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  • 【追悼:BUCK-TICK 櫻井敦司】ラバーソールの丸玉商店と同潤会アパートに住む猫たち

    かつて表参道の同潤会アパートにあった丸玉商店 同潤会青山アパートメント。現在表参道ヒルズがある場所には、大正15年に竣工された歴史的な集合住宅が表参道のシンボルだった。80年代の半ばからは、この建物にハイセンスなブティックやギャラリーが数多く入居。ラバーソールをはじめとするロンドンから直輸入されたシューズを扱う “丸玉商店” もそのひとつ。 当時、いわゆるラバーソールは入手困難品。クラッシュのメンバーがこのを履いている姿を雑誌で見て原宿の老舗店に行くがサイズがない。何とかならないものかと男性のラバーソールを履いたが、ぶかぶかに加えて重過ぎる。これに3万円近くは出せないのが音。売っている店は限られていたし、値段も当時としては高価だった。 そもそもレディースのサイズがないから仕方ない。でも、クラッシュと行動を共にしていた女性シンガー、パール・ハーバーのように履いてみたい。知り合いのデザイナ

    【追悼:BUCK-TICK 櫻井敦司】ラバーソールの丸玉商店と同潤会アパートに住む猫たち
  • 売れないロックバンド【はっぴいえんど】なぜ日本の音楽史において重要な存在なのか?

    のロック、ポップミュージック史においてきわめて重要な存在だったはっぴいえんど はっぴいえんどが、日のロック、ポップミュージック史においてきわめて重要な存在だったことは間違いない。けれどその活動時期も実質的には3年間あるかどうかだったし、リアルタイムで彼らを評価したのもごく一部の音楽ファンにすぎない。いわば知る人ぞ知るバンドだった。むしろ解散後のメンバーたちの活躍に伴って、はっぴいえんどは “伝説のバンド” として知名度を獲得していった側面もあったと思う。 この度、はっぴいえんどのオリジナルアルバム3作品(『はっぴいえんど』『風街ろまん』『HAPPY END』)が貴重な未発表音源を新たに収録し、CDとアナログ盤でリイシューされることになった。この機会にはっぴいえんどが日音楽歴史に果たした役割を考えるために、彼らが活動した時代を振り返ってみたい。 世界的に見ても独特の音楽ムーブメン

    売れないロックバンド【はっぴいえんど】なぜ日本の音楽史において重要な存在なのか?
  • 桑田佳祐の問いかけ《ニッポンのロックとは何か?》サザン休止で KUWATA BAND 結成!

    サザンは「いとしのエリー」で評価された? 1986年7月14日、KUWATA BANDのアルバム『NIPPON NO ROCK BAND』が発表された。 桑田佳祐が率いるサザンオールスターズが「勝手にシンドバッド」でレコードデビューしたのは1978年6月だ。タイトルで、前年1977年の大ヒット曲である沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンク・レディーの「渚のシンドバッド」をパロったり、楽曲自体もラテンをベースにしながらいろいろな音楽エッセンスをちりばめた仕立てになっているなどのギミックで大きな話題を呼び、異色の新人グループとして華々しく登場した。しかし、一方で彼らは色物バンドと認識されることにもなり、コミックソングの一発屋で終わるのではないかと見られることも多かった。 しかし、サードシングルとして発表したバラード「いとしのエリー」(1979年)の大ヒットによって、彼らは格的アーティストとして

    桑田佳祐の問いかけ《ニッポンのロックとは何か?》サザン休止で KUWATA BAND 結成!
  • Re:minder - リマインダー | 80年代音楽エンタメコミュニティ、エキサイティング80’s!

    臼井さん!ありがとうございます。秀樹の「ア」はセクシーであり、情熱的であり、ファンキーであります! 晩年の秀樹の声でまたナイトゲームが聞けるなんてとても幸せです!

