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ブックマーク / www.webchikuma.jp (56)

  • 〈6〉富野演出の原点|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま

    富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて論の一部を連載します。 今回はシリーズ「出発点としての『鉄腕アトム』」最終回。初演出作で何を描き、そこにはどんな試行錯誤があったのか。演出家・富野氏の原点を探ります。 (バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 前回「〈5〉「アニメにもこれだけのものができるんだ」」はこちら 再編集の経験がもたらしたもの もうひとつ『アトム』における富野の仕事として無視できないものがある。それは「再編集エピソードの制作」である。過去のエピソードのラッシュフィルムを編集し、多少の新作を加えたりしながらも、まったく新しいエピソードを作るというアクロバットのような作業のことである。富野はこのやり方で、第120話「タイム・ハンターの巻」、第138話「長い一日の巻」、第163話「別

    〈6〉富野演出の原点|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま
  • 〈5〉「アニメにもこれだけのものができるんだ」|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま

    富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて論の一部を連載します。 今回はシリーズ「出発点としての『鉄腕アトム』」第2回。初演出作で何を描き、そこにはどんな試行錯誤があったのか。演出家・富野氏の原点を探ります。 (バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 前回「〈4〉演出・脚デビュー作で描いたもの」はこちら 原作エピソード「青騎士の巻」 富野によるオリジナル脚の4作を並べてみると、原作のエピソードをアニメ化した第179話「青騎士の巻 前編」、第180話「青騎士の巻 後編」を富野が手掛けたことが非常に自然な流れとして見えてくる。というのも、オリジナルの4作と「青騎士」は深いところでの共通点が感じられるからだ。富野は「青騎士の巻 前編」で脚・演出、「青騎士の巻 後編」で演出を担当している(後編の

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  • ネガティブな言葉から現代中国の複雑さを理解する、変な中国語の本ができた理由|ちくま新書|楊 駿驍|webちくま(1/3)

    「生活が苦しい(日子很难过)」「ひとりぼっちだ(很孤单)」「もう精神の限界です(我的精神快要崩溃了)」。 楊駿驍さんによるちくま新書『闇の中国語入門』は、心と社会の闇を表現する45の言葉から読み解く、かつてない現代中国文化論です。この異色の中国語読は、どのように生まれたのでしょうか? 同書より「はじめに」と、「挣扎(もがく、あがく)」の項をを公開します。 あるエピソードから始めましょう。 4 年前、大学で中国語を教えることになったのですが、文学や文化論を専門とする私は語学教育に関してほとんど素人でした。そんな私のために、かつての指導教官が段ボール3 箱分の中国語教科書を送ってくれました。カリキュラムを作る参考にしなさいということでした。しかし、ダンボール3 箱分となると、部屋のなかまで運ぶには重すぎるし、場所を取るので、そのまま玄関のところに座って、1 冊ずつ取り出しながら読んでいきまし

    ネガティブな言葉から現代中国の複雑さを理解する、変な中国語の本ができた理由|ちくま新書|楊 駿驍|webちくま(1/3)
  • 〈3〉『機動戦士ガンダム』の衝撃|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま

    富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて論の一部を連載します。 今回はシリーズ「富野由悠季概論」の最終回。富野由悠季監督の経歴を時代背景とともに振り返り、アニメーション監督として果たした役割に迫ります。(バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 「〈2〉「アニメーション監督」の誕生」はこちら 『宇宙戦艦ヤマト』の監督の役割 まずTVシリーズの『宇宙戦艦ヤマト』では、現在行われている「アニメーション監督の職能」を三人が分担して担っていたと考えるとわかりやすい。その三人とは、西﨑義展プロデューサー、監督・設定デザインの松零士、演出の石黒昇である。 どういう作品を作るべきかというビジョンを持ち、スタッフを先導したのは西﨑だったが、西﨑はアニメーションの映像そのものを直接コントロールしていたわけでは

    〈3〉『機動戦士ガンダム』の衝撃|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま
  • 〈2〉「アニメーション監督」の誕生|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま

    富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて論の一部を連載します。 今回はシリーズ「富野由悠季概論」の第2回。富野由悠季監督の経歴を時代背景とともに振り返り、アニメーション監督として果たした役割に迫ります。 (バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) アニメーションに「作者」はいるか? 富野がアニメーション監督の認知に大きな役割を果たしたのは、1977年から1984年いっぱいまで続いた「アニメブーム」の時期に当たる。この時期は、劇場版『宇宙戦艦ヤマト』をきっかけに、それまで子供(小学生)向けと思われていた「テレビまんが」「漫画映画」が内容的にも進化し、ティーンエイジャーの熱狂的な支持を得ていることが広く知られるようになった時期である。先述の富野のキャリアに当てはめると、1977年から1988年にか

