引越し遍歴パートⅡ 2018年に「上京して10年で引越しを6回した」というブログを書いた。 月日は流れ、あれから6年…さらに2回の引越しをした。ホテル暮らしも含めると3回かもしれない。 前回の記事では主に神奈川〜千葉〜東京の引越し事情を書いた。関東の浅瀬でちゃぷちゃぷ遊んでいたに過…
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この春から最寄りの駅まで自転車を使って通勤している。バス代の節約と健康のために。朝7時半ちょうどに赤いママチャリにまたがる生活。朝の空気が体の外側を流れていく感覚は思いのほか、心地よいものだ。女の子の横を過ぎるときにはストールする寸前まで徐行。二人乗りのアベックのうしろに貼り付いてスリップストリーム。あぁ朝がこんなに楽しいなんて。 先々週だろうか。奴が現れたのは。僕の娯楽を侵略する悪い奴。白いママチャリを駈るオッサン。推定五十才。圧倒的なスピードで僕をぶっちぎっていく。抜いた瞬間にジリジリっと錆びたベルを鳴らす。最初は気にしなかったのだけれど、毎朝、追い抜かれていたら世界中のどんな平和主義者だって自転車に油をさすだろう? 奴のスピードの秘密は独特のフォルムと地の利にある。フォルム。奴は前頭部が禿げている。毛髪は後頭部に縞模様を描く程度に遺すだけ。空気抵抗は限りなく少ない。地の利。奴は丘の住
曇り空を眺めていたら、去年の夏に缶ビールと買ったばかりのデジカメを持ってふらふらと実家の周りを散歩したときのことを想いだした。高校の野球部の練習を眺めたり、畑から飛び出してきたバッタに驚かされたり、川に向かって石ころを投げたり。たわいもない休日。周りからみたらただの酔っ払い。恐らく、低い高度にたちこめる雲の層に僕の気持ちも下へ、下へと圧迫されているのではないか。雲の圧力。僕は反発する。僕は、僕のハートだけは梅雨入りしないよ。僕の魂だけは湿らせやしないぜ。カモン、雨雲。そんな反発が、なんでもない一日の記憶を喚起させたのだろう。部屋に帰り、カレンダーを確認すると6月は祝祭日がないってことを知ってしまい、あっけなく心身共に本格的に梅雨入り。僕の梅雨へのレジスタンスは抗戦することなく白旗を掲げたのだ。 雨雲の下のジメジメとした湿気のなかでも、僕はやっぱり葉っぱの裏を這うナメクジのようにジメジメと水
「ところで、ニッセイの人たちは、保険会社の人たちは、どんな保険に入っているの?」 そんな問いかけをベースに保険の仕組みをわかりやすく説明してくれるのがこの本。 生命保険の「罠」 (講談社+α新書)後田 亨 おすすめ平均 具体的な数字がでているのがよい 生命保険会社にカモられないように 買う側の気持ちに立った良書だと思います。 生命保険の現実をすべての人にみてもらいたい傑作 自分のことは自分で守る。保険会社は守ってくれない。 Amazonで詳しく見る by G-Tools 具体的な例を一つ一つ丁寧に挙げて書いてあるので、非常にわかりやすい。 保険会社も慈善事業ではないので、損しないようにできているのは なんとなくわかっていたが、営業手法とプロが入っている保険が特に面白かった。 「おまけ」で釣る 「極論」に振る 「信者」にする 論理的に考えれば1,2に引っかかることはない。3はなかなかうまい。
たとえば、「愛って大事だよね」「ポジティブに考えよう」などの言い回しは、ネットでなくてもよく見受けられますが、しばしば嫌われます。まあ、「きれいごとで気持ち悪い」という感覚も十分すぎるほどわかりますが、実際のところ、愛は大事ですし、ポジティブに考えることも大事です。なぜかというと答えは簡単で、すごく得だからです。きれいごとでもなんでもなくて、損得勘定で考えて、絶対お得なのです。 愛を語る人、ポジティブに考えることを提唱する人は、その実効性についてうまく説得ができていなくて、抽象的に「愛って大事だよね」と語るにとどまっていることが多いため、ますます不信感が芽生えてくるのですが、スキルが多少でも伴った愛は、強力な武器となります。 今回は、ここ数ヶ月において、「わたしが愛を大切にすることで得をした」という事例について、書かせていただきますので、参考にしてみてください。 (1)はてなの川崎さんと会
