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ブックマーク / vergil.hateblo.jp (21)

  • 米倉斉加年さんとモランボンの「ジャン」 - 読む・考える・書く

    名優、米倉斉加年(よねくら・まさかね)さんが亡くなられた。 米倉さんといえば、「モランボンのジャン」のCMを抜きには語れないと思うのだが、主要メディアの訃報でこれを取り上げたものがあっただろうか? Web上では、かろうじて次の二つが見つかっただけだ。 スポーツ報知(8/28): ◆米倉 斉加年(よねくら・まさかね)1934年7月10日、福岡県生まれ。西南学院大在学中に演劇に目覚め、57年に中退。劇団民藝に入団する。60年に常田富士男らと劇団青年劇場を結成して一時は退団も、65年に民藝に復帰。以降、2000年に退団するまで劇団の中心人物の1人として活動しながら映画テレビなどにも出演。品メーカー「モランボン」の焼き肉のたれ「ジャン」のCMも話題となった。絵作家としても知られ、83年の「おとなになれなかった弟たちに…」は中学1年の国語の教科書に採用された。 zakzak(夕刊フジ)(8/2

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  • 中国で「海外旅行みたいな」楽しい戦争をしてきたという兵たちの実態 - 読む・考える・書く

    小林よしのりは『戦争論』の中で1回だけ、自分で戦争体験者の親戚から聞き取ったという話を書いている。 この親戚氏は、戦争はまるで海外旅行のようだったと言い、多少の戦闘は経験したものの、あとは中国で美味いものばかりっていたと、楽しげに語っている。[1] 「終戦前は 朝はブタ汁 晩はブタの煮付け 野菜の煮付けとか べとった」 「糧は豊富にあった」 「さとうきび畑に入って ナマのさとうきびべたらうまかった」 「ほし柿も よくべとった」 …とい物の話ばっかりする (略) 「米をたくさん炊きすぎて 余ったのをおにぎりにして中国人にやると かわりにマントウをくれる」 「なしを5~6個くれることもある」 (略) 終戦後7カ月過ぎて 4月1日に長崎に着き 家に帰って来た時… 背中に上等の毛布をいっぱいしょって なんと丸々太って帰ってきたので 奥さんがびっくりしたらしい まるで中国の人々となごやか

    中国で「海外旅行みたいな」楽しい戦争をしてきたという兵たちの実態 - 読む・考える・書く
  • 歴史学者を唸らせた素人 - 読む・考える・書く

    東中野修道の史料批判が立派? 自分はこんなに専門家の書籍や歴史資料を読んでいるし、厳密な史料批判のもとでマンガを描いているのだと小林よしのりは自慢する(BLOGOS 10/24)。確かに、歴史歴史学者だけの専有物ではないし、史料批判で専門家の鼻を明かす素人がいてもおかしくはない。 ただし、小林よしのりにそれができるかと言えば、こんなことを書いていることからしてまあ無理だろう。[1] わしが今のところ東中野修道氏の『南京虐殺の徹底検証』を最も支持する理由は、何も個人的心証を元にしているわけではない。あくまでもこの歴史学的な見地における「史料批判」の文脈からなのである。(略) 東中野はこの著書『「南京虐殺」の徹底検証』で、一家九人のうち自分と妹一人を除く七人を惨殺された(自らも銃剣で刺され負傷した)夏淑琴さんを「ニセ被害者」呼ばわりしたあげく、名誉毀損で告訴され敗訴している。(2009年2月

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  • Dappiの闇は深い - 読む・考える・書く

    Dappiとは Dappiは内調と関係している? ついにDappiは「法人」であることが判明 マスコミがこれを追求しないのは「同類」だからか? Dappiとは 知らない人もいるかもしれないので一応説明しておくと、Dappi(@Dappi2019)というのは、自公政権を一方的に擁護し、左派・リベラルを攻撃するデマばかり流している、Twitterの「大物ネトウヨ」アカウントである。 Dappiが流してきたデマは数知れないが、いくつかピックアップしてみるとこんな感じだ。 とんでもないデマ 女性国際戦犯法廷は、裕仁有罪の判決を下したが、「死刑」なんて一言も言ってない。そもそもそういう法廷ではない。 あと、拍手は起こったが万歳なんてしてない。 拍手したからよく覚えてるよ。 大多数が日人じゃない、も嘘。 https://t.co/GmldLyFgWy — おわてんねっと(凍結) (@zzOMecpI

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  • 現在の「技能実習生」の扱い方を見れば、かつての「徴用工」や「慰安婦」の実態も容易に想像できる - 読む・考える・書く