    〈2〉「アニメーション監督」の誕生|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま
  • 〈1〉富野少年はいかにしてアニメーション監督になったか|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま

    富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて論の一部を連載します。 今回からはシリーズ「富野由悠季概論」。富野由悠季監督の経歴を時代背景とともに振り返り、アニメーション監督として果たした役割に迫ります。 (バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 宇宙との出会い 現在、アニメーション監督という存在が広く当たり前の存在として世間に認知されている。しかし、このような認知を得るまでには、それなりの長い時間が必要であった。そしてその中で大きな働きを果たしたひとりが、富野由悠季監督である。 富野の経歴を簡単に振り返ってみよう。 アニメーション監督・富野由悠季は1941年11月5日、三人兄弟の長男として神奈川県小田原市に生まれた。名は富野喜幸。富野家は代々「喜」の漢字を継いでおり、喜幸の「喜」の字もそこに由

    〈1〉富野少年はいかにしてアニメーション監督になったか|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま
  • 序 「アニメーション監督」としての富野由悠季を語りたい|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま

    機動戦士ガンダム、伝説巨神イデオン、Gのレコンギスタ……。数々の作品を手がけて熱狂的ファンを生み出してやまない富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて、論の一部を連載します。  (バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) アニメーション監督として語るための2つの切り口 アニメーション監督・富野由悠季について考えたい。ここで重要なのは、この言葉で比重がかかっているのは「アニメーション監督」のほうで、決して「富野由悠季」個人のほうではない、ということだ。富野由悠季という「アニメーション監督」は、その存在感の大きさに比して、十分に語られないうちに長い時間が経ってしまった。 富野は、TVや新聞雑誌などマスメディアに登場することが多いアニメーション監督だ。人気者といってもいいだろう。書籍に関しても、批評

    序 「アニメーション監督」としての富野由悠季を語りたい|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま
  • 第6回 「イエロー・マジック」との闘い(その1)|「教授」と呼ばれた男――坂本龍一とその時代 |佐々木 敦|webちくま

    比類なき輝きを放つ作品群を遺すとともに、「脱原発」など社会運動にも積極的に取り組んだ無二の音楽家、坂龍一。その多面的な軌跡を「時代精神」とともに描き出す佐々木敦さんの好評連載、第6回の公開です! 1 「伝説のこたつ集会」 「かくいう私もイエロウ・マジックを身につけるべく、日夜戦いつづけているのだ」。細野晴臣が坂龍一の『千のナイフ』のライナーノートにこう書きつけた時、イエロー・マジック・オーケストラのファースト・アルバムのレコーディングはすでに開始されていた。前にも触れたように、1978年4月にリリースされた「トロピカル三部作」の三作目、細野晴臣&イエロー・マジック・バンド名義の細野のソロ・アルバム『はらいそ』に収録されている「ファム・ファタール~妖婦/FEMME FATALE」の演奏は細野と坂龍一、高橋幸宏の三人で行われており(このアルバムで三人の演奏はこの曲のみ)、この録音の際に細

    第6回 「イエロー・マジック」との闘い(その1)|「教授」と呼ばれた男――坂本龍一とその時代 |佐々木 敦|webちくま
  • 二十一世紀の日本の首都に於ける超高層ビルの林立はその国の凋落を予言しているように思えてならない|些事にこだわり|蓮實 重彦|webちくま

    蓮實重彥さんの連載時評「些事にこだわり」第15回を「ちくま」9月号より転載します。延々とつづく渋谷駅周辺の再開発。東横線の地下化はじめ誰も便利になったとは思っていないはずの一連の大工事は都市再開発法によると「公共の福祉に寄与することを目的とする」そうなのだが、当に? との疑問についてお話しさせていただきます。 避けようもない暑い日ざしを顔一面に受けとめながら、タワーレコードの渋谷店で購入した海外の雑誌を手にしてスクランブル交差点にさしかかると、すんでの所で信号が赤となってしまう。階段を降りて地下の通路に向かう方法もあるにはあったが、年齢故の足元のおぼつかなさから灼熱の地上に立ったまま青信号を待つことにしていると、いきなり、かたわらから、女性の声がフランス語で響いてくる。ふと視線を向けると、「そう、シブーヤは素晴らしい」と「ウ」の部分をアクセントで強調しながら、スマホを顎のあたりにあてた外

