ブックマーク / kamiyakenkyujo.hatenablog.com (9)

  • 更科功『若い読者に贈る美しい生物学講義』 - 紙屋研究所

    リモート読書会で更科功『若い読者に贈る美しい生物学講義』を読む。 若い読者に贈る美しい生物学講義――感動する生命のはなし 作者:更科 功 ダイヤモンド社 Amazon このは、生物学に興味を持ってもらいたくて書いたである。タイトルには「若い読者に」と書いたけれど、正確には「自分が若いと勝手に思っている読者に」だ。好奇心さえあれば、百歳超の人にも読んで欲しいと思って、このを書かせて頂いた。(p.5) 高校の生物で6点を取った歴史を持つ男として、「ほう、興味を持たせられるなら持たせてもらおうではないか」と思って読み始めた。 更科人による章立て紹介は次のとおりである。 簡単に内容を紹介しておこう。まずは、生物とは何かについて考えていく(第1章および第3章〜第6章)。そのなかで、科学とはどんなものかについても考えてみよう(第2章)。生物学も科学なので、その限界についてきちんと理解しておくこ

    更科功『若い読者に贈る美しい生物学講義』 - 紙屋研究所
  • 『最新版 図解 知識ゼロからの現代農業入門』 - 紙屋研究所

    の農業をどうしたらいいんだろうか。 福岡市でもちょうど高齢化した農家が世代交代の時期となり、田んぼがどんどん消えて宅地に変わっていっている。自分の近く、目の前でそうした現実を見せつけられる。素朴な素人感覚で申し訳ないが、そういう事態が進行していってこのまま日料は大丈夫なのかという思いに駆られるのだ。 福岡市内を流れる川と田んぼと宅地 知り合いの農学者が2050年にむけた日農業の政策提言を考えていて、それを見せられる機会があった。料が足りなくなるという危機意識をもとにいろんな方策が書いてあるのだが、水田は畑と違っていったん宅地にすると元に戻すのが難しいということや、ひこばえを使った収量の増加などは興味を惹かれた。 www.agrinews.co.jp 他方で、物価高騰である。日々ぼくらが買うべ物は、輸入にモロに影響を受ける構造なんだとなあという現実を嫌というほど示してくれた。

    『最新版 図解 知識ゼロからの現代農業入門』 - 紙屋研究所
    agrisearch
    agrisearch 2023/11/03
    農業書の紹介、ありがとうございます。
  • 藤原辰史『トラクターの世界史 人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち』 - 紙屋研究所

    あえて言おう。 トラクターになんの興味もない。 なんの興味もない男が、トラクターで思い浮かべたことは2つあった。 狭い耕地で活躍した歩行型トラクター=耕耘機のこと 一つは、愛知のぼくの実家は農家であり、家の車庫には長い間、歩行型トラクターがあったということ。 いや……実家では「耕耘機(こううんき)」と呼ばれていた。 もうなくなって久しいが、記憶を頼りに画像検索してみたら、これが一番近いな。おそらくこれ。 「クボタ耕うん機KR80」。 これはトラクターなのだろうか? トラクターである。 今回感想を書く藤原辰史『トラクターの世界史』(中公新書)では、はじめにややくどくどと(しかしそのくどさが実は重要であるのだが)トラクターの定義*1が載っており、家にあった「耕耘機」はまさにトラクターなのである。そして、書の後半に歩行型トラクターはくわしく日での開発の歴史が紹介されている。 トラクターで画像

    藤原辰史『トラクターの世界史 人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち』 - 紙屋研究所
  • 議事録に残るヤジのこと - 紙屋研究所

    都議会のヤジが問題になっている。 東京にいたころ、国会や都議会を傍聴した。国会のヤジは有名であるが、都議会のヤジもかなりひどかった。自民・公明がひどいという印象があって、共産が質問しているときは、聞き取れないこともしばしばあった。 ところが福岡市に来てびっくりしたのは、市議会でほとんどヤジがないことである。特に自民党・公明党は一言もヤジを発しない。きわめて「紳士・淑女」なのである。 というか、東京は総じて地方議会がヤジに寛容であった。 ぼくが初めてそのことに気づいたのは、議事録を読んでいるときだった。 議事録にほとんど残らない福岡市 実は、ヤジは議事録(会議録)に記録されることがある。 「発言する者あり」「……と呼ぶ者あり」などと記されているのがそれだ。 福岡市議会の場合は、これがほとんどない。 唯一あるのは 「異議なし」と呼ぶ者あり。 というフレーズだけである。 これが検索するといっぱい

    議事録に残るヤジのこと - 紙屋研究所
  • クリストファー・ロイド『137億年の物語 宇宙が始まってから今日までの全歴史』 - 紙屋研究所

    歴史とは論理である 歴史は中学生までは「得意」で「好き」なものであり、そういう意識でずっときていたけど、高校・大学・社会人になってロクに知識の更新をしなければ、「得意」で「好き」なものではなくなる。まあ、「えーっと南北朝時代って鎌倉時代の前だっけ? 後だっけ?」とか言っているつれあいほどではないけど、「歴史オタク」とよばれている人のフリークぶりにはもう足元にも及ばない。はい。 でも、別に細かい歴史知識を詰め込みたいわけじゃないんだよな。 いや、そりゃ、「七槍ってもともと秀吉が家臣を宣伝するために作ったカテゴライズなんだぜ」(cげんしけん)とか言ったら「へえ! 面白いねぇ!」とか思われるし、合コンではモテるし、得意先にはウケて100億円の商談もまとまるし、いいことづくめかもしれないんだけど、つまりまあ「神は細部に宿る」的なアレかもしれないんだけど、細部に宿りすぎて神だらけのような気がしない