    で働く外国人技能実習生の悲惨な実態が次々に明らかになっている。 ある寺院には、2012年以降に死亡したベトナム人の若者たちの位牌だけで81柱が並んでいる。 www.asahi.com 東京都港区にある寺院「日新窟」。棚の上に、ベトナム語で書かれた真新しい位牌がぎっしりと並ぶ。2012年から今年7月末分までのもので81柱。この寺の尼僧ティック・タム・チーさん(40)によると、その多くが、20、30代の技能実習生や留学生のものだ。今年7月には4人の若者が死亡。3人が実習生、1人は留学生で、突然死や自殺などだった。 7月15日に自殺した25歳の技能実習生の男性は、会社や日に住む弟、ベトナムの家族に遺書を残していた。塗装関係の仕事をしていたが、「暴力やいじめがあってつらい」とつづられていた。「寂しい。1人でビールを飲んでいる」と弟に電話があった翌日、川辺で首をつっているのが見つかった。 もち

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  • 民間人が私有地内に置いただけの「土下座像」に何の問題があるのか - 読む・考える・書く

    韓国内のとある植物園に置かれている「土下座像」について、菅官房長官が会見でブチ切れて見せていた。 【「土下座像」に菅官房長官が不快感】 韓国にある民営の植物園が、慰安婦問題を象徴する少女像にひざまづいて謝罪する安倍首相を模した像を設置していることについて、菅官房長官は「国際儀礼上、許されない」などと強い不快感を示しました。 pic.twitter.com/VeL9wiReyU — 日テレNEWS / 日テレビのニュース・速報 (@news24ntv) July 28, 2020 菅はさらに、この件が「日韓関係に決定的な影響を与えることになる」とまで言っている。 だが、この像は韓国の一民間人が自分の運営する植物園の中に置いたものに過ぎず、韓国政府も自治体も一切関与していない。像が失礼だとか下品だという批判はあるとしても、表現の自由の範囲内だろう。 だいたい、一民間人が私有地内に置いただけの

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  • 憲兵までゆるふわ化してしまった『この世界の片隅に』 - 読む・考える・書く

    『この世界の片隅に』で太極旗シーン以上に問題なのが、憲兵が出てくるエピソードだ。この話は以前にも一度取り上げているので内容が一部重複するが、改めて問題点を整理してみることにする。なお、このエピソードに関しては原作マンガとアニメ版に大きな違いはない。 『この世界の片隅に』で「憲兵」はどのように描かれたか このエピソードでは、呉の軍港に浮かぶ軍艦をスケッチしていたすずを間諜(スパイ)容疑者として捕まえた憲兵が、すずを連れて北條家に怒鳴り込んでくる。[1] 家族たちは玄関先で怒鳴り散らす憲兵の説教を神妙に聞いていたのだが、憲兵がいなくなると、次のシーンでは、よりによってすずなどをスパイ扱いした憲兵をバカにして爆笑する。[2] 現実にはあり得ない憲兵描写 しかし、こんなことは当時の現実としてはあり得ない。 まず、憲兵がスパイ容疑者を捕まえたら憲兵隊詰め所に連行して尋問するはずで、容疑者の自宅に引っ

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  • 津田梅子の朝鮮人差別を「事実を指摘しただけだから差別じゃない」と言う人々 - 読む・考える・書く

    津田梅子が鵜呑みにした父親の話 外国人が描いた日の農村の「事実」 粗末な宿と粗野な現地人 不潔で苦難に満ちた山村生活 奴隷同然の「嫁」 「ぞっとするほどひどい」日 「事実」の記載と差別の違い 津田梅子が鵜呑みにした父親の話 こちらの記事で、新五千円札の顔になる予定の津田梅子(津田塾大学創設者)が、父親から聞いた話を鵜呑みにして朝鮮人への差別意識にまみれた手紙を書いていたことを指摘した。 1883年に書かれた問題の手紙の内容は以下のようなものだ。[1] 父が帰ってきました。二、三日前に、思ったより早く着いたのです。朝鮮についてとても興味深くおもしろい話をしてくれました。いくつかの点では、動物の方がこのような汚い朝鮮人よりましだと思いますし、あるところには当に野蛮な人びとがいるのです。彼らの衣服や料はとてもよいのですが、粗末に不潔につくられているのです。家は掘っ立て小屋のようだし、

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  • 中曽根康弘が(ようやく)死んだ - 読む・考える・書く