    二十一世紀の日本の首都に於ける超高層ビルの林立はその国の凋落を予言しているように思えてならない|些事にこだわり|蓮實 重彦|webちくま
  • 兵器への偏愛が生んだ一編の批評|ちくま新書|大塚 英志|webちくま

    戦時中、少なからぬ人々が、頭上を飛ぶB-29を見て「美しい」という言葉を残していました。人を殺す兵器を見て美しいと感じる、その感覚と深く向き合った『B-29の昭和史』の書評を、大塚英志さんに執筆していただきました。PR誌「ちくま」に掲載したものより少し長い、完全版です。 ぼくは言うまでもなく「おたく」の類だが、ミリタリー方面には疎く、手先が不器用でプラモデルも苦手だ。模型雑誌に一瞬手を出した時があったが、もっぱら海洋堂の綾波レイのガレージキットの情報が目当てで、買って箱ごと観賞用に飾るだけだった。それでもナチスドイツの戦車や飛行機の模型写真に思わず見とれる時があった。思想的にはぼくはベタなサヨクだが、その「思想」に反して、兵器のデザインを「美しい」と思うことがある。ぼくと比較するのはあまりに不遜だが、宮崎駿もその左派的発言とミリタリーマニアぶりの解離はよく知られている。若き日の宮崎がミリタ

    兵器への偏愛が生んだ一編の批評|ちくま新書|大塚 英志|webちくま
  • 第1回 はじめに――「坂本龍一」と私|「教授」と呼ばれた男――坂本龍一とその時代 |佐々木 敦|webちくま

    比類なき輝きを放つ作品群を遺すとともに、「脱原発」など社会運動にも積極的に取り組んだ無二の音楽家、坂龍一。その多面的な軌跡を「時代精神」とともに描き出す佐々木敦さんの新連載、始まります。 2023年4月2日日曜日の夜9時過ぎ、私は新宿某所で夕を摂っていた。 ふとスマートフォンに目をやると、契約しているニュース・アプリから通知が届いていた。そこには「坂龍一の死」が報じられていた。私はスマホから一瞬目を逸らし、小さく深呼吸をしてからもう一度、その画面を凝視した。 見間違いではなかった。坂龍一が、坂さんが、逝ってしまった。記事には数日前の3月28日に亡くなったとあった。享年71。がんとの闘病が伝えられていたとはいえ、早過ぎる死というほかない。私は突然の訃報に接した動揺と、ずいぶん前から覚悟していた時がいよいよ訪れたのだという、どこか穏やかでさえある気持ちの両方を感じていた。不思議なほど

    第1回 はじめに――「坂本龍一」と私|「教授」と呼ばれた男――坂本龍一とその時代 |佐々木 敦|webちくま
  • ゲイカップルが家族を築いていくということ|単行本|木津 毅|webちくま

    社会が大きく変化していくなかで、性的マイノリティをめぐる言説もまた大きく揺れ動く昨今。この記事では、「おっさん好きのゲイ」という立場からこれからの「父性」「男性性」を考える一冊『ニュー・ダッド―あたらしい時代のあたらしいおっさん』に収録された文章を公開します。ゲイカップルが「家族」となり、「父親」となることのリアリティ、そして可能性を語ります。 日では同性カップルが子どもを持つための制度が整備されていない 僕は自分の人生においてほぼほぼ諦めていることがあって、それは文字通りの意味での「ダッド」……「父」になることだ。なぜなら、僕はゲイだから。いや、ヘテロ男性だって大勢、経済的な問題から「父」になるのを諦めているような時代だけれど、やっぱりそこは、ゲイであることも別のレイヤーとして絡んでくる。 もちろん海外においては、同性カップルが子どもを迎えられる制度や法律があることは知っている。けれど