    クリストファー・ロイド『137億年の物語 宇宙が始まってから今日までの全歴史』 - 紙屋研究所
  • 適菜収『キリスト教は邪教です! 現代語訳『アンチクリスト』』 - 紙屋研究所

    適菜収によるニーチェ『アンチクリスト』の現代語訳『キリスト教は邪教です!』を読んだ。 ニーチェが言いたいのは、イエス人はまあまだいいとしても、そのあとを受けたパウロが、そのイエスの考えをイエスと似ても似つかぬものにつくりかえてしまい、それが西洋文明を覆い、やがて近代文明のベースにまでなっちゃったってことだ。 それはキリスト教攻撃というよりも、弱者がルサンチマンをためこんで「平等」とか「愛」をふりかざし、力の強い高貴なものを束になって襲いかかっていることを批判している。 つまり民主主義とか社会主義とか革命といった原理を、ふるえあがるほど嫌っているということだ。そういうことがベース。石原慎太郎みたい。 その中身はともかくとして、適菜による「現代語訳」は面白かった。 一節を紹介しよう。こんな調子。 『新約聖書』を読んだ後では、どんなもすがすがしく感じます。 要するに、彼らは正真正銘のバカなの

    適菜収『キリスト教は邪教です! 現代語訳『アンチクリスト』』 - 紙屋研究所
  • ふみふみこ『ぼくらのへんたい』 - 紙屋研究所

    テーマに「性」がどっかりと座る それぞれの思惑と動機で女装をはじめた3人の男子中学生がオフ会を開くところから物語が始まる。 ふみふみこのマンガは、何と言っても絵柄に特徴がある。絵めいていて、絵柄だけ単体でそこにおかれたら、現実の生々しさはすっかり捨象されることになる。山ルンルンとか初期のきづきあきらなんかもそうだった。 ところがである。 扱っているテーマは、正面から性、セクシュアリティなのだ。 そして、このマンガは、性をナイーブに謳歌するたぐいのものではなく、自分に与えられた性に深く苦悶する中身になっている。実は、ふみふみこの商業誌上のマンガはどれもその種のことがテーマになっている。 「日的空間でリアリティを支えるものはセクシュアリティである」という斎藤環の言葉があるように、性にかかわる悶え苦しむ様は、ぼくには深くい込んでしまう。とてもリアルに感じられるのだ。いや、別に、ぼくがトラ

    ふみふみこ『ぼくらのへんたい』 - 紙屋研究所
  • 安斎育郎インタビュー「食品汚染 どう向き合うか」 - 紙屋研究所

    2011年9月9日付朝日新聞に安斎育郎インタビュー。「品汚染 どう向き合うか」。非常によいインタビュー。 基的には、 安斎育郎『増補改訂版 家族で語る卓の放射能汚染』 - 紙屋研究所 で紹介したとおりの話。気にする立場と気にしない立場をお互いに尊重しあい、そのせめぎあいによって規制を考えるべきだというのをオチにしている。 「まずは暫定値の厳守」という立場 安斎この記事のなかで、「基準はもっと厳しくして、低くした方がいい」としつつ、まず現在の暫定規制値を厳守しろ、という立場を表明している。さらに低くせよというのは、国際放射線防護委員会(ICRP)の原則にたって、低線量でもリスクはあるし、できるだけムダな放射線は浴びない方がよい、という考えからだろう。 “国際的な基準がもっと低いから日も低くしろ”というロジックの構成はとっていない。国際的な基準と比較してそこに落ち着けば「それでよし」と

    安斎育郎インタビュー「食品汚染 どう向き合うか」 - 紙屋研究所
  • 安斎育郎『増補改訂版 家族で語る食卓の放射能汚染』 - 紙屋研究所

    学習会でとまどう人びと 福島原発の事故以来、左翼組織の中で、なぜかドシロウトのぼくが原発や放射線被害の問題の学習会のチューターをつとめることがある。もちろん専門家ではないので問題の骨格を知るための入門という位置づけだ。 その学習会の場で、ICRP(国際放射線防護委員会)の見解を紹介し、低線量の放射線であってもガンになる確率はあるものとみなされる、としゃべる。安全基準というものは存在せず、「がまん量」なのだ、という話である。 たとえば共産党の機関紙誌にも放射線問題の専門家としてしばしば登場する野口邦和(日大学専任講師)の見解を紹介する。 暫定規制値はあくまでも事故時の緊急対応措置だということを理解する必要がある。メディアは安全基準などという言い方をしているが、安全基準ではない。被曝線量は低ければ低いほどよいというのが通説だ。暫定規制値は、いわば“がまん基準”であり、放射性核種が大規模に漏れ

    安斎育郎『増補改訂版 家族で語る食卓の放射能汚染』 - 紙屋研究所
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