日記 | 22:03 | 眠りはいつも深いほうで、夢もそう覚えていないから睡眠はいつも僕を現世のあれやこれやから匿ってくれるようである。その朝もまた同様であった。つまり僕は夜暗くなって眠り、目覚まし時計の鳴る朝目覚める。それまでほとんど目の覚めることはなく、ただ異様の暗さだけが僕の知る七時間である。そのくらいは眠る。 暑苦しくて眠りの覚めかかる朝であった。 冷房を使うでもなく、扇風機のタイマーの切れたころである。 たとえば静聴の朝の空気感というのが僕は好きで、その風景というのは伊豆高原の叔母の別荘で過ごしたある夏休みの朝であったり、大阪から高知へ遊びにゆくフェリーで眠気の残る眼に焼き付けられた朝焼けの冷たさであったりする。そういう印象がある。そういう印象が僕に朝を好ませるし、じっさい僕は朝を、とりわけ健やかな朝を好んでいる。 ヒヨドリの鳴く声がした。 ヒヨドリの鳴く声は次第にはっきりと