    Re:minder - リマインダー | 80年代音楽エンタメコミュニティ、エキサイティング80’s!
  • はっぴいえんど「風をあつめて」松本隆と細野晴臣がドタバタでつくった世紀の名曲

    はっぴぃえんど「風をあつめて」何度も蘇る、初めて聴いた時の情景 ある音楽と、それを聴いた時の情景が、まるで映画の1シーンのようになって、脳裏に刻まれていることがありますよね。その音楽を聴くたびに、律儀にフィルムは再生されて、何年経っていようと、その時の自分に戻れてしまう。ちょっと幸せな現象です。 “はっぴいえんど” の「風をあつめて」は、私にとってそんな1曲です。初めて聴いたのは高校時代。『風街ろまん』の発売が1971年で、その時点では高校2年ですが、発売後すぐだったかどうかは定かでないので、3年だったかもしれません。ある日の午後、ラジオをつけたまま、部屋で転がって、半分寝ているようなぼんやりした気分の中に、この曲が流れてきたのです。 すごくよかった。季節もよく憶えていませんが、サアッと部屋が明るくなったような気がしました。そして、その時の部屋のようす、天井の雨のしみや陽の当たる畳などが、

    はっぴいえんど「風をあつめて」松本隆と細野晴臣がドタバタでつくった世紀の名曲
  • チープ・トリック初来日公演!武道館の名を世界中に広めた熱狂ライブアルバム!

    「洋楽ロック」も聖地「BUDOKAN」もチープ・トリックが教えてくれた 1977年にセルフタイトルのアルバム『チープ・トリック』でデビューして今年で45年。以前のコラム『チープ・トリック奇跡の再ブレイク!元祖パワーポップとして息の長い存在感』で書いたが、僕にとってチープ・トリックは、洋楽ロックを聴くきっかけになった特別なバンドだ。そんな彼らがデビュー当時のバンドイメージのままに、シーンの第一線で変わらずロックし続けている姿には敬意の念を抱いてやまない。 まだ小学生だった洋楽ロック初心者の僕に、チープ・トリックは “洋楽ロックの聖地としての武道館” の存在も教えてくれた。東京に在住の方なら日武道館は当然、身近なものだっただろう。けれども地方在住のロックファンにとっては、物理的な距離が遠いだけでなく、感覚的にも別世界のように感じる場所だった。 僕の地元の福岡には、かつて九電記念体育館という洋

    チープ・トリック初来日公演!武道館の名を世界中に広めた熱狂ライブアルバム!
  • みんなのブルーハーツ「リンダリンダ」大槻ケンヂもカンドーした決して負けない力

    連載『みんなのブルーハーツ』vol.3 ■ THE BLUE HEARTS『リンダリンダ』 作詞:甲ヒロト 作曲:甲ヒロト 編曲:THE BLUE HEARTS 発売:1987年5月1日 連載第3回にして、ブルーハーツの中でもっとも有名な曲を取り上げます。ファーストアルバム『THE BLUE HEARTS』のラストを飾る傑作曲で、もちろんシングルカットもされた、あの『リンダリンダ』。 30数年ぶりに、この曲のことを考えて、真っ先に思ったのは「リンダリンダって、どういう意味だ?」という問いです。 この連載、ブルーハーツの歌詞を紐解いていきますが、決して深読みだけはしまいと思っているのです。意味のないことに、さも意味ありげな解釈を加えて、さも意味深なものへとまつり上げることはしたくない(そういう音楽が多いので)。 ただ、さすがに『リンダリンダ』。このタイトルに意味があるかないかは、ブルー

    みんなのブルーハーツ「リンダリンダ」大槻ケンヂもカンドーした決して負けない力
  • 井上陽水はプログレだった? アルバム「氷の世界」に漂うキング・クリムゾン感

    井上陽水「氷の世界」に入り込んだプログレ人脈 2022年8月30日をもって74歳になる井上陽水に関して、ほとんどのことが語られ尽した感もある。とはいえサイゾーWEBに「井上陽水とアンビエント」という野心的な記事が掲載されているのを見つけて、まだまだ斬新な切り口はあるのだなと感心した。そこで今回のコラムでは変わった角度から、すなわち「初期の井上陽水はプログレ」(!)という一部プログレッシャーの間でまことしやかに囁かれてきた噂を検証してみたいと思う。 この俗説が浮上した要因は、日初のミリオンセラーを達成した陽水の三枚目のアルバム『氷の世界』(1973年)にあると思しい。作はポリドール・レコードの多賀英典の判断で半分ほどの楽曲がロンドン・レコーディングされたのだが、セッションミュージシャンとして雇われたのがほとんど当地のプログレ人脈なのだ。 クォーターマスという、アルバム一枚を残してすぐ解散

    井上陽水はプログレだった? アルバム「氷の世界」に漂うキング・クリムゾン感
  • KING OF LIVEまでのRCサクセション!森川欣信&宗像和男インタビュー ①