    中曽根の葬儀こそ「民営化」すべき 中曽根、インドネシアに「慰安所」を開設 問題が大きくなると慰安所での性行為強制を否定 罪を認めないまま死んだ卑怯者 10月29日、中曽根康弘が死んだ。101歳だったという。 中曽根の葬儀こそ「民営化」すべき この中曽根もそうだし、岸信介(1987年、90歳没)や奥野誠亮(2016年、103歳没)もそうだが、社会に悪をなすロクでもない政治屋ほどしぶとく長生きして天寿を全うするパターンが多くて嫌になる。 ついに死んだか。こいつのせいでどんだけの人が酷い目にあったか。こいつに関しては、唾棄すること鞭打つことに一切躊躇は要らないと思うよ。 中曽根元首相が死去 101歳 https://t.co/CInnZMRWPu — らっぱ (@orandger) November 29, 2019 死者に鞭打つのは礼儀に反するとはいうものの、中曽根康弘は功罪のうち功はなく罪の

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  • 加害者証言抑止装置としての「戦友会」 - 読む・考える・書く

    都城23連隊兵士の陣中日記をめぐる騒動 先日、南京戦当時のカメラの値段について書いたが、話の発端となった朝日新聞の記事は、南京戦に従軍したある兵士が書いた陣中日記を紹介したものだ。 朝日新聞(1984年8月5日): 南京虐殺、現場の心情 宮崎で発見 元従軍兵士の日記 日中戦争中の昭和十二年暮れ、南京を占領した日軍が、多数の中国人を殺害した「南京大虐殺」に関連して四日、宮崎県東臼杵郡北郷村の農家から、南京に入城した都城二十三連隊の元上等兵(当時二三)の、虐殺に直接携わり、苦しむ心情をつづった日記と惨殺された中国人とみられる男性や女性の生首が転がっているシーンなどの写真三枚が見つかった。 (略) この日記は、縦十九センチ、横十三センチで約四百ページ。昭和十二年の博文館発行の当用日記が使われ、元日から大みそかまで毎日、詳細に記録されている。(略) だが、十五日には「今日、逃げ場を失ったチャンコ

    加害者証言抑止装置としての「戦友会」 - 読む・考える・書く
  • 沖縄独立はもはや絵空事ではない - 読む・考える・書く

    東京新聞(12月3日朝刊)の「私説 論説室から」に、「沖縄独立論をあざけるな」と題した、白鳥龍也編集委員の署名記事が載っていた。 沖縄独立論をあざけるな 九月の沖縄県知事選で辺野古新基地反対の民意を重ねて示すも、建設を強行する国。沖縄の苦難解消の糸口は一向に見えない。 そんな「構造的差別」の打破には「沖縄のことは沖縄で決める」との自己決定権の確立と行使しかない。そう考える県民が増えている。近年は「独立」も真剣に議論される。 二〇一三年に設立された県民有志の「琉球民族独立総合研究学会」によると、県民投票で支持を得て県議会の議決後に知事が独立を宣言、国連が認めれば独立は可能という。 その暁には非武装中立を「国是」に米軍、自衛隊の全基地を撤去。国際機関誘致や中継貿易を軸にアジアの懸け橋として発展を遂げることを構想する。一定の説得力はあろう。土側からは「中国に乗っ取られるだけ」とあざける声が聞こ

  • 朝鮮人虐殺:褒美を求めた加害者、冗談と笑いが飛び交う法廷、町村ぐるみの減刑運動 - 読む・考える・書く

    朝鮮人殺しには甘く、警察への反抗には厳しかった検挙方針 「ご褒美」を求めて警察に出頭した加害者たち 冗談と笑いが飛び交う法廷 町村ぐるみの減刑運動、そして恩赦 朝鮮人殺しには甘く、警察への反抗には厳しかった検挙方針 震災からある程度の時間が経過し、朝鮮人による暴動というのが根も葉もない流言に過ぎなかったことが明白になると、何の罪もない朝鮮人たちを官民一体となって虐殺しまくったという事実に向き合わざるを得なくなる。こうした不都合な現実に直面したとき日政府がやることは昔も今も変わらない。事実の歪曲と隠蔽である。 これだけの虐殺事件が起きた以上、法治国家のふりをするには加害者を裁判にかけて処罰せざるを得ない。しかし、やり過ぎると、官憲自身が流言を流して民衆を扇動したことや、軍隊や警察が自ら虐殺に手を染めたことを暴露されて政府が窮地に陥る結果にもなりかねない。 そこで、臨時震災救護事務局警備部司