通勤途中の東横線でみかけた高校生カップル、180cm以上はある長身で細身、ちょっと冷たい感じのするイケメン、相当イケメンで、ピアスしてネックレスしてメガネかけてて、制服のちょっとした着崩し方がサマになっていて、少女マンガに出てくるならば優等生で一匹狼タイプ、少年マンガに出てくるならば優等生で裏からイジメの糸を引いているタイプ、そういう感じの高校生と、一緒に女子高生、これまた美形で細身で長身で、妙にスカートの短い、女子高生、男のほうが満員電車の中で後ろから女子を抱きしめていて、女子はべったり体を預けて寄り添っていて、つまるところ、高校から大学にかけて男女関係であまり恵まれていなかったけれども東大の法学部出て官僚になったようなひとがこういう光景を見ていらんルサンチマンを刺激されて痴漢に走ったりヘンな風俗に行ったりするのだろうか、とこれまたいらんステロタイプな妄想をつのらせているうちにもう降りる
インチキ専門学校卒、フリーターから地元のやや有名企業に潜り込み、社内ニートとしてもうすぐ10年を迎えるオレが経験則から編み出した「いかに仕事をせずに社内ポジションを保持するか(もしくは自分の能力を過大評価させる10の方法)」。一生懸命やっても、どうせ誉めてもらえないという貴方、腐っていてはソンですよ!この10箇条のライフハック(笑)をぜひ実践して、社内評価とお気楽生活を一挙に手にしてみてはいかが? (1)本当にこの会社にいるべきなのか? 「会社にいて仕事をしないのは、仕事をすることより難しい」。普通の会社というのは、みんな働いて当然というスタンスですから、この認識が必要です。仕事をしないと居られないような会社であれば、辞めた方がいいでしょう。また、自分以上に仕事をしていない社員が複数見られる場合も、早めに辞めるのが賢明です。新たなステージでこそ、あなたの社内ニートとしての才能は開花するのか
森岡正博『草食系男子の恋愛学』(メディアファクトリー、定価1050円)という本を2008年7月に出しました。その後、「草食系男子」という言葉がメディアでどんどん広がっていって、2009年には流行語になりました。 草食系男子の恋愛学 (MF文庫ダ・ヴィンチ) 作者: 森岡正博出版社/メーカー: KADOKAWA / メディアファクトリー発売日: 2015/11/06メディア: Kindle版この商品を含むブログ (2件) を見る 草食系男子とは、「新世代の優しい男性のことで、異性をがつがつと求める肉食系ではない。異性と肩を並べて優しく草を食べることを願う、草食系の男性のこと」だと、本の中では書きました。基本的に心が優しく、自分の欲望をがつがつ押していくのが苦手で、傷つくことと相手を傷つけることが苦手で、性欲や恋愛願望はあるが、それほど積極的ではないという感じの男性でしょうね。上記の本の表紙に
地味に公認ブロガーをやっているUK-JAPAN2008関連で レポート書くからチケット欲しいと言ったら、チケットをくれたので、 エイリアン展を見にお台場の科学未来館に行ってきた。 http://www.ukjapan2008.jp/events/20080320_100075j.html エイリアン展が日本上陸、応援団長はしょこたん http://www.oricon.co.jp/news/entertainment/52844/full/#rk イメージソングまであるとは、けっこう気合い入ってる模様。 4つのゾーンの展示に分かれている。 空想としてのエイリアン 科学としてのエイリアン エイリアンの世界 エイリアンとの交信 単にエイリアンがいるorいないと言っても、無意味というか そもそも「エイリアンとは何か」という定義付けが大事だと思う。 エイリアン(地球外生命)と書いてるけど、ゾーンご
中性的な顔つきのせいか、実年齢より少し若くみられることが多い。正確に把握しているわけではないけれど、20〜22才程度にみられることが多いみたいだ。「若くみえる」 手放しでは喜べない。それは「威厳」や「落ち着き」といった年相応に身に付けていなければならないものが欠けているという意味を内包しているからだ。今はもうあまり言われることはなくなってしまったけれど、以前はよく、或る女性タレントに似ていると言われた。「レナ?」「レナじゃない?」と僕を指差して。駅。書店。レストラン。いたるところで言われた。僕は憎んでさえいた。田中麗奈似のこの顔を。 夜。コンビニ。二つの要素は若者を無法者にする。我がもの顔で大声を出しながら店内を闊歩している。生意気なことに可愛い女の子を連れていることが多い。不愉快だ。背を向ける。憤りでうっかりしていた。こういう状況下、僕の若くみえる容貌と田中麗奈顔は格好の獲物になりえるの
