61の銃塔は防御用か、などと臍の曲がった

    a-park
    a-park 2008/05/20
    どうか「シルフィ・ナイト」の事もたまには思い出してあげてください
  • いろいろクドい話 » 匂いたつ例の機種

    a-park
    a-park 2008/05/13
    Bf109の事故率についての分析   いくらなんでも戦闘以外での損傷多すぎだろ・・・
  • いろいろクドい話 » イワンのばか

    漫画にあるようなソ連軍イメージはいつ何処で誰が広めたことなのかと言えば、終戦後のドイツ高級将校達の回想録に始まります。 ・質では優越していたが量で圧倒された。 ・戦術は単純な突撃主義だった。 ・督戦隊の恫喝による人海戦術が最大の特徴だった。 ・粛清の影響で野戦将校は無能な者ばかり。 ・戦争後期にはドイツ流機動戦の稚拙な模倣が行われた。 ・そもそもまともな陸戦理論は存在しなかった。 こんなソ連軍イメージが語られて来た訳で、これは別に彼等が嘘を言ったのではなく自分自身がそのように認識していたからなのですが、客観的にはドイツ陸軍がソ連軍に対しての体系的な研究を殆どして来なかったことの単純な反映でもあります。 こうした認識は戦後にドイツ軍に代わってソ連軍と対峙することになったNATO軍にとっても受け容れやすいもので、冷戦時代を通じてソ連軍の陸戦の実相や陸戦ドクトリンに対する表面的な評価はあたかも真

    a-park
    a-park 2008/05/06
    軍オタの間に流布する「質より量のソ連軍」という認識の誤謬について/「上にあるようなソ連軍イメージはとくにミリタリーファンにとって恰好の悪役の形成を助けています」「趣味の戦史とはそうしたものです」
  • いろいろクドい話 » 熟練工を徴兵するとどうなるか?

    の航空機工業について「戦時に熟練工を徴兵するような配慮の無さが不良品の山を築く原因となった」という批判をよく見かけます。なるほどもっともな事です。育成に時間の掛かる熟練工を工場から戦場に駆り出してしまえば工場には未熟な新人しかいなくなりますから製造現場はさぞかし混乱することでしょう。そんなことにさえ気づかずただ単に兵隊の頭数を揃えれば良いとする軍部の無配慮が敗戦を早めたのだと説かれると、思わず相槌を打ちたくなります。 しかし、現実は違います。熟練工を徴兵してもしなくても「何も変わらない」が当です。それが証拠にアメリカもイギリスもドイツも工場から熟練工をどんどん徴兵しています。それはなぜでしょうか。 軍備拡張時代初期の1935年から第二次世界大戦突入後の1941年までのイギリスでの主要航空機工業関連会社の就業者数は次の通りです。 1935年 機体関係 15000名  発動機関係 120

    a-park
    a-park 2008/04/05
    「熟練工を徴兵したから航空機生産の質が下がった」論に対する反論
  • いろいろクドい話 » 職人の領分

    の航空発動機についてその製造工程などを形容して「職人芸」という言葉がよく使われます。私などは昨今の懐古趣味的風潮から「これは誉め言葉なのだろう」とばかり思っていましたが、どうも批判的に使われているようです。ふだん「人道」とか「人命」といった言葉を好んで用いる向きもなぜかこういった分野では機械的で味気ない人間疎外の象徴のような流れ作業の産物をありがたがるようで、世の中の不思議のひとつと言えます。 さて、日のなんという会社の何型の航空発動機がどんな工程で「職人芸」なのか、と訊いても「職人芸」派の方々は「誰それがそう回想していた」「誰先生がそういった」程度の答しか返って来ません。これもまた困ったものなのですけれども、私としても「職人芸」は誉め言葉だと思って、そんな方々が喜ぶようにと二十世紀前半における航空エンジンの最高傑作として知られる「マーリン」の生産を開始したロールスロイスの発動機工場

    a-park
    a-park 2008/03/18
    1930年代の戦闘機エンジン生産が「職人芸」に支配されていたと言うことについて/全世界的にそういう傾向があったと言うのは意外だった
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