業界ライターから見たアミューズメント産業の40年 第1回 MSX誕生前夜 第2回 ゲームもできるコンピューター入門機「MSX」 第3回 ゲームは歴史上第四のコンテンツ
「ファミリーコンピュータ」が発売されてから30年以上、『スペースインベーダー』から数えると、いわゆるコンピュータゲーム市場なるものが産業として産声を上げてから、実に35年以上の月日が経過している。 一時期は、文字通り世界を席巻した日本のゲーム産業。しかし、スマートフォンの台頭や、あらゆる分野がグローバル化の波に飲み込まれるなかで、「日本のゲーム」も、徐々にその影響力を低下させつつあるのは、今さら指摘するまでもない。 大規模化、高度化するゲーム開発環境に、次々と台頭する新興ゲームメーカー。そんな中にあって、日本のゲーム産業の進むべき道、取るべきポジションはどのようなものになっていくのだろうか。 この連載「ゲームの企画書」は、ゲーム史に名を残した名作ゲームのクリエイターの方々に、製作時のエピソードをお聞きして、まとめていく連載企画である。 名作と呼ばれるゲームがどのように作られ、またそこにはど
■物語をどう扱ってきたのか テレビゲームやアイドルについてのライター業のかたわら、開発者インタビューや広告、レビューなどの史料を集めて個別のゲームを分析、ここ30年のゲーム史を体系づけた。 1980年代は、多くの子どもたちがファミコンを持ち、ゲームは社会の共通認識になりうる文化だった。でも今はゲーム機やソフトの売り上げは振るわない。一方で、社会をゲームのように考えてみる「ゲーミフィケーション」など「ゲーム的なもの」の存在感は増している。 「昔と今はやりのソーシャルゲームなどとが同じものにも見えず、ひとつなぎにしてどんな流れがあったのかを探るのは価値がある。みんな知りたいのではと思ったんですよ」 例えば85年の「スーパーマリオブラザーズ」はアクションゲームとして売られたわけではなく、物語性が強調されていた。2000年の「高機動幻想ガンパレード・マーチ」は、ネットワークゲームを模していて、「世
# 1993/??/?? バーチャファイター / SEGA / Model1/SS/32X 当時の最先端技術を結集して生まれたSEGA Model1システムに搭載されたのは、固定機能のフラットシェーダのみであり、テクスチャマッピングは使用できなかった。 - 1994/11/?? バーチャファイター2 / SEGA / Model2/SS Model1の後継基板であるModel2ではバーチャファイター2が開発され、そのビジュアル的インパクトから、普段およそビデオゲームなどやらない人間まで巻き込み、スト2を越える格闘ゲーム史上最大規模のヒットを記録した。Model2には依然として固定機能のフラットシェーダしか搭載されていなかったが、「デカールではなく階調のみ」という特殊な仕様ながらテクスチャマッピングが使用可能となっており、品質の向上に大きく貢献した。 - 1994/12/?? 鉄拳 / ナム
みなさん、こんにちは。任天堂の岩田です。 1985年9月13日、ファミリーコンピュータ向けに 初代の『スーパーマリオブラザーズ』が発売されてから、 今日でちょうど25周年となりました。 世界中のお客様のご支持のおかげで、 最初のスーパーマリオ発売から25年が経過した今も、 マリオは今日もたくさんのゲーム画面の中で、 元気いっぱいジャンプを続けています。 四半世紀に渡り、世界中のお客様にご愛顧いただき、 本当にありがとうございます。 任天堂では、「スーパーマリオ25周年」を記念して キャンペーンをさせていただくことにしましたが、 これと並行して、 スーパーマリオの歴史にちなんだ「社長が訊く」を 数回に分けて順次公開させていただく予定です。 当然のことながら、最初に、 スーパーマリオの生みの親である宮本との話を みなさんにお届けしようと考えましたが、 これまでの「社長が訊く」において、 宮本は
ブログ パスワード認証 閲覧するには管理人が設定した パスワードの入力が必要です。 管理人からのメッセージ 閲覧パスワード Copyright © since 1999 FC2 inc. All Rights Reserved.
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く