僕の研究の問題意識は、レトリカルに表現すると「ありのままの作為はどう存在するか?」と言えるかもしれない。生物個体は目的志向性を持っているように見える。はたらきアリは働いているし、下の古本屋のネコは書架の上で寝ている。青々と草木は葉を広げて太陽の光を取り合っている。こういうあり方をしているように見えるのは、自分自身が色眼鏡をかけているせいだろうか? 作為というからにはソレを行う主体がいる。納豆ごはんをかき込む人がいなければ、血液はサラサラにならない。そして、主体が働きかけるモノ(=客体)がある。そのモノは、ありのままのモノだろうか。最近読んでいた廣松先生の本の中のアイデアによると、こうしていわゆる主観・客観図式の隘路に陥るという。見た目や匂いや音や味やお触り感を省いてしまっても、そこには何かあるはずだ、だけどそれは我々には知り得ないのだ、と。だけども、知り得ないモノ“として”措定できるよ、と
せっせとアリがはたらいていた。のどかな日曜日、ジンパでにぎやかな理学部裏のローンにて撮った写真。ジンパをみて、ああ、のんびりしてぇなと思ったが、このアリをみて、作業に戻った。 アリがどうやってこんな共同作業をやってのけるのか、こういう社会性昆虫の挙動は興味魅かれる。個々が全体を知らなくても、全体の統制がとれているような性質は、全体が個々の総和でない性質を持つという意味で創発的性質と言ったりする。あちこちにこうした性質があるから、特に何も言ってないようだけど、多くの科学研究はこうした創発がいかにして生じるか、ということを問題にしている。 人間の社会と何か似た機構があるのではないか、と想定するのは少し行き過ぎた議論のきらいがあるが、こうしたシステムの予想もつかない性質がどうして生まれてくるのか、進化の文脈もかかわる生物学の面白いところだ。だが、日本ではこういう個々の生物のシステムを研究している
奇蹟なんてそう滅多に起きるものじゃないなんてことは僕にだってわかっている。たとえば大事故のニュース。生存者の見込み無し。「無し」。わかってる。そんなことは。でもさ、そんなとき、一人でも、一人でいいから救われて欲しいと思う。暗いニュースを見るたび、そんな奇蹟が起きるのを僕は信じてやまない。 昼、天津丼を食べていた。卵にとじられた蟹の欠片を箸で持ち上げ、口に運ぶ。味の染みたご飯をかきこむ。そんな食事の最中に、ふと、蟹を飼おうと思った。川原にいる地味な奴や、アメリカからやってきた海老っぽい面をした奴じゃなくて、ズワイかタラバ。個人で飼育できる生き物なのかどうかは知らないけれど。そして卵から孵った子ガニ達を海へ放つんだ。 挨拶に毛が生えたようなメールを送ることなく消している。送り先のアドレスと電話番号を自棄になって消してしまったせいで送れないのだ。お酒が入るとそんなことを忘れてしまう。いざ送信しよ
擦り剥いて3日経つけど、左ひじと、左手のひらと、中指がまだヒリヒリする。痛いけど、久しぶりの感覚なので、あまり悪い気はしない。 養老天命反転地に行ってきた 火曜夜に名古屋会議に参加した翌日、岐阜にある養老天命反転地に行ってきた。 ヤバかった。一言でいうなら「妄想がちなアーチストが、思いついた模型をうっかり実寸大にしちゃった!」空間だった。 傾斜だらけの地面。傾いた家・・・っていうか、家の体を為していない家。ミクロで見ると、大したことがないと思うかもしれない。しかしマクロで体感すると、スゴイ。常識がないんだよ、あの空間。3日くらい通ったら、常識も感覚も全部リセット!されそう。 こんな看板も出ていた。けが人もよく出るらしい。 平衡感覚がなくなった たとえばここ。写真ではわかりにくいけど、すり鉢状の窪地。私はこの中で滑りやすい斜面を昇ろうとして転んで、靴が脱げて、しかしまだ滑って。半ばマウンテン
得意先での打ち合わせの後、先方の担当者と少し談笑した。仕事以外の話題が主の気楽な会話。仕事が順調にいっているときってこんなものだ。別れ際に彼は言った。「御社の部長、もう連れてこなくていいですよ」ハイ?返事の声が上ずった。 「顔が暗いし、あの目がね。睨まれてるみたいで恐いんですよ。それに話の意味まるでわからないから」スミマセン。申し訳なさそうな顔をしておいた。営業としての心得を僕が教授しないといけないななんて思いながら。「それとご本人は意識されてないと思うのですが『ナルヘソ』って言われると馬鹿にされているみたいで正直不快です。今後はフミコさんだけでいいですよ」…了解しました。そう答えて会社へ帰った。仕事自体は順調。それだけが救いだった。 午後五時。月次定例営業会議が行われた。会議というだけで憂鬱な気分になる。いつものとおりどうでもいい会話が展開した。僕はいつものとおりウンウンと頷きながら聞き
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