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  • 朝鮮人虐殺:親の目の前に子供たちを並べて首を切った「本庄事件」 - 読む・考える・書く

    藤岡事件よりさらに凄惨な虐殺事件がいくつも起きていた 「町送り」が引き起こした埼玉県内の朝鮮人虐殺事件 最初の集団虐殺「熊谷事件」 「町送り」で生き残った人々が皆殺しにされた神保原事件事件 藤岡事件よりさらに凄惨な虐殺事件がいくつも起きていた 先日、ブログで、虐殺被害者の遺族が95年目にして初めて慰霊祭に参加した「藤岡事件」を取り上げた。 今の群馬県藤岡市で起きたこの事件は、現地に居住していた朝鮮人17名が、警察署内に保護されていたにもかかわらず、暴徒と化した周辺住民に引きずり出されて殺されたという悲惨な事件だ。 しかし、隣の埼玉県では、もっと凄惨な事件がいくつも起こっている。その一つが「事件」である。 事件は、藤岡事件の前日4日に、隣接する今の庄市で起きた別の事件です。 事件の内容は、藤岡事件よりもっと恐ろしいものでした。 — バージル (@vergil2010) 20

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  • カナダの歴史教育がうらやましくて仕方がない - 読む・考える・書く

    先日、spark(@Yonge_Highway7)さんがツイッターで連投されていたカナダの歴史教育の話。 まず「歴史とは何か」「歴史はなぜ重要か」から始まる。私が何回かツイートした「歴史は現在の我々がどのようにして形作られたか、我々は未来にどこに向かうのか教えてくれる」という言葉が書いてある。トロントの昔の写真と現在の写真を重ねて、過去と現在の連続性を象徴的に見せる。 pic.twitter.com/8madsVowMf — spark (@Yonge_Highway7) 2018年9月8日 「なぜ歴史を勉強するのか」 歴史の教訓が我々をどう導くか、情報に基づいた判断をしてより良い社会を作るためである。 具体的にカナダは過去に15万人の原住民の子供たちを家族やコミュニティから引き離し、虐待や病気などに晒したことを例に出している。 pic.twitter.com/ycQbDxqTUr — s

  • 警察署に保護された朝鮮人を「普通の日本人」たちが引きずり出して叩き殺した「藤岡事件」 - 読む・考える・書く

    事件から95年目にして初めて被害者遺族が慰霊祭に参加 千名以上の暴徒が警察署から朝鮮人を引きずり出して叩き殺した「藤岡事件」 朝鮮人の虐殺より官憲への反抗を重く見た日の司法 事件から95年目にして初めて被害者遺族が慰霊祭に参加 先日、関東大震災時の「藤岡事件」で虐殺された被害者の遺族2名が来日し、事件から95年目にして初めて、現地での慰霊祭に参加したという報道があった。 毎日新聞(9/7)[1]: 関東大震災(1923年9月1日)で虐殺された朝鮮人の遺族2人が来日し、東京都内で7日、記者会見した。韓国で昨年8月に遺族会が結成されてからメンバーの訪日は初めて。「埋もれている事実は多い。遺族にとっても過去について改めて知るのはつらいが、真実は明らかにされるべきだ」と訴えた。 来日したのは、祖父を殺害された権在益(クォン・ジェイク)さん(61)と、祖父の兄が犠牲になった曹光煥(ソ・ガンファン)

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  • 内田樹氏が「天皇主義者」となった理由を聞いて、天皇制を許してはならないという確信がさらに強くなった。 - 読む・考える・書く

    自ら「天皇主義者」であると宣言した思想家・内田樹氏が、キリスト教系の月刊誌『福音と世界』で、そのように宣言した意図についてインタビューを受けている。(以下、内田氏のブログに転載されたもの[1]から引用する。) 「天皇主義者」と自称してはいても、氏はもちろん戦前のような天皇絶対の国家体制を支持しているわけではない。そうではなくて、氏は、所詮天皇制は政治的フィクションであることを認めた上で、戦後日の象徴天皇制は「統治システム」として非常によく機能しており、これを現代日社会を「より暮らしやすいものにしていく」ためのリソースとして活用していくべきだと提言しているのだ。 「焦点が二つある」統治システムが「土建国家」ニッポンを作った 天皇による「鎮魂」と「慰藉」は政治責任逃れのトリック 天皇は徹底的に「記号化」されるべき 逆立ちした議論になるのは統治者目線に立っているから 「焦点が二つある」統治シ

