各アルバムで格付けしている★の数はあくまでも感覚的なものです。また、各ミュージシャンのアルバムの中で評価の差をわかりやすくすることを心がけた結果、例えば偉大なマイルス・デイヴィスの★4つと、ドナルド・バードの★4つは同じ価値とは言えない格付けとなりました(同じ★の数ならマイルスのアルバムの方が価値が上)。個人の好き度合いを見える化した参考情報として読んでいただければと思います。
各アルバムで格付けしている★の数はあくまでも感覚的なものです。また、各ミュージシャンのアルバムの中で評価の差をわかりやすくすることを心がけた結果、例えば偉大なマイルス・デイヴィスの★4つと、ドナルド・バードの★4つは同じ価値とは言えない格付けとなりました(同じ★の数ならマイルスのアルバムの方が価値が上)。個人の好き度合いを見える化した参考情報として読んでいただければと思います。
[Recording Date] 1954/2/11 Vol.1 [1] Announcement by Pee Wee Marquette [2] Split Kick [3] Once In A While [4] Quicksilver [5] A Night In Tunisia [6] Mayreh [7] Wee-Dot (alt take) [8] Blues (bonus track) Vol.2 [1] Wee-Dot [2] If I Had You [3] Quicksilver [4] Now's The Time [5] Confirmation [6] The Way You Look Tonight (bonus track) [7] Lou's Blues (bonus track) Clifford Brown (tp) Lou Donaldson (as
『ファイト・クラブ』DVD発売記念 『ファイト・クラブ』 完全解読 21世紀に残すべき映画。この作品の の凄さにまだ気付かない君は 今すぐこれを読もう。あまりにも巧妙に作られた映画、そしてそこに隠された重厚なテーマは、わかりずらい。 『ファイト・クラブ』のDVD発売を期に、『ファイト・クラブ』の完全解読を試みた。 『ファイト・クラブ』のエドワード・ノートン演じる主人公の名前は、何か? もし、この問いに即答できるなら、あなたの『ファイト・クラブ』に対する理解は、非常に高いといえるだろう。 しかし、「ジャック」と答えた人は誤りである。いくつかの映画のホーム・ページを調べたが、主人公の名前はジャックと紹介されていた。また、DVDブレミアム・エディションにおけるエドワード・ノートンとブラット・ピットの解説バージョンでも、主人公の名前はジャックと呼ばれている。しかし、主人公の名前はジャックではない。
■八〇年代の口語短歌 荻原 今回は「口語短歌の現在、未来」という、やや語りにくいテーマです。前月号で篠弘さん、馬場あき子さん、大島史洋さんが「短歌にとって定型の生かし方」という鼎談をされていまして、そこでは現代の口語短歌についてなかなか厳しい意見が出ていました。とくに前月の鼎談の内容を受けて話すというかたちはとりませんが、現在の口語短歌について、昭和三十年代生まれのわれわれの意見を重ねてみて、何か新しいビジョンを見出す糸口を模索するつもりで話を進めたいと思います。 ご存じのように穂村弘さんは一九八六年に新人賞(角川短歌賞)の次席となられたときから、口語とりわけ会話体を作品のなかに生かしたことが注目されていました。一九九〇年に第一歌集『シンジケート』をまとめられて、<体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ><「「酔ってるの?あたしが誰かわかってる?」「ブーフーウーのウーじゃな