    ゲイカップルが家族を築いていくということ|単行本|木津 毅|webちくま
  • ウクライナ戦争が問う我々の人間性|ちくま新書|小泉 悠|webちくま

    ちくま新書『ウクライナ戦争』の著者・小泉悠氏が、戦争について、人間について、悪について、子供たちについて、その質を率直に語った貴重なエッセイ。PR誌「ちくま」1月号より緊急転載いたします。 戦争という現象にはいろいろな顔がある。直接の戦争経験を持たず、軍事オタクとして生きてきた筆者が戦争と聞いてまず思い浮かべてきたのは、「戦闘」だった。巨大な軍隊同士が火力や機動力を発揮して敵の殲滅を目指す暴力闘争。これは間違いなく戦争の一つの顔ではある。 しかし、12年前に子供を持ってから、戦争の別の側面を意識するようになった。子供という、この弱くて壊れやすいものを抱えながら生きていくということは、平時の社会においてもなかなかに緊張を強いられるものがある。すぐに熱を出す、とんでもないことで怪我をする、迷子になる。そういう子供との暮らしに、爆弾が降ってくるのが戦争である。あるいは、子供にべさせるものがな

    ウクライナ戦争が問う我々の人間性|ちくま新書|小泉 悠|webちくま
  • 「半分降りる」ゆるやかなつながり|単行本|こだま|webちくま

    「刷り込まれてきた価値観を一気にベリッと剥がすような爽快感がある」という、こだまさん(『夫のちんぽが入らない』『縁もゆかりもあったのだ』著者)の思わず引き込まれる書評です。 書は、鶴見済さん(『完全自殺マニュアル』著者)が、生きづらさの最終的な解決法を伝授したものです。 この、私のためにあるのかな。そう思わずにいられなかった。 子どもの頃から周囲とうまく付き合えないことに悩んでいた。仲間外れにされて孤立していたわけではない。むしろ、そうならないよう気を張っていた。登校前には必ず体調を崩した。当時は、ただ気が弱いのだと思っていたけれど、大人になって心身の調子を崩して心療内科を訪れたところ病と診断され、社交不安障害を抱えていたこともわかった。人付き合いに過剰なほど緊張していたのはそのせいだったのだ。 筆者の鶴見済さんも高校時代に社交不安障害を患っていたという。人の視線が気になる。まわりの

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  • 「社会政策」としての殺戮|『ブラッドランド』刊行記念|大木 毅|webちくま

    ウクライナ、ポーランド、ベラルーシ、バルト三国。西欧諸国とロシアに挟まれたこの地で起きた人類史上最悪のジェノサイド。旧ソ連体制下で歪曲・隠蔽されてきた事実を掘り起こし、殺戮の全貌を初めて明らかにした歴史ノンフィクションがついに学芸文庫に入った。今日の世界で『ブラッドランド』をどう読むべきか? 文庫化を機に、岩波新書『独ソ戦』の著者である現代史家・大木毅氏に特別寄稿をいただいた。 早いもので、もう四十年近く前になる。筆者は、大学院の演習で、今日に至るまで大きな影響を受けることになった論文に出会った。シカゴ大学教授(現同大名誉教授)だったミヒャエル・ガイヤーによる「社会政策としての戦争」(Michael Geyer, Krieg als Gesellschaftspolitik. Anmerkungen zu neueren Arbeiten über das Dritte Reich im

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  • File49.夢を見にくいこどもに話しかけようかなと思った時に読む本|昨日、なに読んだ?|雁 須磨子|webちくま

    紙の単行、文庫、デジタルのスマホ、タブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだってを読む。気になるあのひとはどんなを読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。 【雁須磨子(漫画家)】→→吉川浩満(文筆家)→→??? 私の両親は若くして結婚して、母は二十歳そこそこで二人の娘を産んだ。 街のショッピングセンターのレストランで両親は働いて、子供達はショッピングセンターの中に放流されて一日を過ごす。 私はだいたいゲームコーナーか屋のまんがコーナーに入り浸っている。その頃は屋の立ち読みが今より自由だった。楽しかったな。でもなかなかしんどいことも多かった。 そんなくらしの中で、いいことだと思うけれど親は私たちにとても厳しかった。今にして思えば若い二人が必死に生活しつつ二人も子供を育ててるのでまあしゃあない。家は裕福とはとても

    File49.夢を見にくいこどもに話しかけようかなと思った時に読む本|昨日、なに読んだ?|雁 須磨子|webちくま
  • 第56回 大きなテーブル|何言うてんねん|Aマッソ 加納|webちくま