    のロック史を語る上で欠くことの出来ないRCサクセション伝説のライブ2が8月6日より配信される。名盤ライブアルバムとして知られる『RHAPSODY』をリリースしてから1年半という時期に行われた日武道館公演と、彼らの絶頂期とも言える1983年の渋谷公会堂公演。つまり、この2のライブに投影されるRCサクセションはまさに “KING OF LIVE” の称号に相応しい風格だ。 RCサクセションがKING OF LIVEまで昇り詰めるまで欠くことの出来ないキーマンが二人いる。当時彼らが所属するキティ・レコードでプロモーター、ディレクターとして深く関わり、濃密な時間を過ごした宗像和男氏と森川欣信氏だ。 今回は、ハード・フォークと言われたRCサクセションが5人編成のグラマラスなロックンロールバンドに変貌する転換期、当時の熱狂と、昇り詰める過程に何があったのかを余すところなく語っていただきました

    KING OF LIVEまでのRCサクセション!森川欣信&宗像和男インタビュー ①
    akihiko810
    akihiko810 2022/08/05
    KING OF LIVEまでのRCサクセション!森川欣信&宗像和男インタビュー ①
  • サザンの本質ここにあり「ヌードマン」音楽と格闘する生々しさが最大の魅力!

    サザンオールスターズ。生まれは青学の音楽サークル サザンオールスターズが「勝手にシンドバッド」でデビューしたのは1978年6月のこと。 蛇足ながら補足しておくと、この曲名は沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンクレディーの「渚のシンドバッド」という、ともに1977年に大ヒットした曲のタイトルを合成したもの。だから、このタイトルだけで当時の人々は「勝手にシンドバッド」をコミックソングと受け取った。そして、このデビュー曲によってサザンオールスターズは “コミックバンド” と見られることになった。 サザンオールスターズ自体も、そうした先入観に対してある程度乗ってみせたが、1999年のサードシングルとなったバラード「いとしのエリー」でそのイメージを鮮やかにひっくり返して、面白いだけのバンドじゃないという側面を見せた。 しかしそれは、ここからのサザンオールスターズがどのような音楽性を打ち出していくのかと

    サザンの本質ここにあり「ヌードマン」音楽と格闘する生々しさが最大の魅力!
  • 佐野元春インタビュー ① アンチ・シティポップ「SOMEDAY」は僕の反抗だった

    1980年のデビューから40年以上、常に新しいフォーマットの音楽に挑み、ソリッドかつ豊潤な音楽をクリエイトし続けた佐野元春。過去を振り返らない印象の強い元春が、2013年にはアルバム『SOMEDAY』の再現ライブを敢行し、今年5月にはこのライブを完全収録したBlu-ray名盤ライブ「SOMEDAY」をリリース。そして、これを記念したロングインタビューがリマインダーで実現。Early Days の元春、アルバム『SOMEDAY』について、当時を振り返った貴重なコメントの数々、アーティスト・佐野元春の今についても語ってくれました。4回にわたってお届けします。 「SOMEDAY」はシャレた曲じゃない。街で育ったすれっからしの少年の唄だ ― 佐野さんには常に革新的に前へ進んでいるイメージがあるので、過去を振り返ることもあまりないような気がするのですが。 佐野元春(以下、佐野):過去を振り返ってもし

    佐野元春インタビュー ① アンチ・シティポップ「SOMEDAY」は僕の反抗だった
  • リリース40周年!クラッシュ「コンバット・ロック」が辿り着いた音楽の多様性

    ザ・クラッシュが夢中になったフィフティーズファッション 音楽にのめり込むようになって、どんな基準でアーティストを選ぶかというのは、昔から変わっていない。僕の基準は断然 “見た目のルックス” である。もっと言ってしまえば、革ジャンを着てカメラのレンズに睨みを利かせているようなバンドが好きだ。キャロルやザ・モッズ、デビュー当時のザ・ブルーハーツにもそんな風情があった。そして、そのインパクトが圧倒的に大きかったのがザ・クラッシュである。 彼らが革ジャンの襟を立て、睨みをきかせている視線のその先に何を捉えているか。そこが、僕にとっての音楽のベクトルになる。反逆、刹那、青春… つまり、今を燃焼しながらも、音の中からルーツを遡る旅が出来たり、未来を警鐘する危機感が露わになっているバンドが好きなのだ。 ザ・クラッシュのメンバーは80年代に差し掛かる少し前から、それまでのパンキーな出で立ちから、古着をうま

    リリース40周年!クラッシュ「コンバット・ロック」が辿り着いた音楽の多様性
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