仏・独・伊・スペイン・ポーランド・イスラエルでベストセラーになっているという宣伝文句に惹かれて、「静かなる旅人」という本を読んでみた。これはフランスの女性画家が中国に留学して絵の勉強をする体験記で、なかなか面白かった。これに味をしめて次に「迷える者の禅修行」という本を読む。こっちは、ドイツの青年が禅の修行をするために日本に留学するという話で、これもドイツ青年自身による体験記なのだ。 この二つを比べると、面白いという点では「静かなる旅人」のほうだったが、考えさせられるという点では「迷える者の禅修行」のほうが勝っていた。ネルケ無方が、歯に衣着せぬ調子で日本仏教の「ダラク」を批判しているからだ。それで、ここではまず、「迷える者の禅修行」のほうから先に取り上げることにする。 著者のネルケ無方は、1968年生まれだというから、当年42歳になる。彼は父祖伝来の知的エリート一家に生まれていて、彼が生まれ
戻る/トップページへ 宮台真司×宮崎哲弥著『ニッポン問題。』の『ヒミズ』に言及した対談に触れながらの雑感 住田はしばしば幻覚を見る。醜悪でグロテスクなモンスターが、 彼を苛むように気を挫くように見詰め、呟く幻覚。僕はドストエフスキー著 『カラマーゾフの兄弟』の次男イワンにつきまとう、あらゆる救いの根拠の 不在を告げ知らせる、ウルトラニヒリズムの木っ端悪魔のように感じた。 そのモンスターを、宮台真司さんはあらゆる希望に「んなわけネエだろ」 を突きつける"不可能性の表象"と仰る。宮崎哲弥さんの解釈では"人間の どうにもならなさ"仏教でいえば"無明(世界の欠落)"の表象であるとのこと。 こうした根源的ともいえる無力感や閉塞感、全ての意味や価値、 あらゆる可能性や喜びを吸い込んでしまう底なしの虚無の暗い穴ぼこについて、 そして最後にその処理について考えてみたい。 住田には父殺しの罪を償い、茶谷恵子
1 自殺した哲学者が、自ら自殺する理由についてについて書き、読者にも自殺を勧めた本がある。 その本の新聞広告には、「晴朗で健全で、そして平常心で決行された自死」とあったので、その「自死という生き方」という本を読んでみたら、全編、中年以降の年配者に自殺を勧める本だった。 著者が自殺を勧めるのは、老化による精神の衰弱と自然死による肉体の苦しみを回避するためなのだ。自然死(普通の老齢による死)については、眠るような死というイメージがあるけれども、実際はそんなものでないと著者は指摘する。 「ベストセラーになり、全米図書賞を受賞した『人間らしい死にかた』(ヌーランド著、河出文庫)という本がある。そこには「自然死」について、特に「病院における自然死」についての事例が大量に収集され、克明に分析されている。専門家としてヌーランドは、『はじめに』の所で『私自身、人が死に行く過程で尊厳を感じた例に出会ったこと
私はフィールドカメラマンです。野外に出て、主に海、川、湖など水辺の人々の暮らしの成り立ちと景観の意味を撮り続けています。振り返れば高校生の時、クラブで天文写真を撮り始めて、もう35年以上もカメラと付き合っています。このページでは堅苦しい芸術論や写真の学術性について述べるつもりではなく、今まで使ってきたカメラやレンズのよもやま話をアマチュアやこれから写真を始める人、技術者や研究者でカメラの知識の必要な人々に写真雑誌とは違う、あくまで使う者の視点で伝えたいと思います。幸い私は写真そのものだけではなく、カメラと云うメカについても関心があり、初めて使う時その都度テストしデータをとっており、役に立つ情報となるかも知れません。と云うのも、ここで対象とするカメラはオートフォーカスカメラ以前のメカニズムを持つもので、多くがもう生産しておらず、もしそのようなカメラを望むなら、中古品か残った僅かなカメラの中か
ことクイーンに関して、初心者はブートレグに手を出さない方が無難。ライヴに関しては音質がまともなモノがほとんどなく、スタジオ録音のアウト・テイクは当然ながら完成度が低いというのがその理由。ここでは比較的音が良いものを選んでみた。この道に足を踏み入れるならまずオフィシャル・アルバムを聴き倒してから。 Recording Date] 1969-1970 [1]-[6] 1970 [7] [8] 1973 [9] [10] 1971 [11]-[15] 1971-72 [16]-[20] 1975 [20] [1] Earth [2] Step On Me [3] April Lady [4] Polar Bear [5] Blag [6] Doing Alright [7] Polar Bear [8] Silver Salmon [9] I Can Hear Music [10] Going
