ジャズミュージシャンになるために高校を中退し、10代からレストランやクラブでピアノを奏で、その才能は瞬く間に音楽業界で注目を集めた。矢野顕子さんが青森で過ごした少女時代の思い出から、プロを目指して働いた夜の世界、そしてデビューまでを振り返る。 ――幼いころの音楽の思い出は? 東京で生まれ、3歳からは医師の父が開業した青森で育ちました。両親とも音楽好き、特に父がハワイの民族音楽や南米のラテンミュージックといった洋楽が好きで、そんなレコードがかかっていましたね。あとはラジオ。NHKのFM放送が始まり、いろんな音楽がラジオから流れてきたことを覚えています。 最初に買ってもらったレコードは、ウィーン少年合唱団のLP。私が欲しいっておねだりしたんだと思います。あのころウィーン少年合唱団って、少女たちのアイドルだったから(笑)。 ――ピアノを始めたのは? 3歳から音楽教室に通い始めました。おそ