    会議室にとても大きなテーブルがある。そのテーブルを囲んで、数人の大人がタバコを吸いながら会議をしている。テーブルの中央には灰皿がひとつ置かれているが、灰を落とすにはとにかく腕を伸ばさないと届かない。会議は何事もなく続いている。 コント「大きなテーブル」について聞いたのは、これだけだった。私は頭の中で、勝手にこのテーブルを円卓にしてみる。窓のブラインドを開けてみる。灰皿のまわりに散らばる灰の量を増やしてみる。テーブルのサイズを調節する。どうするのが面白いのか、自分の能力を測るように、その会議室をおそるおそる動かしていく。 「あれは笑ったなあ」 渋谷のデニーズで、昔自分が書いたコントの設定を話しながら、宮沢さんは楽しそうに笑った。日常にある動き、身体性の笑いについて教えてくれるのに、宮沢さんは「こうするのが面白いよ」とは言わずに、「あれは笑った」と言う。そんなところが好きだった。 「あの当時は

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  • 補論 最後の花嫁――幾原邦彦論・試論【前編】|私たちの生存戦略|水上 文|webちくま(1/4)

    アニメ界の鬼才・幾原邦彦。代表作『輪るピングドラム』10周年記念プロジェクトである、映画『RE:cycle of the PENGUINDRUM』前・後編の公開をうけて、気鋭の文筆家が幾原監督の他作品にもふれつつ、『輪るピングドラム』その可能性の中心を読み解きます。 革命から取り残されたのは誰だっただろう? 幾原邦彦監督作品は常に、傷ついた子ども達の味方だった。 それは解放を志向していた。どれほど重苦しいテーマが描かれようとも、最後には何かしらの形で脱出が試みられていたのだ。けれども世界が革命され、運命が乗り換えられ、断絶の壁が越えられ、身も心もさらけだすさらざんまいで未来が目指され、あらゆる仕方で解放が描かれる中で、常にそこから取り残されていた人とは誰だっただろうか? 棺の奥深くに閉じ込められたまま決して解放されない〈花嫁〉とは、誰なのだろうか。 薔薇の花嫁とは何か たとえば『少女革

    補論 最後の花嫁――幾原邦彦論・試論【前編】|私たちの生存戦略|水上 文|webちくま(1/4)
  • 第3回 投票率の底から|『武器としての世論調査』リターンズ――2022年参院選編|三春 充希|webちくま(1/3)

    普段ニュースで目にする「世論調査」の使い方を教えるちくま新書『武器としての世論調査』は、2019年6月、第25回参院選を目前に刊行されました。 刊行以降の世論の変化をみていく特集の最終回は、1990年代に崩壊した投票率から、これからの課題を検討します。 年々低下する投票率を立て直すべく、これまで様々な取り組みが行われてきました。投票呼びかけのキャンペーン、模擬投票の実施、若者をターゲットにしたキャラクターやグッズ展開……。確かにそのようなことも行うに越したことはないのでしょう。けれども昨今の投票率の惨状は、そうした取り組みの効果の乏しさを物語っています。 これらの取り組みはどうして効果を発揮してこなかったのでしょうか。それは、なぜ多くの人が選挙に行かなくなっているのかという原因に踏み込まず、投票率という数字ばかりに目を向けてきたからにほかなりません。 投票率の低下は、社会のあり方が背景にあ

    第3回 投票率の底から|『武器としての世論調査』リターンズ――2022年参院選編|三春 充希|webちくま(1/3)
  • アカデミー賞という田舎者たちの年中行事につき合うことは、いい加減にやめようではないか|些事にこだわり|蓮實 重彦|webちくま

    蓮實重彥さんの短期集中連載時評「些事にこだわり」第7回を「ちくま」5月号より転載します。2022年3月、北米の一角のお祭り騒ぎと無縁に起こってしまった真の映画史的損失について――。 一応は大スターと呼んでおこうウィル・スミスさん――新聞の表記に従う――によるさるコメディアンの顔面平手打ち事件で記憶されることになりそうな今年のアカデミー賞授賞式だが、それ以前から令和日のマスメディアはかなりの盛りあがりを見せていた。それは濱口竜介監督の名前が複数の部門に候補として挙げられていたからにほかなるまいが、いったんノミネートされたからには貰っちゃうにこしたことはないのだから、『ドライブ・マイ・カー』(二〇二一)で「国際長編映画賞」を手にして、お前さんがオスカーかよとつぶやいた濱口監督にとって、それはひとまず目出度いことだったといってよかろうと思う。 おかげで、日国の某官房長官までがしゃしゃり出て、

    アカデミー賞という田舎者たちの年中行事につき合うことは、いい加減にやめようではないか|些事にこだわり|蓮實 重彦|webちくま