    内田樹氏が「天皇主義者」となった理由を聞いて、天皇制を許してはならないという確信がさらに強くなった。 - 読む・考える・書く
  • 天皇裕仁のワースト・オブ・クソ「思し召し」大会 - 読む・考える・書く

    特攻隊は「よくやった」(1944年10月)→特攻作戦続行・拡大 戦争終結は「もう一度戦果を挙げてから」(1945年2月)→東京大空襲、全国焦土化、沖縄戦 「海軍にはもう艦はないのか?」(1945年4月)→大和特攻、2時間で4千人戦死 沖縄をアメリカに売った「天皇メッセージ」(1947年9月) 戦争責任は「言葉のアヤ」、原爆投下は「やむを得ない」(1975年10月) こちらの記事へのコメントで要望を頂いた件、面白そうなのでやってみた。 昭和天皇裕仁のクソな「思し召し」と言えば、すぐ思い当たるのはつぎのようなものだろう。 特攻隊は「よくやった」(1944年10月)→特攻作戦続行・拡大 海軍特攻隊の生みの親と言われる大西瀧治郎は、必ずしも特攻作戦に積極的ではなく、これを「統率の外道」と呼び、こんなことまでしなければ戦えない状況になっていると知れば、天皇が戦争を止めてくれるだろうと期待していたと言

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  • 南北首脳会談 ― 歴史が動いた一日 - 読む・考える・書く

    今日一日の、南北首脳会談をめぐる動きは当にすごかった。60年以上にわたって終結させることのできなかった朝鮮戦争が、地球上に最後に残った東西冷戦が、とうとう終わるかもしれないのだ。まさに、歴史が動く瞬間を目撃した一日となった。 北朝鮮の指導者が軍事境界線を越えて、韓国大統領と握手するって凄い光景だよね。 朝鮮戦争が終結に向かい、朝鮮半島の平和化がなされる。 まさに「その時歴史が動いた!」って感じ。pic.twitter.com/2NERBRatZy — 大神@肉球新党 (@T_oogami) 2018年4月27日 限界ギリギリの北朝鮮を暴発させず、米中を巻き込み、ここまでこぎつけた文大統領、当に凄い。 『手をつないで軍事境界線を越えた南北首脳。カメラが捉えた2人の表情』 https://t.co/i7uPv2HWda — きづのぶお (@jucnag) 2018年4月27日 南北両首脳が

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  • 食人鬼とトロッコ問題と権力勾配 - 読む・考える・書く

    人鬼と少女のお話 先日、twitterで「人鬼と少女のお話」という創作マンガが話題になっていた。作者(女子高校生だという)のアカウントは非公開になってしまったのでもう見れないのだが、うろ覚えの記憶によると、だいたいこんなお話だった。 飢えて死にかけた孤児の少女に、一人の男が声をかけてくる。男は、自分たち一家は人間しかべられない人鬼で、育ててあげる代わりに、将来君をべさせて欲しいと言う。少女はその提案を受け入れる。 人鬼一家は、約束どおり少女に暖かい事やきれいな服を与え、家族同様に愛情をこめて育てる。 やがて成長した少女は、育ててくれた人鬼一家に感謝の言葉を残し、自ら安楽死の薬を飲んで自殺する。人鬼たちは泣きながら彼女の遺体をべる。 その後、この一家が人鬼であることが世間にばれてしまい、激昂した群衆に襲われて彼らは殺される。 最後に、「しかし人々は知らないのです 彼

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  • 独裁を完成させたら終わりだということを理解しない人たち - 読む・考える・書く

    憲法違反の秘密保護法、戦争法、共謀罪法をすべて強行採決で押し通し、さらに憲法改悪・緊急事態条項による独裁の完成へと暴走する極右安倍自民党政権。まさにこの国の未来を破滅へと導く国家的危機と言うべきなのだが、この事態に警鐘を鳴らす人々を訳知り顔で嘲笑する者たちがいる。 下のツイートなど、その典型だろう。 仕事でホテル暮らしが続いているのだが、昨日、ロビーで「安倍は独裁者」と騒いでいるおばちゃんたちがいた。サダム・フセイン時代のイラクを訪れたことがある私としては『当の独裁国ではそんなこと言えませんよ』と思う。安倍政権に自由を担保されている人たちが、安倍政権を独裁呼ばわりする喜劇。 — 早坂隆 (@dig_nonfiction) 2017年6月27日 「安倍政権に自由を担保されている」? この人にとって、自由とは権力者から恩恵として与えてもらうものなのか? 自由権は基的人権を支える要となる権利

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