引っ越しのお知らせ 引っ越し先は以下になります。 http://arts.moo.jp/ TIME LINE (旧 アート at ドリアン)
村のホームページ 村の案内 このページは、主として、大学の授業で使う資料(その他)を公開する目的で、上村芳郎という人物が作っている個人のホームページです。 いかなる農協のホームページでもありません。 将来的には、学生以外の皆さんにも楽しんで見てもらえるようなページにする方向で努力したいと思っています。 →村の詳しい案内 →村の案内図(索引) 時候の挨拶 もう一月も終わり。私の正月は年末から持ち越した試験の採点だけで終わったような気がします。 日本の思想、あちこち書いています(「資料集」から入れます)。 (2024/1/8) カフカについて書きました。いちばん大事なことをまだ書いてない気がしますが、 何かの参考になるかもしれないので出しておきます。(→カフカ) (2024/1/25)
石川啄木 略歴 所謂今度の事 日露戦争論(トルストイ) 呼子と口笛 大杉 栄 略歴 僕は精神が好きだ 法律と道徳 社会か監獄か 秩序紊乱 個人的思索 僕らの主義 なぜ進行中の革命を擁護しないのか そんなことはどうだっていい問題じゃないか 国泥棒の見本 唯一者 -- マクス・スティルナー論 -- 意志の教育 -- マクス・スティルナーの教育論 -- 社会的理想論 マルクスとバクーニン --社会主義と無政府主義-- 近代個人主義の諸相 クロポトキン総序 1-3 クロポトキン総序 4-6 クロポトキン総序 7-9 クロポトキン総序 10-12 動物界の相互扶助 --生存競争についての一新説-- 強がり 獄中記 市ヶ谷の巻 獄中記 巣鴨の巻 獄中記 千葉の巻 続獄中記(前) 続獄中記(後) 無政府主義将軍 久津見蕨村 略歴 『社会主義と個人主義』 栗村寛亮・宮地茂平 「日本政府脱管届」
(04/1/30作成) (04/3/6掲載) [「2001年宇宙の旅」とリゲティ] 今回の定期演奏会の曲目「ドン・ファン」は、ニューフィルとしては初めてのR・シュトラウスへの挑戦となります。創立20周年を経て、初めて可能となったこの挑戦、実際に直面してみるとその音符の多さには圧倒されてしまいます。この試練を乗り越えて、私たちは確実に成長していくことになるのでしょう。 R・シュトラウスといえば、「有名さ」という点では「ドン・ファン」をはるかにしのぐ曲があるのは、ご存じのことでしょう。それは、彼の7つの交響詩のうちの5番目の作品、「ツァラトゥストラはこう語った Also sprach Zarathustra」。ただ、実際に聴かれているのは、この、ニーチェの著作をタイトルに持つ深遠な内容の、演奏には30分以上を要する交響詩の全曲ではなく、その、ほんの冒頭の部分のみであることは、注意しておく必要が
中学時代に一番心惹かれていた作家は芥川龍之介だったが、その割に彼の作品を読んでいなかった。というのは、家にある彼の本は戦前の改造社版「現代日本文学全集」中の芥川龍之介集一冊だけだったし、学校の図書室にある青い布表紙の芥川龍之介全集も、その大半が紛失していて、書架にはほんの僅かしか残っていなかったからだ。 その代わり、利用可能な芥川の本は全部読んだ。本当に、隅々まで読んだのである。図書室に残っていた芥川全集の書簡集も、その全部を読み通した。 書簡集を読み進んでいくうちに、身体の不調を友人に訴える手紙が増え、そのなかに「屁をしたら、糞が出た」という一節があった。痛ましいと思った。彼が自殺を選んだのには、極点に達した体調不良という理由もあるに違いないと思った。 あんなに芥川を愛していたのに、旧制中学校を卒業するともう彼の本は、全く読まなくなった。戦後になって、筑摩書房版「芥川龍之介全集」を購入し
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