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ブックマーク / crow-henmi.hatenadiary.org (10)

  • エンドレスエイトにおけるループ描写の特異性 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    今期の「涼宮ハルヒの憂」においては、原作では1話で済んだ「エンドレスエイト」をループ構造の作品として延々繰り返しているのだが、これはいわゆる「ループもの」の作品とかなり違う文脈で描かれている珍しい例なので、少し論じてみたい。 一般にループものと呼ばれる作品が、実際に同じシークエンスをループすることは余りない。むしろ「ループしている」という状況を、さまざまなベクトルから描きつつ一のシリアルなストーリーラインに落とし込むか、ループという状況によって多数化された物語の上にメタフィクション構造を積み上げ、そのメタ部分をメインラインとして、やはりシリアルなストーリーラインが組まれることが多い。 たとえば、前者の代表的な作品である「うる星やつら2/ビューティフル・ドリーマー」(正確にはその前半部)においては、登場人物たちそれぞれがループの奇妙さに気付き、それを打破しようとしてさらに混乱していくとい

    エンドレスエイトにおけるループ描写の特異性 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
  • キャラクターが結びつける数多の虚構――「うみねこのなく頃に」におけるゲーム的想像力の様態について―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    「うみねこのなく頃に」におけるゲーム的想像力は異様な姿を取っている。通常のゲーム的想像力においては、メタ物語は多数化された物語からビルドアップされる――多数化した物語を読み解いていくことで立ち現れる「個々の物語がなぜそのようにしてあったか」という審級であり、それを克服するための「解」として描かれるのだが、うみねこははなからメタ物語を前面に押し出しており、個々の多数化された物語はメタ物語にサブジェクトする存在に過ぎないはずだった。 これはある意味ラジカルな方法論といえる。ゲーム的想像力というものの質――すなわちメタ物語という階梯を摘出し、前景化しているといえるだろう。しかし一方で、うみねこはメタ物語部分をストレートに物語として展開しているので、ここからメタのベタ化という問題が生まれる。個々の物語の総合からたち現れるのではなく、あらかじめひとつの「物語」として描き出されたメタ物語は、通常の1

    キャラクターが結びつける数多の虚構――「うみねこのなく頃に」におけるゲーム的想像力の様態について―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
  • 2008-02-07 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - 「うみねこのなく頃に」の構造についての推論

    相変わらず低速更新モード。blogに書いたり転載したりするほどまとまった思考がとれない、という部分がある。最近はTwitterの方でも低速更新なので、さらにその傾向が助長されている。まあ、なるようになれ。 再読。 天使 (文春文庫) 作者: 佐藤亜紀出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2005/01/07メディア: 文庫購入: 6人 クリック: 48回この商品を含むブログ (79件) を見る20世紀初頭のウィーン、そして周辺諸国において繰り広げられる長編サイキック伝奇ロマン。人の心を読み、あるいは傷つけ、あるいは木っ端微塵に砕くことすらできる精神作用超能力「感覚」を持ったものたちが、第1次世界大戦の混迷の中、歴史の裏側で超能力バトルを繰り広げる、という、ありていに云うとどんな中二病なのか、というお話なのだが、佐藤亜紀の手に掛かるとこれが恐ろしく優雅で繊細、なおかつ機知としたたかさに富んだ

    2008-02-07 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - 「うみねこのなく頃に」の構造についての推論
  • BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - ガノタの異常な愛情、あるいは、私はいかにして心配するのをやめカレンの乳揺れを愛するようになったか(きんもーっ☆)

    「断章のグリム」について、るりあ先生が書いていたこと(http://d.hatena.ne.jp/rulia046/20070112/p5)とかをつらつら考えていたり。 >ある程度の感性を備えた人間(そして主人公はその類型に当てはまります) とか。どうだろうか。あやしい、気がする。 むしろ。その類型を演じている、感性のなにがしかの部分に欠損と過剰のある人物として、でもそれを殊更説明的には強調せずに描いてる、気がすんだけど。 や。「名探偵」ってそーいうもんだし。 >強がって「見捨てることが出来る」とかいっても、それに伴う孤独と悔恨は必ず付きまとうものであって、それが蓄積していくと破断界を迎える。 強がって、というか、そのような破綻が基底にあって規定されてる人物造形なのであって。生き方、としてのスタイルが完成してるとも「終わってる」とも言える。 強がってる、と素直に描かれてるのはむしろゴスロリ

    BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - ガノタの異常な愛情、あるいは、私はいかにして心配するのをやめカレンの乳揺れを愛するようになったか(きんもーっ☆)
    ak9
    ak9 2007/01/21
  • 2007-01-17

    不調。かなりおなかいたい。医者に行って胃薬を増やしてもらったけど、まずは生活を根から改めないとダメだろうなあ。あと、煙草。ここのところ1日30〜40吸っているので節制しないと。 先日発掘したNikomat ELの取扱方法が今ひとつわからないので、webでいろいろ検索するものの、Nikon EL2やNikomat FTNのは見つかっても肝心のELのが見つかりません。使いこなせるかどうか微妙に疑問。PEN-EEにはこんな面倒はないのですが。 と、まあ、いろいろ小さな面倒と不安を抱えつつも、懸案のひとつを解決したので微妙に心安らか。静かな夜万歳。 百姓から見た戦国大名 (ちくま新書) 作者: 黒田基樹出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2006/09/01メディア: 新書購入: 10人 クリック: 54回この商品を含むブログ (53件) を見る戦国時代における大名という存在を、農村共同体

    2007-01-17
  • 2006-10-06

    不調。天気が悪い。 ユメミルクスリMADのURLをあげた途端にトラバが飛んできたので、かみしろさまの対ロミオアンテナはとても高いんだなあと、少し感心しました。アンテナの高さはトモダチの塔くらいですか?(マテ ロミオといえば「神樹の館」をいい加減プレイしなければな、と思いつつなかなか手が出ない昨今。どうしたものか。 結局、simulaさまに勧められたので始めました。佳品の印象。双子シナリオ一応クリア。 メモ 館物シェアードワールドのためのネタをなんとなく考えていたり。 無限回廊とそこに並ぶ無数の部屋で構成される小宇宙としての「館」。全体にゴシック様式であるが、場所によってそのたたずまいは変わっていく。館は回廊と部屋と中庭の無数の連なりとして認識される。 「館」の主人はあちこちに肖像画などが飾られていてどのような姿であるかは知られているが、その名や姿を見たものはいない。一部では礼拝の対象になっ

    2006-10-06
  • BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - ひぐらしとは何であったのか(試論)

    ちょっと不調。ちょろっと宇和島行ってきます。明日には帰るので平常更新継続ですよー。 うーん。人間機械論を語るカルテジアンのオートマタ職人とか出したいなあ。押井的な饒舌な語りで>現代学園異能企画。全体に境界的なテーマやモチーフを塗り重ねることで思春期の不安や世界への懐疑を演出していきたい。その上でプレイヤー諸氏にそれなりの答えを出してもらう、みたいな。 ちょっと書き残していたことがあったので試論の続きです。 http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20060919/p1において「ひぐらしのなく頃に」をギャルゲー的文脈から弁護する、という論考がなされていまして、この結論についてはほぼ同感なのですが、ではいったいひぐらしとはいかなるギャルゲーであったのか、そのテーマ性について考えると、ああこれは「教養小説」あるいは「青春小説」のジャンルの、まさに王道であるのではないか

    BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - ひぐらしとは何であったのか(試論)
  • 2006-09-12

    ほどほどに涼しかったので今日は快適。久々にそこそこ快調です。 近々、畏友みなせ丼の帰郷を祝って宇和島に遠征する予定です。久しぶりの再開が待ち遠しいところです。 ひぐらし関連のエントリですが、作者とプレイヤーとの間主体的コミュニケーションの齟齬、という点についてはあちこちで語られていますので、テキストと読者という関係性の中に作者が介入することによっていかなる状況が発生したのか、についてのエントリを書いてみようかなどと思っていますが、それはいずれ機会があれば、ということで。今回は以前のエントリの補論の試論を書いてみます。 今日のURL http://comicryu.com/soukan.html ええと。COMICリュウが復刊されるわけですが。なんですかこの無駄に豪華なラインナップは。鶴田謙二作画による「エマノン」のマンガ化とか、吾ひでお「不条理日記」の続編開始とか、京極夏彦「ルー=ガルー

    2006-09-12
  • 2006-09-10

    不調。不眠症気味。3度も寝て3度も夢を見ました。死んだような熟睡こそぼくの求めるものなのに。 いい加減くどくて衒学的に過ぎる自分の文章が鼻に付くようになって来ましたが、骨の髄まで染み込んでいるのでそう簡単に変えられません。多分これからもこの調子でしょう。イージーカムイージーゴー。水は低きに流れる。 それはそうとして。 伝奇病患者というのは一般人の常識がありえないと判断するものを「だがそれがいい」と肯定してしまう価値の顛倒を起こしてしまっている人間たちで、はっきりいってたちが悪いです。たとえばぼくの場合、某氏とのコメントのやり取りの途中、荒山徹「魔風海峡」に登場する巨大大仏ロボ「大武仏」について「「こりゃダメだ」と思いました」というコメントを得たのですが、それに対して「いや、そこで「仏が人を殺すなんて」と答えるのが真の荒山ファンでしょう?」というような感想を抱き、その後でようやく「確かにダメ

    2006-09-10
  • BLUE ON BLUE(XPD SIDE) :: ストレンジ・リアリティ

    id:cogni氏がトラウマの話をしていらしたので、そこからふと連想したことなのですが、ラノベとかエロゲの場合、トラウマを中心としたキャラクター造型や物語構造とは別に、ストレンジ・リアリティ――つまりは「世界とずれた感覚」が物語駆動力やキャラクターの造型の重要な要素として一部の作品では採用されてきたし、それは「雫」辺りからエロゲのひとつの流れとして一定の存在感を維持してるなあ、とか思うのです。ラノベだとブギーポップあたりから、でしょうか。 ちょっと補足すると、ストレンジ・リアリティというのは、キャラクターと世界との対自的関係の「ずれ」や「ぶれ」などの齟齬ゆえに、キャラクターや作品世界が保有することになった、歪んだリアリティを表します(俺脳内語)。例えば象徴界の衰微・喪失による「セカイ系」なんかはそうした部類に入る。みたいな感じで考えてます。 ちなみにこれはトラウマ云々とは競合するものでなく

    BLUE ON BLUE(XPD SIDE) :: ストレンジ・リアリティ
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